国立文楽劇場 新春文楽公演第1部(その2)

初春文楽公演 第1部 午前11時開演
 二人禿 ににんかむろ
 源平布引滝 げんぺいぬのびきのたき
   九郎助住家の段
 傾城恋飛脚 けいせいこいびきゃく
   新口村の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2013/2937.html

傾城恋飛脚 新口村の段

結構、よく聴く機会のある段なのに、改めて聴くとまた新たな発見があるのでした。

冒頭、たしか、「補陀落や岸うつ波は 三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬」という西国三十三所の第一番、青岸渡寺の御詠歌が詠われた気がする。その旋律が、2012年9月に『傾城阿波の鳴門』の「順礼歌」を観た時に聴いた、青岸渡寺の御詠歌と同じ旋律だった。「順礼歌」で聴いた時は、この御詠歌は義太夫節にのせるために旋律を変えてあるのだろうなと勝手に思っていた。今回、青岸渡寺の御詠歌を聴いて、実際に御詠歌通りの旋律なのか気になって後でYouTubeで探してみたところ、義太夫節の御詠歌の方がずっとテンポが速いけれども、雰囲気的には大体、同じといっていい感じ。「新口村」でも「順礼歌」でも同じ第一番の青岸渡寺が詠われているということは、当時の観客は西国三十三所の第一番の御詠歌ぐらいは知っていたのかも。


ところで、今まで新口村の段に関して疑問に思っていたことがあって、それは孫右衛門がどういう人柄なのかということだった。

忠兵衛と実の親の孫右衛門は「久離切つた親子」だと、浄瑠璃の中では説明されている。「久離切つた親子」などというと、『義経千本桜』の弥左衛門や『摂州合邦辻』の合邦のような厳格な父親像を想像し、孫右衛門が忠兵衛の放蕩ぶりに業を煮やし、ある時、怒りに任せて縁を切る…というような状況を連想してしまう。けれども「新口村」を観る限り、孫右衛門はそんな厳しい父親像とは、ちょっと違う印象で、そこのところが不思議な気がしていた。

息子の忠兵衛も、孫右衛門に会いに行けない理由を、「不通といひ継母なり。ことに今の身の上を、お目にかけるは大きな不孝」としていて、その詞には、厳格な父親に対する反発や怖れといったものは感じさせない。

さらに、めんない千鳥の場面も気になる。梅川が、孫右衛門と忠兵衛に今生の別れをさせるために、一計を案じて孫右衛門の目に目隠しをし、二人を引き合わせ、その後、目隠しの手ぬぐいを取って二人がお互いの顔を見ることが出来るようにするという場面だ。もし孫右衛門を弥左衛門や合邦と入れ替えてみたら、この場面は成立するだろうか。弥左衛門や合邦だったら、たとえ目隠しをされていても、会うこと自体を拒絶するか、大いに困惑するのではないだろうか。

いつもそんなことを思いながら「新口村」を観ていたが、今回、嶋師匠の「新口村」を聴いて、孫右衛門はそもそも厳しい父親ではなく、忠兵衛のことを溺愛と言うのが言い過ぎなら、目に入れても痛くないほど可愛く思っていたのではないだろうかという気がした。

それなら何故、孫右衛門は「久離切つた」のかということになるが、想像だけど、純粋に忠兵衛可愛さからそうしたのではないだろうか。

『冥途の飛脚』の「淡路町の段」の描写によれば、忠兵衛は、封印切から遡ること四年前の十六才の時、敷金持って大阪の飛脚屋である亀屋の後家、妙閑のところに養子に来たことになっている。「新口村」では忠兵衛は孫右衛門に会えない理由として「継母なり」というのを挙げているので、養子に行くことになったのは、継母との折り合いの悪さが原因のひとつだったのかもしれない。また、『冥途の飛脚』の「淡路町」には忠兵衛のことを「国細工には稀男」としており、彼は、養子に行く前は、大和国鄙びた在所での暮らしを心底嫌い、放蕩を尽くしていたのかも知れない。孫右衛門は、そういう忠兵衛を立ち直らせたいと悩み抜いた末、一か八かの賭けに出て、持参金付きで妙閑に養子にやった…というストーリーが見えてくる。

大坂の亀屋の妙閑との養子縁組というのは、これ以上ない良い縁組みだっただろう。千両単位のお金を東に西に動かす飛脚屋であればお金に苦労することもない。子供のいない妙閑の跡を継ぐこともできる。孫右衛門が「久離切つた」のも、表向きの理由はどうであれ、孫右衛門の本音としては、心の弱いところのある忠兵衛が安易に逃げ出さないよう、退路を断つという親心だったのかもしれない。「淡路町」では、忠兵衛は「茶の湯俳諧碁双六延に書く手も角取れて酒も三つ四つ五つところ紋羽二重も出ず入らず、無地の丸鍔象嵌の国細工には稀男、色のわけ知り里知りて」と描写されていて、大店亀屋の跡取り息子として年若ながら旦那衆の生活を満喫していた様子が伺える。そんな忠兵衛の話を風の噂に聞いた孫右衛門は、忠兵衛を「利発で器用で身をもつて、身代もよふ仕上げた」と内心嬉しく思い、自分が「久離切つた」決断は間違っていなかったと感じた時もあったかもしれない。

