国立劇場小劇場 文楽9月公演 第一部 良弁杉由来、増補忠臣蔵

南都二月堂 良弁杉由来
志賀の里の段、桜の宮物狂いの段、東大寺の段、二月堂の段
増補忠臣蔵
本草下屋敷の段

良弁杉由来

明治百五十年記念公演の一つ目の演目。
三味線の名人、豊澤団平が作曲しただけあって、音楽的に聞き応えのある作品でした。ちょっと団平の音楽に開眼してしまったかも。


良弁を何の気無しにWikipediaでチェックしたら、相模国漆部(うらべ)氏の出身で鎌倉の生まれと書いてあり、別伝で近江国百済氏の出という説もあるとのことだった。お江戸の人間なので、つい、「志賀でなくて鎌倉の話だったら親近感が増して面白いのに」と思ったけど、さすがに鷲が子供を相模の国から大和の国の東大寺まで運ぶとかいう話になってくると、ちょっとまずいですね。これでは、どうやって運んだのかの方が気になって、話に集中できない。とはいえ、今回、鷲を新調したのか私の記憶が飛んでいるのか、下手したら人形より大きい、筋骨隆々な鷲が出てきて、驚きました。


「志賀の里の段」と「桜の宮の段」は、床は両方掛け合いです。掛け合いの場合、特に太夫の方の出来の当たり外れが激しいので、今回はどうなるのかと思っていましたが、「志賀の里の段」も「桜の宮の段」も外れ無し。特に「志賀の里の段」は、睦さん以下は小住さん、亘さん、碩太夫さんと、若手ばかりで期待するのは難しいかなと思ったけど、むしろフレッシュな好印象の語りでした。またどちらの段も三味線も良かったです。うち、「志賀の里の段」は、シンが清友さんだったのですが、どちらかというと「太夫を立てる三味線」という印象の清友さんが、光丸が鷲に掠われて以降、パワフルな三味線で印象的でした。

渚の方の人形は、和生さん。和生さんの老女形、特に位の高い女性は凜としていて大好きです。


「桜の宮物狂いの段」では、渚の方は物狂いとなって三十年も我が子、光丸を探している。昔の説話では、子供をさらわれた親は物狂いとなってさまよい歩くと相場が決まっている。

その「物狂い」について、私自身は「物狂い」というのは、心の葛藤の文学的表現なんだじゃないかと思う。今までは、渚の方も昔の説話の物狂いとなった親の姿を踏襲していると思っていた。けれども、人は心に葛藤があるときには探しているものは見付からず、葛藤から解き放たれた瞬間に、見付かる。この場面では、渚は「水面」に自分の姿を映すことによって、我に返る。自分を客観視することの象徴的表現とも解釈可能だと思う。渚の方が水面に映る自分の姿を観て我に返るというのが、興味深かった。

床は津齣さんと藤蔵さんがシン。前のめりな「パワーがあり余ってる感」が藤蔵さんの三味線の魅力です。

「桜の宮物狂いの段」を聴いているうちに、三味線のメロディが他の浄瑠璃とはかなり違うことに気がついた。普通は三味線のメロディには「こういったくだりやシチュエーションには、こういったメロディが付く」という節のパターンが沢山あり(節の名前は全然分からないけど)、浄瑠璃はほとんどその組み合わせで出来ている。しかし、この「良弁杉由来」の場合は、普通の浄瑠璃に出てくる節は、泣きの時の表現などごくわずかで、あったとしても基本のパターンのバリエーションになっている。それ以外は全てオリジナルなメロディだ。しかもそれが、自然に湧き出るように流れていくのだ。

近代の浄瑠璃の名作曲家といえば、『曾根崎心中』を作曲した松之輔だが、彼のメロディは、とてもキャッチーだ。私のように全然三味線が分からない者にも分かりやすい。今まで「松之輔すごいな」と思っていたけど、作曲という観点で団平を聴いてみると、松之輔も、団平から学んでいる部分が大きい気がしてきた。たとえば、独自のメロディを付けて音楽性を全面に出すことで、そのままでは単調になってしまう浄瑠璃を聴いて面白いものにする工夫などだ。そして団平のすごいところはメロディが自然で、流れるようであるところ。松之輔がモーツアルトなら、団平は(順番が逆になっちゃうけど)ベートーベンといったところでしょうか。清治師匠は、リヒャルト・シュトラウスかな?(ああ、『不破留寿之太夫』とか、杉本文楽の『女殺油地獄』の「豊嶋屋の段」とか、「三茶三味」の「三味線組曲」、『曽根崎心中』の「プロローグ」とか、「観音廻り」とか、「お初徳兵衛の道行」など、もう一度、聴きたい。もうお蔵入りなんだろうか?素浄瑠璃で良いからやってほしいです!)

