新国立劇場 黒船

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000012_opera.html

山田耕作が作曲した日本のオペラ第一号という黒船。日本と西洋について、沢山のことを考えさせられた。

まず、第一幕の前に、幕が上がり、盆踊りを主題とした曲である、「叙景」が演奏される。冒頭から、この曲の美しさ、せつなさに深く感動してしまった。情景で言えば、川瀬巴水の版画絵にありそうな、陽が沈み、星が出てくる夕暮れに行灯の火を灯したような音楽。日本の旋律を受けて、R.シュトラウスばりの繊細な西洋音楽が展開されていく。初演では、この叙景は、削られたというが、むしろ、この序曲こそ、このオペラの白眉だと思った。

第一幕以降は、唐人お吉の話をベースとした、アメリカ駐日領事とお吉の恋物語に、尊皇攘夷の思想を持ち、お吉に領事を暗殺するよう教唆する吉田という浪人の話が絡んで展開していく。はずなのだが、パンフレット記載のあらすじを読めばかなり複雑な筋であるにもかかわらず、オペラ上では、その場その場の叙情的なアリアは歌われるが、ほとんどストーリーらしいストーリーは見えてこない。むしろ、オペラというよりは、メドレーという感じだ。

山田耕作は、ソナタ形式などの論理的・抽象的な楽曲の音作りは日本人には向いておらず、オペラのような緩やかな構造を持つものこそあっている、という考えを持っていたらしい。これが、ほんの50年近く前まで生きていた人が、考え抜いて、たどり着いた結論なのだ。日本という国が、ここ百年ぐらいで、如何に変わってしまったのかを思うと、しみじみと感慨深い。例えば、私などは、山田耕作の言うところの論理的・抽象的な普通のクラッシックの楽曲の方がずっと理解し易く、論理的に理解することが出来ず、言語的文化的理解を必要とするオペラをむしろ苦手と思ってきた。恐らく、音楽を習ったことのある人には、同じ考えを持つ人が少なくないと思う。そして、私にとっては、西洋のオペラより、むしろ、山田耕作のオペラの方が理解が難しいのだった。

日本の音楽と西洋の音楽の融合は、このオペラの最も重要な主題で、これに対してどのような解決を提示するかという問題が、耕作の前に立ちふさがっていた。何よりも、日本語の五七調・七五調の音韻が音楽にもたらす強固な影響力というものに、私は改めて気づかされた。例えば、このオペラの叙景では、歌は全体の三分の一程度に過ぎず、残りは、器楽演奏のみなのだが、その器楽演奏のみの部分では、日本の旋律と西洋の旋律の美しい融合を見ることができる。しかし、第一幕以降、台詞やアリアは、意図してか無意識かは分からないが、ほとんど全て五音か七音で構成されており、このリズムが、四拍子を主体とする西洋の音楽との融合を難しくしているのである。結果、五音や七音を四拍子に乗せるために、どこかの音符を伸ばしたり、八分音符に変えなければならず、これが、私達が小学校で習ったような歌が、一種独特なメロディ・パターンを持つ、大きな要因のひとつなのだった。この五音、七音の呪縛に耕作は真正面から対峙しているのだが、そのために、詞の部分の日本の旋律と、地の部分の西洋的な旋律と、という形に分かれざるを得ないのだった。

また、耕作は、このオペラの中で沢山のことを試みているのだが、結果的に、それが、このオペラの混乱の原因となっている。例えば、ある歌詞では文語を使い、別の歌詞では口語を使う。英語も使う。さらに、悲しい歌詞に長調の明るい旋律をつけたり、盛り上がるべきところで、静かな音楽が用いられたり。また、演出も、ささいな点ばかりだが、混乱に拍車をかけている部分もあった。例えば、畳の部屋に武士が座る時、畳のヘリを踏んだり、地位の高い人が下手にいたり、上使にぞんざいな態度をとったり、背景に映し出された尊王攘夷という文字が何故か、庶民の娯楽、歌舞伎等で用いられる勘亭流のタイプフェイスを使っていたり。結局、耕作が、日本に西洋の音楽を根付かせようと試行錯誤する中で混乱を招かざるを得なかったが、初演(1940年)から70年近くたった今、現在の私達は、既に、当時のことを正確には理解できなくなっているのであった。私は何度も迷子になった気分を味わった。

このような状況で、私は、このオペラに不満だったかと言うと、決してそんなことはないのだ。このオペラは、現在という時点からみれば、様々な欠陥を持つかもしれないが、ひとつ、ダイアモンドのように輝く美点がある。それは、その音楽の繊細な美しさだ。それは、様々な欠点を以ってしても、消し去ることの出来ない耕作の個性であり、日本と西洋の狭間に引き裂かれながらも、文化を超えて通じる言語であった。