しかし、忠兵衛は、その飛脚屋という家業が仇となって、公金の封印切をしてしまうという重罪を犯してしまった。

「新口村の段」で、孫右衛門は梅川との会話の中で、「久離」切ったという詞を何度も繰り返す。もちろん孫右衛門と忠兵衛が「久離」切った親子であるためにお咎めは受けないという事情もあるだろう。しかし、もっと大きいのは、この封印切の重罪は、もし四年前、孫右衛門が「久離」切って大坂に養子に出さなければ、起こりようがなかったのだという、身を裂くような後悔ではないだろうか。その後悔が孫右衛門の心を苛(さいな)んでいて、どうしても彼の思考はそこに立ち返ってしまうために、彼は何度も「久離」切ったことを口にするのではないだろうか。

忠兵衛と久離切ってしまった孫右衛門にとって、罪を犯して逃げている忠兵衛に対してしてあげられることは、本当に限られている。孫右衛門が梅川に、
「これは京の御本寺様へ、上げふと思ふた金なれど、嫁と思ふてやるではない。たゞいまのお礼のため。これを路銀にちつとなと、遠い所に行て下され」
と言って、巾着から取り出した金一包を渡す場面がある。私は今まで浅はかなことに、文字通り、本当にたまたまお寺への冥加金を持ち合わせていたのだと思っていた。けれども考えてみれば、実の息子を大勢の捕手のみならず村人までが総出で探し回っている時に、京の御本寺に奉納金を持っていこうとするような悠長な親があるだろうか。これは最初から忠兵衛と会った時に渡すためのお金として持ち歩いていたに違いない。

そう考えてみれば、今まで考えてみたことはなかったけれども、孫右衛門が家来同然の忠三郎の家に現れたのも決して偶然ではないだろう。不通の忠兵衛は孫右衛門を直接頼ってくるのではなく、家来同然の忠三郎の家の方に来るだろうと察したからに違いない。あるいは、もし忠兵衛とタイミング良く会えなくとも、忠三郎に「京の御本寺へ上げる金」を預けて、そのお金を忠兵衛に渡してほしいと頼むつもりだったのかもしれない。

梅川は孫右衛門からお金を受け取り、その忠兵衛を思う親心に心をいたく動かされたに違いない。梅川の目の前の孫右衛門は、一度でいいから忠兵衛にもう一度会いたいという胸に迫る気持ちと、自分が一人前に出来なかった忠兵衛をそこまで育ててくれた妙閑が、今、牢に囚われており、妙閑へ義理立てしなければならないという気持ちの狭間で葛藤している。梅川は、そんな孫右衛門の妙閑への義理立ての詞の裏に隠された本音を汲み取り、忠兵衛と孫右衛門の親子の対面を果たす手だてを思いつく。

梅川に目隠しを外されて抱き合う孫右衛門・忠兵衛親子は、まるで小さな子供とその親のよう。私は、以前は、忠兵衛の子供っぽさや責任感の無さが好きでなかった。けれども、少なくともこの浄瑠璃の中では、忠兵衛は、梅川や孫右衛門にとっては、かけがいのない存在であることは確かだ。忠兵衛は、浅はかで短慮なやつなのに、その天衣無縫で、器用そうに見えて実は不器用なところが、義理の狭間を縫うようにして、本当の気持ちを押し隠して暮らす孫右衛門や梅川のような出来た人の心を惹きつけるのかもしれない。

親子の再会を果たすも、今生の別れの時はすぐ来てしまう。捕手が迫ってきているからだ。孫右衛門は二人を奥に突きやると、
「コレ/\女中、アノ物音は確かに捕手。この裏道の小川を渡り、藪を抜ければ御所街道。サヽヽ早ふ/\」
と逃げ道を教える。忠兵衛と梅川は大急ぎで教えられた通り、裏道に逃げる。捕手は間違った情報を入手したと見え、反対方向に行ってしまう。孫右衛門は飛び立つように嬉しく思う。走り去ってしまった忠兵衛と梅川に、孫右衛門が出来ることはもう何もないけれども、それでも孫右衛門は、遠くに見える二人に向かって、届かぬ声で叫ぶ。
「オヽそふじゃ/\その道じや。ソレその藪をくぐるなら、切株で足突くな」

その後、あの、孫右衛門がすぼめた傘で頭を隠して泣く場面になるのだけど、私が見た時の孫右衛門(和生さん)は、傘をすぼめつつ、そのまま二人が逃げたのとは反対方向の、下手の揚げ幕に向かって歩いていくのでした。わたしはその時、忠兵衛を溺愛する父親・孫右衛門に無茶苦茶感動していたので、孫右衛門はいつまでも二人の行く先を向いたままでいてほしく(以前観た勘十郎さんとか玉也さんはそうしていたような?)、「えー、孫右衛門、もうお家に帰っちゃうの?」と思ってしまった。

しかし、これを書いてるうちに、ふと思った。観ていた時は、孫右衛門に出来ることはもうないと思っていたけれども、ひょっとしたら、あの足で庄屋さんのところに行って、「忠兵衛が忠三郎の家に来るかと思って行ってみたけど、無駄足だった」とかなんとか、嘘の証言でもした可能性も無くはない気がしてきた。…でも、ほんとは何故、和生さんの孫右衛門は最後、下手に歩いて行ったんだろう?知りたい…。

第一部は他に、

二人禿

曲も人形も大好き。以前、一輔さんが遣っていた禿ちゃんの首が、幼なじみの友達だった子の子供の頃によく似ていた。今回は、簑紫郎さんが上手側で遣っていた禿ちゃんがその友達の顔立ちに似ていた。一輔さんと簑紫郎さんの首は同じものだったんだろうか。それとも遣い方の問題かしらん。


というわけで、ちょっと長めの休憩を挟んで、第二部も拝見しました。つづく。