孟宗竹

ブログ引っ越しました

はてなダイアリーから引っ越して来ました。はてなから来る通知をろくろく読んでおらず、久々に開いてみたら2月末迄に移行しないといけないことを知り、慌てて引っ越しました。ついでにタイトルも、前々から変えたかったので、旧タイトルの「別無工夫」から変…

物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ

明けましておめでとうございます。このメモのタイトルの言葉は更級日記の冒頭の段に出てくるものです。更級日記の作者である菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、子供の頃、姉たちの噂する源氏物語などの物語にいたく心を惹かれていました。しかし…

中沢新一『精霊の王』

世阿弥の娘聟、金春禅竹が著した著書で昭和39年に見つかった『明宿集』を中沢新一氏が民族学や文化人類学、哲学などの視点を交えて解読したもの。ものすごく面白かった。以前、『能を読む』(角川学芸出版)の元雅・禅竹編を読んだ時、中沢新一氏の禅竹に関…

乱拍子とセメと文楽の段切

先日11月1日の古典の日には。国立能楽堂で金剛流の御宗家、金剛の「道成寺 古式」があった。ダメ元でチケットは買ったけれどもやっぱりお休みをとることが出来ず、拝見することは出来なかった。残念。これはかなり観たかった。なぜかというと、先日、観世能…

お三輪ちゃんと横笛堂と苧環塚

先日、国立劇場で市川ぼたんさん等の踊りと呂勢さん・清治師匠をはじめとする文楽座の人達の演奏で「恋苧環」を観て、ああ、これでしばらくお三輪ちゃんとはお別れね…と思ったのですが、まだもう少し、お三輪ちゃんに関する妄想は続きそうなので、メモを残し…

「鉄輪」と鬼と蛇と天狗

先日、お能の「鉄輪」を観た時、主人公の女の嘆きとその打杖を振り下ろすのに躊躇する姿に、その女の鬼になろうとしても鬼に成りきれない忸怩たる心情と、今でも夫を愛する気持ちを観たように思った。だから、最後に、鬼となった女が、 時節を待つべしや。ま…

親子の絆と群集劇

先日、観世能楽堂で観世清和師と松岡心平先生と土屋恵一郎先生の「百万」に関する講座を聴いた。盛り沢山の内容で、どのお話もとても興味深く示唆的だったけれども、その中でも、松岡心平先生の、「能楽は、子方を中心とした能が多く、親子の絆を描くことを…

忘れんとすれ共忘れられず、しのばんとすれ共しのばれず

これは『平家物語』潅頂巻の「大原御幸」で、建礼門院が安徳帝を偲んで、後白河法皇にもらす言葉です。観劇や美術観賞と一緒にしたら、女院に怒られそうですが、観劇や美術観賞でも同じような感慨を持つことがあります。心に深く刻まれたものは、忘れようと…

『平家物語』延慶本と二段目の知盛の語り

小野小町と建礼門院の関係について考えたくて、佐伯真一先生の『建礼門院という悲劇』(角川選書)という本を再読した。その中に、読み本系の『平家物語』延慶本の「大原御幸」について検討している箇所がある。延慶本は、『平家物語』の古態を最もとどめて…

阿古屋松と柳の巨木伝承

今年4月、国立能楽堂で、世阿弥自筆本による「阿古屋松」の復曲公演があったが、その月のパンフレットの特集に松岡心平先生が「阿古屋松の巨木伝承」というタイトルで、エッセイを書かれていた。古代の巨木伝承は西日本を中心にあるようで、松岡先生は、その…

断絶平家

先月観た「藤戸」についてのメモを書こうと思って改めてパンフレットの井上愛氏の解説に目を通したら、『平家物語』の「藤戸」には、「佐々木盛綱から恩賞をもらったという漁師の話と、殺されてしまった漁師の話の二系統があり、能では後者の形を取り入れて…

吉野川の首切れ馬

先日、図書館でふと手にとった歴博のブックレットの1月号は特集が「怪異・妖怪文化」。私はそーゆー気持ち悪いもの全般が大の苦手なので、本来はそんなのはそのまま速攻で書架に戻すところだ。ところが、その巻頭に民俗学者の小松和彦氏と歴博の人の対談記事…

露のひぬまの朝顔を

ひとつ前の「生写朝顔話」のメモの中で、「露のひぬまの朝顔を、てらす日かげのつれなきに、あはれ一むら雨の、はら/\と降れかし」という歌について私の妄想を書きました。翌日、歌の解釈が間違っていたと気付き、その箇所以降をばっさり削除しようと思っ…

地震と近況など

この一つ前のメモで「現代の人と比べれば、戦国時代に生きた人達にとって、未来とはずっと頼み難いもので」等と書いたりしたのですが、現代においても、未来はなかなか頼み難いものでありました。 本震の時は会社にいて、結局、当日の夜は会社に泊まることに…

新しき年の始めの初春の

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)げ吉事(よごと) この歌は、私の大好きな大伴家持の歌の中でも特に好きな歌のひとつで、家持が天平三年(759)の正月一日に詠った歌です。万葉集の巻第二十(最終巻)の一番最後を飾る歌(四五一六)でもあ…

天平勝宝4年の大仏開眼供養

何の気なしに手元にある和辻哲郎の『古寺巡礼』(岩波文庫)をぱらぱらとめくったら、東大寺の伎楽面の話が載っていた。かつて読んだときは特にこれといった感想はなかったけど、今回は、先日、東博の東大寺展で伎楽面を見たばかりなので面白い。さすが、和…

歩むに暗き、くれ竹の

文楽の「妹背山婦女庭訓」の「道行恋苧環」は、詞章だけ読んでも本当に名作だ。掛詞、縁語が随所にあるし、連歌的な詞の連想によって次々と展開していく情景に幻惑させられるし、謡曲や和歌からキーワードとなる歌詞(うたことば)を数多く引いていて、「妹…

Time will fly to ... where?

