国立劇場 2月文楽公演 第二部

<第二部>2時30分開演
 染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)
 油店の段、生玉の段、質店の段、蔵前の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/26-2.html

染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)

以前、文楽劇場で観たことがあった。その時の印象は、チャリが面白かったものの、大した理由もなく久松とお染がそれぞれあっけなく死んでしまうという、ひじょーに後味の悪い話、というものだった。今から思うと、その時は「油店の段」と「蔵前の段」(省略あり)だったのだ。でも、今回は、「生玉の段」と「質店の段」が出た。こうやって前回省略されたところも含めて観てみると、省略されていた部分こそ、この物語の面白さの源泉に当たる部分なんじゃないかという気がした。この段も含めて観ると、『染模様妹背門松』の印象が全然違って、お染ちゃんと久松の物語を真っ向から扱った、十分見応えのある物語という感じがした。そして、近松半二の『新版歌祭文』が改めて思い出された。『新版歌祭文』では『染模様』で深堀りされなかった、いわばオフ・ビートの部分――久作住処と久松のいいなづけのおみっちゃんの話(野崎村の段)、お染が身重であることが母に分かってしまい子供を堕ろすよう説得される場面(蔵場の段)等が見せ場として用意されている。おそらく半二としては、菅専助と同じようにお染久松を真っ向から扱っても二番煎じと思われるだけと考えて、敢えてこのような構成にしたのだろう。なるほど、だから『新版』の『歌祭文』なのだと思った。

また専助のかかわった作品である『染模様妹背門松』や『摂州合邦辻』、『桂川連理柵』を考えてみると、専助は、真正面から男女の情や親子の情や悲劇と向き合って物語を描こうとする直球勝負の人だったのかなという感じがする。半二が技巧派であるのは、彼の性格的なものもあるかもしれないけれど、同時代にライバル的存在として専助のような人がいたというのも大きかったのかもしれないという気がする。

油店の段

「油店の段」と「質店の段」って、お染ちゃんのお家は多角経営ということなんでしょうか。「油店の段」は善六と源右衛門の二人が間抜けで、笑える段。楽しいことに入れ事もあって、私が行った日はちょうど都知事選だったので、善六が源右衛門の色紙の入った箱を改めようとした開けたら、「大江戸都知事選」とかいう垂れ幕が入っているというような仕掛けがあった。他にも、「じぇじぇじぇ」とか「今でしょ!」とか「倍返し!」とか去年の流行語大賞の言葉が、うまい具合に織り込まれていた。秋の地方公演の『生写朝顔話』の「笑い薬」の段といい、咲師匠、絶対にこーゆーの好きに違いない。

それにしても、私は頼りない久松くんより山家屋の清兵衛の方が良いと思うのだけど、どうしてお染ちゃんは久松に首ったけなのだろう?清兵衛がもし、去年12月に観た『恋娘昔八丈』のお駒ちゃんと無理矢理祝言を上げようとした喜蔵とか「封印切」の八右衛門みたいなタイプだったら、お染ちゃんが久松の方の方が良いっていうのも分かるけれども…。そう思うと、なぜ、専助は清兵衛をああいうカッコよくて人間的にも男気のある人にしたのだろうと、考えてみたくなる。浄瑠璃には「二夫にまみえず」という言葉がよく出てくることを考えると、江戸時代の人々にとっては、清兵衛がかっこよくて、お染ちゃんの事情を全てのみこんで万事上手くいくようにしてくれる人だと分かっていても、二夫にまみえず、久松を一途に思っているところが共感を呼んだのだろうか。

生玉の段

お染と久松が地蔵めぐりに生玉神社を訪れるという場面。地蔵めぐりというのが、地獄への道を暗示している。二人でお互いを褒めあいつかの間のデートをした後、お染久松の歌祭文を立ち聞きしてみると、何と、他人の空似と思っていたお染久松の歌祭文は自分たちのことを話題にしていたのだ。もはや世間に知られては生きてはいけぬと思う二人の前に善六が現れる。実はこの歌祭文は善六が仕掛けたものであったのだ。それを知った久松は思わず善六を刺し殺してしまう…のだが、実はそれは夢であった。夢オチというのも斬新だけど、舞台上部から「夢」と書かれた看板が降りてくるというのが衝撃的。まるで三谷文楽。ここも笑うべきところだったのだろうか?

質店の段

生玉の段は久松の夢だったのだが、お染も同じ夢を見ていた。二人は最期の時が近い印かと、胸塞がる思いをするのだった。

そこに久松の親、久作が在所から訪ねてくる。『新版歌祭文』では久松は久作と実の親子ではなく育ての親という設定。こちらの『染模様』では久作は久松の実の父だ。久作は貧しい在所の土百姓で、久松が奉公するお染ちゃんの家に行くにも、年末に一足早く咲いた梅と蕪をお土産として持ち、あかぎれ裸足に足袋もはかず、徒歩でやってくる貧しさだが、その実直で久松のことを真摯に思う姿に胸打たれる。最初は久作を場をわきまえぬ厄介者のように扱う久松も、親が子を思う思いにほだされ、お染と別れ、暇乞いして在所に帰り、在所のいいなずけと祝言を上げることを了承する。久松が帰ることを了解すると、親久作はすっかり優しい父親に戻って、泣く久松の鼻をかんでやったりと、久松を子供のように扱う。この父親にとっては久松はまだまだ子供なのだ。親は子供の成長を願いつつも、いつまでも子供のままでいてほしいという気持ちを抱えているものなのかもしれない。しかし、一方で、旧悪は、久松はもう自分が知っている子供の久松ではないことも無意識の内に感じ取っている。久作は、年が改まってから久松を迎えに来るが、それまで久松が何かしでかさないようにと蔵の中に閉じ込めたいとおかつに申し出る。おかつは快く応じる。

蔵前の段
以前、文楽劇場で観た時は、お染の父が「白骨の御文」を読誦する場面が省略されていたようだ。「朝には紅顔あつて 夕べには白骨となれる身なり」というそのお経は、死を以って成就される契りなどなく、死は無慈悲でむごたらしいものであると言わんばかりの内容で、心中するしかないと追い詰められたお染と久松の悲劇を一層、際立たせる、とても印象的な場面だ。その「白骨の御文」を読誦した父、太郎兵衛は、お染ちゃんを優しく諭すが、時すでに遅し、お染ちゃんの心には父の願いは届かない。お染ちゃんにとっては死ぬことは既に決まったことで、ただただ自分が死んだ後に嘆くだろう父の姿が目に浮かび、涙するばかりだった。

そして元旦の朝になり、おかつは自害したお染を発見する。さらに久作は久松が蔵の中で自害しているのを見つける。まるでロミオとジュリエットのように、生き急いでしまった二人の悲しい物語は幕を閉じるのでした。