国立劇場小劇場 文楽素浄瑠璃の会 袖萩祭文 碪拍子 新口村

にっぽん文楽の霧雨に続き、文楽浄瑠璃も霧雨の中の会となりました。誰が雨男なのでしょう?にっぽん文楽と被っている演者といえば、千歳さんか富助さんか…?燕三さんがそういえば以前のトークで雨男とおっしゃていたなあ。


奥州安達原 袖萩祭文の段

太夫さん、清介さん。

にっぽん文楽を観た翌週だったので、冒頭、小劇場の音響の良さに改めて驚愕しました。素晴らしいです。


とはいえ、呂太夫さんは声量が大きい方ではないので、多分技術的にも情の上でも素晴らしいのだろうと想像するのですが、私のような初心者では、その語りだけを頼りに物語に入っていくのは難しい部分がありました。もっと勉強しないといけないのでしょう。


また、呂太夫さんと清介さんのテーマの提示に違いがあるように聴こえて、興味深かったです。呂太夫さんは浜夕やけん丈のクドキの部分に力点を置かれていましたが、清介さんは、貞任や宗任の出など男性的・勇壮・厳しさといったな時代物のエッセンスを感じさせる部分でかけ声を入れたり、三味線の皮が破れんばかりの勢いで弾かれたりしていました。


楠昔噺 碪拍子の段

最近、本調子でないことが多い咲師匠ですが、この日はかなり調子が良くいらして、うれしくなりました。


茶目っ気たっぷりの咲師匠は、とぼけた感じで語ったりして、とても楽しい段でした。忠臣蔵の七段目とか、伊勢音頭の油屋の段とか。咲師匠にしか出せない味で、大好きです。


三味線の燕三さんも良かったです。咲師匠と燕三さんの息もぴったりです。太夫と三味線の組み合わせは固定していない方々の方が圧倒的に多いですが、相三味線を組むことの意義を思わされました。それから、メリヤスを燕三さんと一緒に弾いたのは燕二郎さんでしょうか。最近、燕三さんが燕二郎さんの活躍の場を作ってあげているのを見ると、いいなあと思ってしまいます。


とにかく、咲師匠が調子が良くて本当に良かったです。


傾城恋美脚 新口村の段

千歳さんと富助さんの新口村です。このお二人の新口村は初めて聴いた気がします。


聴く前は、今の千歳さんなら本公演で新口村だって全然アリなのでは…と思っていました。しかし、新口村は、私が聴いたことがあるものだけでも、住師匠、綱太夫時代の源太夫師匠、嶋師匠と、お歴々の名演があり、当たり役にしていたぐらいで、どうしても聞き比べてしまいます。名作ならではの難しさです。それでも千歳さんの迫真の演奏は、それらの方々の円熟した浄瑠璃とはまた違った魅力がありました。


面白いなと思ったのは、孫右衛門の忠兵衛に早く自首するよう促しておきながら、忠兵衛が本当に出てこようとすると「ああ、今ぢゃない、今ぢゃない!今のことではないわい」というところ。ここは、その前がクドキなので、笑っていいのか、それてもシリアスな場面の続きなのか、イマイチよく分からないことが多い気がします。わたしとしては、滑稽さを狙っている部分なのかなあと思っていました。というのも、以前、歌舞伎で新口村を上方の役者さんの座組で観たとき、孫右衛門の異見を聞いた忠兵衛(藤十郎丈)が、戸を開けて、「パパ、ごめんなさい!」と言わんばかりにあたふたと出てきたのを、孫右衛門(どなたか失念)が驚いて、「ああ、今ぢゃない、今ぢゃない!」と、これまたおろおろと別間に押し戻すところが、悲しい場面な故に滑稽で、ものすごくはまっていたのです。それで、江戸時代の大坂の人達は、こういう笑いが好きだったのかなあなどと漠然と考えていました。

が、今回の千歳さんは、この場面をシリアスにやっていて、これはこれで説得力があって、なるほどなと思いました。

また、今回、千歳さんの新口村を聴いて、千歳さんは世話物をやるなら、嶋師匠のやっておられたような華やかなものよりは、住師匠が得意としたような時代世話の、渋い系が合ってるなと思いました。


というわけで、三つの演目を3時間半に亘って聴きました。でも、浄瑠璃を満喫したかというと、残念ながら、そうでもありませんでした。今、私が聴きたいのは、以前の咲師匠・燕三さんの金殿のようなもの、綱太夫時代の源太夫師匠のようなもの、住師匠のようなもの、そして録音でしか聴いたことはないですが、越路太夫のようなもの。そういう、なるほど、そんな解釈があったのかとか、こう演奏するのかと唸るような面白いものが聴きたい。どなたか、そんな義太夫、やってくれないでしょうか。