国立劇場 文楽鑑賞教室 Aプロ 日高川入相花王 新口村

日高川入相花王 渡し場の段

希さん・紋臣さんの清姫と咲寿さん・紋秀さんの船頭、三味線のシンは清馗さんです。紋壽さん門下だった紋臣さん、紋秀さんはさすが、安定感があります。

この物語は道成寺伝説を元にしたものですが、考えてみると、現行曲としては、この段のみが残っているというのも興味深いです。というのも、お能の現行曲の「道成寺」やその元となった「鐘巻」でも、歌舞伎舞踊の「道成寺」でも、物語のクライマックスは、主人公の娘が鐘入りする場面です。しかしこの渡し場の段は、位置的には道成寺に入る前のお話にあたるはずです。曲が良かったのか、肝心のクライマックスが意外に盛り上がらない内容なのか?ある意味、観飽きた渡し場の段ですが、他の部分も読んでみたい気がしてきます。

今回の渡し場の段は、最初はしっとりと優しい感じで始まりました。清姫安珍を必死に追ってきて、最終的には蛇になる程の執心なのに、しっとりとした優しい感じの演出したのは、「姫」という名前の人物を表現したり、後半のクライマックスとの対比を狙ってという感じでしょうか。ただ、緊迫した場面の割には、ちょっと優しすぎな感じもしました。

最後の三味線はスピード感やグルーブ感のある演奏で、紋臣さんの清姫も情の深さ故の激しさなのでした。


解説

太夫解説は靖さん、三味線は友之助さんです。今回は、なんと友之助さんのいつもの三味線解説ではキムタク、アントニオ猪木の物まねは封印。時代の波を感じました。

人形解説は「なんだかんだ言って男前」の玉翔さん。関西のノリで、笑えます。


傾城恋飛脚 新口村の段

鑑賞教室で新口村なんて、初めて観る方や学生さんにはピンと来ないのではと思いましたが、色々演出上の工夫がありました。

まず、普段は省略されることの多い、節季候、古手買い、巡礼姿の八右衛門が出てくる冒頭から始まりました。これで、孫右衛門の「お上からも隠し目付、或ひは巡礼古手買、節季候にまで身をやつし、この在所は詮議最中」という部分の意味が分かるということなんだと思います。他にも、和生さんの梅川が延べ紙をちぎって拠ってこよりにして、簪を使って鼻緒をすげたり(省略されることも多いと思います)、孫右衛門の紙と梅川の紙を交換するとき、孫右衛門の紙が見た目にも分かる褐色で、梅川のちり紙が良い紙なのだろうと分かりました。

そういえば、いつも、「孫右衛門はいつ飛び出してきた女性が梅川だと分かるのだろう?」と思っていたのですが、考えてみれば、孫右衛門は梅川を一目見た時から、梅川ではと思ったのだということに気がつきました。孫右衛門は忠兵衛を探して村の人々と歩き回っていた時に、家来同様の忠三郎の家に来たわけです。勝手知ったる家から、都会風の粋な着物を着た、見知らぬ美しい若い女性が出てきたら、その人はをみてピンと来たに違いありません。また梅川もそれを覚悟で、出て行ったのでしょう。しかし名乗る訳にはいかないので「私が舅の親父様、丁度お前の年配で格好も生き写し。他の人にする奉公とはモさらさらもつて存じませぬ」と言いますが、この詞を聞きながら、勘十郎さんの孫右衛門は、「やはり、そうか」という感じで視線を下に落とします。人形の表情が変わるはずはないのに、苦渋に満ちた表情に変わるように見えるのが不思議です。

また、いつも興味深いのは、世話物では、クドキのクライマックスでお金の話というより、金額の話がよく出てくることです。梅川が孫右衛門にお金を貰ったとき、「二十日余りに四十両使ひ果たして二分余る」とか告白しますが、普通の物語では一番盛り上がるところで、こんなお金の話は出て来ないですよね。今で言えば、ドラマで今っぽいかんじを出すのにITを使う場面があるとか、リーマンショック以前のハリウッド映画のウォール街を舞台にした物語ではお金が物語の展開の鍵になっているとか、そんな感じなんでしょうか。

今回、一番心を打たれたのは、孫右衛門のクドキの最後の部分です。長い長い台詞の最後の部分で、津駒さんが、「エヽ憎い奴ぢや憎い奴と思へども、可愛うござる」の「可愛うござる」を、それまでの鬱屈した語りから一気に堰を切って溢れるように力一杯語られたところでした。この言葉こそ孫右衛門の本心を象徴する言葉であり、この段の物語全体を貫くテーマなのだと、その時、気づかされました。

というわけで、Aプロの新口村は、勘十郎さんの孫右衛門は言わずもがな、和生さんの梅川も情が深く優しく、幸助さんの忠兵衛も粋な感じ、文字久さん、津齣さんの語りも藤蔵さん、宗助さんの三味線もかなりレベルが高く充実した公演でした。Bプロはどうなのでしょうか。次回Bプロを拝見するのが楽しみです。