まだ今年観たものの備忘録を書き終えていないのに、とうとう大晦日で時間切れ。ああ、Time flies!年明けの時間のある時にでも、一つか二つ、記事を書き足すことにしよう。 今年も、色々な芸能や美術等を観ることが出来て、本当に楽しかった。感動したものも…

万葉集の隅田川

万葉集を眺めていたら、弁基という人の歌(298)にこんなものがあった。 亦打山(まつちやま)夕越行きて廬前(いほざき)の角田河原(すみたかはら)に独りかも寝む ― 真土山を夕暮れに越えて行って角田の河原に妻もなく寝ることか― 講談社文庫「万葉集―全…

何故、文楽や歌舞伎の実盛はサワヤカ系なのか

源平布引滝の九郎助内の段(歌舞伎では実盛物語)を観ていて不思議なのは、なぜ、斉藤実盛は、爽やかな捌き役になってしまっているのか、ということだ。平家物語の中の斉藤別当実盛は、サワヤカ系というよりはゴーカイな荒武者で、多分当時の実盛を知る人が…

今昔物語の融大臣

国立能楽堂のパンフレットの「融」の解説に、融大臣の幽霊の話が今昔物語に載っているということが書いてあった。それで早速、今昔物語を読んでみると、なるほど、巻第二十七の第二に「川原の院の融の左大臣の霊(りょう)を、宇陀院(うだのいん)見給える…

融大臣は本当に御位につきたかったのか

昨日、「大鏡」の基経の頁、陽成天皇の譲位の善後策を検討する詮議のところを読んでいた時、どうしてもひっかかったことがあった。 光源氏のモデルになったくらいの風流を解する人、源融が、「位につかせ給はむ御心ふかくて(天皇の御位に就きたい心が深く)…

秋草文様

最近、通勤中に通る道沿いの家々の庭や歩道のそこかしこに、様々な花が咲いていることに気が付いた。 考えてみると、春は、藪椿、梅、桃、桜、八重桜、躑躅、サツキ、藤といった具合に、よくぞ自分の順番を間違えないものだと思うくらい、順々に花が咲いてゆ…

乾山の陶器とお能に関する一妄想

先日、東博でお能の三井寺の装束を見ていたら、「白地露芝模様」という摺箔があった。それを見ていたら、乾山の「銹絵染付金彩薄文蓋物」という陶器の器を思い出した。「銹絵染付金彩薄文蓋物」が恋しくなったが今は身近な美術館では展示してないので、しか…

retrospective 地謡

この前、東博で見た「能狂言絵巻」が、気になっている。この絵巻には、地謡の人が、地謡座に12人、後座の囃子方後方に10人近くいた。もし、この人達が全て地謡なら、私にとって理想的なフォーメーションとなる。どういうことかというと、お能のチケットを買…

渡海屋銀平の行く末

義経千本桜の二段目の前段は、「渡海屋」という題で、平知盛の仮の姿、渡海屋銀平の営む廻船問屋の名前からきている。実際、貨物や旅客等を海路で運搬する船を渡海船といい、そのような生業の者を渡海屋といったらしい。 一方、渡海という言葉には、もっと仏…

どうも昔の人は、「砧(きぬた)」という言葉に風情を感じたらしい。 本来、お洗濯の一工程だから実際は年中やっていたのでしょうが、秋の夜から明け方にかけての時間帯、京に住む妻が遠くに遠征している夫を想いながら、寂しさ4割・恋しさ6割で打つのが、古…

さて…

突然ですが、何度見ても読み方を忘れてしまう漢字というのがありますよね? 私は、今日も、正にその漢字に遭遇した。さっと緊張が走ったが、案の定、読み方を思い出せない。ここで思い出せなかったら、アルツかも!…と、自分自身にプレッシャーをかけてみた…

由良之助の謡うは

仮名手本忠臣蔵の七段目に、力弥が密使として顔世御前の手紙を一力茶屋にいる由良之助に渡すシーンがある。そこで由良之助が「他に御口上はなかつたか」と問うと、力弥が「敵、高師直」と言いかける。すると、由良之助が力弥の言葉を誤魔化し「コリヤ、敵と…

古語辞典

私の持っている古語辞典のひとつは、恐らくメジャーな古語辞典の一つだと思うのだが、私が調べる言葉はことごとく載っていない。私が調べる言葉なのだから、かなり基本的な言葉なのだと思うのだが、本当に気持ちいいくらい、載ってない。 それで最近は、代わ…