今まで作曲という観点から団平を聴いたことがなかったけど、団平に開眼、とはいかなくとも、薄目が開いた気がします。


「二月堂」は、良弁が出てくる前の、お供の奴達のアクロバティックな芸を披露する。纏(まとい)を持った奴達が纏を別の奴に投げてよこすのだが、これが結構大変そう。こういうのを観ていると、「道行初音旅」の扇投げって実は大変なのかなと思う。

また、最後に渚の方を載せるための輿が出て来る。以前観たものでは、語りではたしかに「輿」なんだけど、実際に出てきたのは輿ではなく駕籠だったことがあったような。文雀師匠が、駕籠に乗って駕籠の小窓から渚の方の顔を出す、という演出をしたことがあったのを覚えています。輿だと、あまりの仰々しさに、さすがに渚ならずとも引いてしまうので、駕籠という演出も生まれたのかな?などと想像しました。


「二月堂の段」の床は千歳さん、富助さん。私は以前聴いた綱太夫時代の源太夫師匠のや女議の駒之助師匠の「二月堂」の印象が強すぎて、残念ながらどうしても違和感をぬぐえませんでした。源太夫師匠の「二月堂」は端正で高貴、駒之助師匠の渚の方は、太陽のような渚の方と良弁の心温まる物語。一方、千歳さんと富助さんの床は、お二人らしく慟哭・涙と、激情型の表現でしたが、私は「二月堂」に激情型のイメージを持っていなかったため、浄瑠璃に入り込めず、冷めた気持ちで終わってしまいました。自分の印象にとらわれず、虚心坦懐に聴くというのは、とても難しい。

パンフレットの児玉竜一氏の解説によれば、団平が作曲したこの作品を後の山城少掾が得意とし、またその弟子の越路太夫も名演だったとか。千歳さんはその衣鉢を継ぐということで、今後も「二月堂」を育てて行かれるということなんでしょう。またいつか、千歳さんの「二月堂」を聴く時には、虚心坦懐に聴きたい。ところで、児玉竜一氏の解説には、「山城少掾引退後は、八代目綱太夫と四代目越路太夫らによって受け継がれました」ともあります。咲師匠の「二月堂」も聴いてみたいです。でも、咲師匠は『二月堂』というイメージじゃないか…。


良弁は玉男さん。渚の方は和生さん。

玉男さんの良弁上人は素敵です。考えてみれば、今月は数ある浄瑠璃の登場人物野中でも指折りの悪党、良弁と対極といっていい義平次を二部で演じてられています。玉男さんは二枚目を遣われることが多いので、何となく似たような役を多くされるイメージがありますが、実は引き出しの多い方なのだということが改めて証明され、感動でした。

和生さんの渚の方は、多分、虚心坦懐に観ることが出来れば、良い出来なんだと思います。そう頭では理解しているのですが、文雀師匠のファンだった私は、どうしても文雀師匠ロスの病が出てしまいます。渚の方は文雀師匠の得意としていたお役のひとつで、文雀師匠の、あの可愛らしい、生き生きした渚の方の姿と、その一つ一つの所作が脳裏に蘇り、悲しくなってしまいます。

多分、ファンだった名人が次々と亡くなってしまうというのは、古典芸能の観客版の「死の谷」ですね。私は文雀師匠ロスから、いつか立ち直ることが出来るのでしょうか…。


増補忠臣蔵

明治百五十年記念公演の二つ目の演目。

直前の演目の「良弁杉由来」で団平の曲に注意が行ったので、こちらも三味線の節に注意を向けて聴いてみましたが、すがすがしいほどお馴染みの節ばかりで構成され、曲の流れは予定調和的です。児玉氏の解説によれば「明治十年代には、『仮名手本忠臣蔵』を九段目まで通す中に、挿入される形で上演されていたようです」とのことです。つまり、団平と同じ明治時代の作品とはいっても、こちらは『仮名手本忠臣蔵』に挿入して違和感のないよう、むしろ意識して『仮名手本忠臣蔵』当時の節を忠実に踏襲したということなのでしょう。

それでも、聴いてて面白くないかというと全然そういうことはないのが興味深いところです。特に、咲師匠が復調され、とても素晴らしい語りでした。若狭之助の情けをかける若殿と本蔵の会話がとても演劇的で、こういった歌舞伎的な、大人の味わいを得意とする咲師匠にぴったりです。台詞の応酬で浄瑠璃が進行していきますが、間とリズムが素晴らしく、うっとりといつまでも聴いていたい浄瑠璃です。最後は若狭之助の妹の三千歳姫が琴を弾くのですが、こちらは燕二郎さんが琴で燕三さんとの師弟共演となりました。


人形は幸助さん改め玉助さんの若狭之助と、玉志さんの本蔵です。ライバル同士のお二人が、それぞれの雰囲気を象徴する性根の人形を遣われていて、とても面白かったです。