サントリー美術館 国宝 三井寺展

智証大師帰朝1150年、狩野光信没後400年 特別展
国宝 三井寺
会期:2009年2月7日(土)〜2009年3月15日(日)
I. 2月7日(土)〜16日(月)/II. 2月18日(水)〜23日(月)/III. 2月25日(水)〜3月2日(月)/IV. 3月4日(水)〜15日(日)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol01/program.html


お能の「忠度」を見て、「ささ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな」という千載集に取られた忠度の歌について考えていたら、滋賀県つながりでサントリー美術館三井寺展が週末で終わってしまうことを思い出した。というわけで、急いで行ってきました。

この三井寺展は、狩野光信没後400年と銘打ってある。08年が没後400年らしい。そういえば、近松門左衛門浄瑠璃、「傾城反魂香」は、狩野光信没後100年を当て込んで作った演目だったはず。ということは、傾城反魂香も去年、初演から300年経ってたのか。意外や意外、08年は歌舞伎座でも、国立劇場でも去年は吃又をやってない。


智証大師坐像(御骨大師) (国宝、1軀、三井寺平安時代 9世紀)

三井寺を中興した智証大師とは円珍(814年〜891年12月4日)のこと。一目見て見覚えがある気がしたのだが、誰だか思い出せず。像の前でしばし考えてみた結果、花田勝氏に似ていることに気がついた。おにいちゃん!

不動明王像(黄不動尊)(国宝、1幅、三井寺平安時代 9世紀)

円珍の修行中に夢に出てきたとか。上半身裸で無骨な人かと思いきや、ジャラジャラのネックレス、アームレット、ブレスレット、アームレットをしていて、今の日本でもなかなかお目にかかれないくらいの、宝石大好きなお洒落人なのである。全身黄色なのだが、後の方の展示で、これの色違いの白不動尊があった。


智証大師円珍の入唐

入唐の足跡のパネルを見て、先人の円仁(794年〜864年2月24日)を思い出した。円仁は円珍より10年程前、唐に渡っており、克明な入唐求法巡礼行記を記述している。これが無茶苦茶興味深い。もとい、これを分かり易く解説した、E.ライシャワー博士の「円仁 唐代中国への旅―『入唐求法巡礼行記』の研究」(講談社学術文庫)がとても面白いのだ。旅行記や冒険記が好きな私としては、もし、今まで読んだ本のベスト100冊のリストを作るとしたら、絶対に入れるだろうというくらい。そう書きながら、パラパラめくって、また読みふけりそうになる。

そのライシャワー博士の「円仁 唐代中国への旅〜」によれば、確か、その当時の日本の造船技術や航海術はあまり芳しいものではなく、海流に乗ったはいいが一体どこの港に着くやら神頼み、というような状況だったらしい。円仁も1度目の入唐は失敗している。ここで展示している円珍の入唐も最初は台湾あたりに行ってしまった。

また、先人の円仁が唐から帰ってきたのは847年であるが、その頃、唐では会昌の廃仏が起こり仏教が弾圧された上に街の治安も悪くなって、事実上、国外追放されて危機一髪の状況で日本に帰ってきたのだった。一方の円珍が唐に渡ったのは、更に下ること860年代であり、円仁の時代より更に多くの苦難の連続であったろうことが容易に予想できる。そもそも、円仁達が最後の遣唐使一行であったわけで、円珍遣唐使ですらなかったのだ。「円珍台州温州公験(国宝、6通1巻、東京国立博物館、唐時代 大中7年(853))」というのは、唐の政府が出した通行証だ。これを手にした時の円珍の喜びようが目に浮かぶようだ。

国清寺求法目録(国宝、円珍加筆、1巻、三井寺、唐時代 大中11年(857))」は、持ち帰った品の目録のひとつのようで、瑠璃瓶子、寫眞、三重寺因起、白芥子等と品目名が書いてあるのだが、「寫眞」って何だろう?まさか9世紀に写真は無いだろうし。


僧正遍照円珍書状(国宝、円珍自筆、1巻、東京国立博物館平安時代 9世紀)

意外に字がヘタだった。何ゆえ?ひょっとして、光悦みたいに通風とか?


善女龍王像 定智筆1幅和歌山・金剛峯寺平安時代 久安元年(1145)

女性でありながら、眉は太く髯も生えた男性さながらの様相。手には三つの如意宝珠を持っている。謎が謎を呼ぶ、不思議な図。

善女龍王という表示を見て、お能で良く出てくる変成男子(へんじょうなんし)の話を思い出した。お能で、後シテの女性が、「女性は成仏できない」と嘆くと(注:仏教では、いつの間にか女性は五障のために成仏できないということになっていた)、ワキの僧が、「法華経には龍女が男性に変わって仏になるという変成男子の話があります。草木国土悉皆成仏疑いなし」等と言うのだ。草木から土まで悉皆成仏疑いなしなのに、なんで女性だけ女→龍→男→成仏というステップを踏まないといけないのさ!などと僻みたくなる。

wikipediaによれば、善女龍王というのは、八大龍王の一人、娑伽羅王の娘で、法華経提婆達多品に出てくる龍女の姉妹らしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B

この善女龍王が有名なのは、弘法大師が日本で最初に神泉苑で善女龍王に雨乞いをして雨を降らせたからだという(今昔物語集)。何となく、奈良の龍穴神社とか京都の貴船神社では先史の時代からやってそうに思っていたが、「龍に雨乞い」というのは、弘法大師が導入した仏教の最新テクノロジーだったのだ。すっごい。

で、気になるのは、何故、三井寺に善女龍王図があるのか、ということなのだが、三井寺の別名の由来でもある、天智・天武・持統天皇の産湯に使われた閼伽井から龍が夜な夜な出てきて琵琶湖で暴れたという伝承があったらしいので、それと関連あるのだろうか。

梵鐘(国宝、1口、三井寺、高麗時代 太平12年(1032))

ええ、これって三井の晩鐘?ってちょっと焦ったが、違うらしい。小ぶりで優雅な梵鐘。龍頭がかわいい。


ああ、三井寺にも行ってみたいし、お能三井寺も観てみたい。