国立劇場 2月文楽公演 第三部

<第三部>6時15分開演
 御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)
    弁慶上使の段
 本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)
    十種香の段
    奥庭狐火の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/26-2.html

40年ぶりとかなんとかいう雪の最中、最も吹雪の激しい時間帯に、文楽を観に行ってしまいました。気象庁が「無理な外出は控えて下さい」といっているだけあって、初日なのに劇場も人が少な目。私だけでなく、来場した人の多くが、こんな日でも文楽を観に来てしまう自分に内心つっこみを入れていたのではないかと思うような荒天でした。吹雪の中、歩きながら、自然と、去年観た『伊賀越道中双六』の「岡崎の段」のお谷や、『源氏烏帽子折』の伏見里の段で吹雪の中を牛若丸等を抱えて歩く常盤御前、雪責の段の中将姫などを思い出していました。特にお谷は、私の想像の中ではもっと厳しい吹雪の中にいたのです。あれだけの吹雪の夕べ、生まれたばかりの赤ちゃんをつれて雪の中をさすらうのだから、無謀という言葉だけでは説明しきれない、彼女の一途な思いが実感をもって感じられました。


御所桜堀川夜討 弁慶上使の段

外題に『堀川夜討』とつくくらいだから、元々の浄瑠璃のストーリーの山場は堀川夜討だったのだろうけれど、今はどうもこの段しか残っていないみたい。以前、誰の本だったか民俗学の本を読んだ時、昔話というのは、人口に膾炙すればするほど、話が詳細になっていくという話を読んでとても興味深く感じた。というのも私は人を介すれば介するほど、どんどん細かい話が忘れ去られて話が単純化されていくのではないかと想像していたのだけど、実際は逆で、語られれば語られるほど、どんどん尾ヒレがついていくものらしい。この弁慶上使の段を観て、そんなことを思い出した。というのも、弁慶の外伝のようなこの物語の中の弁慶には、実は娘がいて、その娘と対面するやせずやで娘をお主のために犠牲にしなければならなかった…なんて、いかにも江戸時代の人の好みに合わせた弁慶像だから。実は、お話的にはイマイチ無理があって、どのあたりに標準を合わせれば自分が感動できるのか、よく分からず。そのかわり、玉也さんの弁慶、和生さんのおわさ、一輔さんの信夫をはじめとする人形も、床の三輪さん、清馗さん、英さんと団七師匠が大熱演で楽しめました。


本朝廿四孝

『十趣香の段』は簑助師匠の八重垣姫と文雀師匠の濡衣に嶋師匠と富助さんの床、『奥庭狐火の段』は勘十郎さんの八重垣姫に呂勢さん、清治師匠の床と、私にとってこの演目を観るならこれらの方々で観たいという人々で演じられ、しかも気迫に満ちた本当に素晴らしい舞台で、吹雪の中を観に来た甲斐がありました。きらきらとした宝石の詰まった宝石箱をそっと覗き込むような二つの段は、八重垣姫の可憐で妖艶な美しさと、近松半二の華麗な詞章と繊細な三味線の旋律が相まって、本当に時間さえあれば毎日でも観たい、聴きたい段なのでした。

十種香の段

ひさびさに文雀師匠の凛とした、いかにも武士の娘という感じの娘を観ることができて満足。濡衣は『本朝廿四孝』の他の段によれば、藤道三の娘というのだから、きっと、あんな風に、八重垣姫とはまた違った凛とした強さと一途さをもった娘に違いない。

簑助師匠の八重垣姫も、可憐で優美で純情なお姫様。そのクドキに付けられた振りのひとつひとつが詞章や語り、三味線と調和していて、いつまでも観ていたくなるような姿。

奥庭狐火の段

冒頭、暗がりの中、狐火が二つ緑色の炎を上げながら飛び回り、幻想的。私は劇場まで来る道すがら、吹雪の中を歩きながら、八重垣姫が勝頼を助けるために諏訪湖の氷上を渡ろうとする「奥庭狐火の段」の場面設定は相当な寒さの季節だろうなと思っていた。しかし、書割には真っ赤に紅葉したもみぢが描かれていて、少なくとも2月の大雪の東京よりは暖かそうな感じで、今更ながら、ちょっと意外に思った。身代わりの勝頼の命日である霜月廿日の信州って、どんな感じなんだろう。

そういえば「紅葉」と「氷」というと、藤原家隆の「竜田川紅葉を閉づる薄氷渡らばそれも中や絶えなむ」(壬生集)という歌が思い出される。お能の「龍田」の前場では、龍田明神の巫女(実は龍田姫)が参詣に来た旅の僧に対してこの歌が引き、「紅葉を閉じこめる龍田川の薄氷を割って(「中絶えて」)踏み渡るのは、紅葉を氷で閉じこめた龍田明神の神慮に背く行為です。」と戒める場面がある。ひょっとすると、「奥庭狐火の段」のあの紅葉の木々は、このエピソードを下敷きとしたものなのかも。つまり、諏訪法性の兜のご加護により八重垣姫が諏訪湖の氷を割ることなく渡ことができるは、八重垣姫の勝頼を助けようとする行為が神慮にかなっているからで、また勝頼との「中(仲)も絶え」ないということを暗示した、お芝居の中の、ちょっとした判じ絵のような謎かけだったりして…?本当のところは、どういうことなのだろう。

話を戻すと冒頭、舞台では勘十郎さんの狐が現れるが、これが以前に増して本物のような狐。狐が上手側の離れの屋敷に祭られている法性の兜の下に消えると、すぐに同じ勘十郎さんの八重垣姫が下手の切戸から出てくる。床は繊細で謎めいた検校の唱歌の下りから、八重垣姫のクドキとなる。法性の株尾の不思議な力に気づいた八重垣姫が、狐に乗り移られたかのようになる場面では、まるで勘十郎さんや清治さんの三味線に狐が乗り移ったかのよう。「誠や、王国諏訪明神は狐を以て使わしめと聞きつるが」以降は、我に返った八重垣姫の華やかで力強い語りと鬼気迫る人形で、拍手喝采で終わるのでした。