国立劇場 2月文楽公演 第一部

平成26年 2月文楽公演 <第一部>11時開演
 七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)
 近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)
    四条河原の段
    堀川猿廻しの段   
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/26-2.html

七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)

宝船に乗った七福神の神々が、新春を寿ぎ、それぞれの隠し芸を披露するという景事。人形がそれぞれ楽しい芸を見せるのが楽しい素朴な文楽の楽しみが味わえる演目。そして、以前観たときは気がつかなかったけど、実はそれだけではなく、三味線方も大活躍する演目で何重にも楽しみがある曲なのです。胡弓の演奏や、駒を換えて琵琶の音を出したり、曲弾きをしたり、『関取千両幟』の角力場で演奏される櫓太鼓のような演奏をしたりと、見せ場がいっぱい。

また、弁天様が琵琶を持っているというのも非常に興味深かった。この弁天様は琵琶で竹生島の弁天様の由来を語る。実は今年1月5日に観世能楽堂の定期公演で翁付の「竹生島 女体」を観たが、そのとき「竹生島」とその換間(近江国彦根藩主だった井伊直弼の作で山本東次郎家のみに伝承するらしい)についての解説が書かれたパンフレットが配られた(非常に興味深い内容だったので、時間さえできればそのこともここに書き留めておきたいのですが…)。その中で興味深かったのは、竹生島の弁財天はもともとは、吉祥天由来の琵琶を持った弁天様ではなく、その頭にとぐろを巻いた白蛇を戴く宇賀神弁財天だったというお話。平清盛厳島から竹生島に灌頂し、厚く信仰したのだという。ところがこの竹生島の弁財天は『平家物語』の時代には既に琵琶の名手である吉祥天由来の弁天様と混同されているようで、敦盛の兄である平経正竹生島詣をすると琵琶の名品を拝受するという話が伝わっている。お能の「竹生島」では琵琶は全く出てこなくて代わりに大蛇が出てくるので、おそらく「竹生島」を書いた作者は竹生島の弁天様は宇賀神なのだということを知っていたのだろう。

お正月によく見る「宝船に乗っている七福神」の中にいる弁天様について、今まで深く考えたことがなかった。けれども、大体琵琶を抱えているような記憶があるし、少なくとも頭にぐるぐる巻きの白蛇を乗っけた、おどろおどろしい弁天様が乗り合わせている姿は見たことは無いと思う。そしてこの景事では、弁天様は竹生島の弁天様のことを語る。七福神室町時代頃の成立というが、おそらく弁財天が紅一点であることから、宇賀神の弁財天よりは、女性らしい優美な印象の吉祥天由来の弁天様が好まれたのだろう。また浄瑠璃の詞章の中で竹生島の弁財天の由来を語るのは、当時、関西方面では竹生島の弁財天が一番有名だったということなのかしらん。そして竹生島の弁天様と吉祥天由来の七福神の弁天は由来が違うことに人々が違和感を感じないほどに竹生島の弁天様は吉祥天由来の弁天様と同一視されていたということなのだろう。

ほかの神様も深堀りすれば色々おもしろいが、時間もないので、とりあえず神様の話はこれでおしまい。

この日は二度目の大雪の週末で、客席は珍しく空席が多かった。そのため、舞台は大熱演なのに客席は若干寒々しくってちょっと残念ではあった。こういうお目出度い演目は舞台だけでなく客席もにぎにぎしい方が2割増で楽しい気がする。

近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)
四条河原の段、堀川猿廻しの段   

お兄ちゃんの与次郎(玉女さん)の素朴な優しさに胸打たれました。

これまで堀川猿回しを観るときはいつも、お兄ちゃんがご飯を食べるところとか、チャリがかったところとか猿回しのモンキーズが面白くて見入ってしまい、肝心のおしゅんや伝兵衛のことを観忘れてしまうのが常だった。お兄ちゃんがシリアスな場面で面白いことをするのがいかんのだ!と思い、何で物語の本筋を無視するような、こういう型があるのだろうと不思議だった。しかし、今回、観る前にふと、お兄ちゃんに見入ってしまうような型があるということは、ひょっとして、おしゅん伝兵衛ではなくお兄ちゃんを中心にこの段を観てみる価値があるのかもしれないと思い至った。そして、お兄ちゃんを中心に観た「堀川猿回しの段」は、おしゅんの幸せだけを一途に願う不器用だけど優しさに道あふれたお兄ちゃんの思いにふれて心温まる一方で、ちょっとほろ苦い感傷に胸が締め付けられる心地のする、素敵な物語だったのでした。

