国立能楽堂 定例公演  鞍馬参り 三山

狂言 鞍馬参り(くらままいり) 丸石やすし(大蔵流
能  三山(みつやま) 水上輝和(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1820.html

鞍馬参り

急に鞍馬参りをするので供をするように言われた太郎冠者。それだけでも迷惑なのに、主人に一晩祈祷で通夜をするので寝ずの番をするように言われ、ますます不満に思う。さらには、酒や茶を振舞ってくれる宿坊に行きたいと申し出ても却下される。ところが、明け方の夢の中で太郎冠者は福を授かる。そのことを聞いた主は、それは自分が祈祷して頂いた福だから寄越せという。素直に渡す気にならない太郎冠者は、あることを思いつく…というお話。

一番最初に、鞍馬参りをするので、刀か弓か鉄砲を持ってくるように太郎冠者に申し付けるところがある。鉄砲が出てくるということは、16世紀後半のお話だろうか。

話は他愛のないものだけど、面白かった。ここ最近では一番笑ったかも。


三山

作者不詳のようだが、いつ頃出来た曲なのだろうか。というのも、歌舞伎で使われる演出テクニックを思い出せるものがいくつかあって、不思議だなあと思ったのだ。

例えば、シテは前場の第一声を、お幕の内からワキに声をかけていた。歌舞伎では、揚幕内や舞台裏から台詞を言って、颯爽と登場するというのは、主人公を印象付けるための常套手段だ。それから、桜子と桂子が後妻打で桜の枝と桂の枝で打ち合うところがあるが、歌舞伎の立ち回りでは、桜の枝を武器に見立てて花四天と呼ばれる捕手が立ち回りを演じることがある。

単なる一致なのか、歌舞伎が取り入れたのか、または歌舞伎から取り入れられたのか(などということがあるのかどうかは知らないが)、とっても気になるのである。

三山の話自体は、采女と求塚と葵上が複雑に絡み合ったようなお話で、話題盛り沢山なところが名作にはなれなかった所以だろうか。

後妻打の場面を見ていて、葵上を思い出した。が、ふと考えてみれば、六条御息所は、後妻打というより先妻打といった方が正確なのではないだろうか。後妻打の典型として挙げられる葵上vs.六条御息所が実は例外の例だったなんて、面白い。