そもそも、この物語の中には、おしゅんの父は出てこない。母は後家というのだから、父は早くに亡くなったのかもしれない。兄は文盲なのにおしゅんは読み書きができる。普通は妹は学問にふれることはできなくとも、兄には読み書きぐらい習わせるものではないだろうか。そう考えると、おそらく父が早くに亡くなり、母の三味線の演奏や指南の収入だけでは家計を支え切れず、お兄ちゃんは、「自分は学問が嫌いだから」などと言い訳して家計を支えるために子供の頃から猿回しの業を営むことを選び、その代わりにおしゅんには読み書きできないことで不自由させまいと、読み書きを習わせたのかもしれない。

お兄ちゃんは、おしゅんに優しいだけでなく、母親にも優しい。数少ない弟子への三味線指南の収入だけではとてもたちゆかない家計と病への不安を口にする母に対しては、米屋の息子殿から上白米の仕送りがあったの、旦那衆から出養生の為に隠居所を提供する申し出があったの、羊羹、饅頭、生魚も贈られ隣近所にお裾分けするだけでは間に合わず鮓屋に卸売りするの、といったことをうそぶき、母を安心させようとする。本当はたった一貫の借金も返せない貧しさで、母を安心させる材料は何もないけれども、それでも、お兄ちゃんは母に心配かけまいと、暢気に法螺を吹くのだ。

おしゅんが出てくると母がおしゅんにおしゅん伝兵衛に関する世情の噂を聴かせ、伝兵衛と縁を切るよう説得する。その間、お兄ちゃんは暢気にご飯を食べ始まる。いつもはお兄ちゃんのご飯の食べっぷりに見入ってしまうのだが、よくよく注意して観てみれば、お兄ちゃんは、ご飯に夢中になっているように見えるけど、実は母とおしゅんの会話をちゃんと聞いていて、肝心なところではさりげなく口をはさむのだ。お兄ちゃんがおしゅんに対して退き状を書くように言うときも、暢気な言い方ではあるけれども、心からおしゅんを心配しての言葉だ。

そのまま九つ(午前0時)近い時間となってひとまずは寝入ることになるが、この時もお兄ちゃんは、おしゅんが師走の寒さを少しでもしのげるよう、さりげなくマシな方の布団をおしゅんの掛け布団として、部屋の奥で寝るよう促す。さらに自分の着付もおしゅんの布団の上にかけ、おしゅんがすきま風で風邪をひかないよう、足でぽんぽんと布団をおしゅんに密着させる。そして自分は煎餅布団とさえ呼べないような薄い掛け布団に身をくるんで、用心のため、玄関口で寝付く。お兄ちゃんにとって、おしゅんは自分が守ってやらなければならない、大事な大事な妹なのだ。

それから伝兵衛が現れ一騒動あって、おしゅんと伝兵衛の一通りでない想いと覚悟とそれにほだされ、母は二人に心中などせずにどこまでも逃げのびるよう説得する。おしゅんの伝兵衛に対する気持ちと母の言葉に感じ入ったお兄ちゃんは、おしゅん伝兵衛の二人の門出を祝って、お初徳兵衛の祝言の寿の猿廻しを見せる。そして旅立つおしゅん伝兵衛を見送るお兄ちゃんは二人を見送りながら、そっと涙を拭う。

おしゅんの幸せだけを考えるお兄ちゃんの姿に心打たれる段切りでした。


これを書いているのは3月2日なのだけど、堀川猿廻しの段の切を語った住師匠が2月27日に、大阪は4月公演、東京は5月公演での引退を発表されました。私は2007年2月東京公演が文楽の初体験で、『摂州合邦辻』で住師匠と錦糸さんの床、文雀師匠の玉手御前、文吾さんの合邦に衝撃を受けて、それから文楽を観始めました。だから文楽を観るという、他に代え難い人生の楽しみを教えてくださった住師匠には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、住師匠がよく言われる「情を語る」という意味では、病に倒れられた後、技術的には以前の住師匠とは比べられないかもしれないけれど、それでも以前よりずっと心に染みる浄瑠璃であったということに大変感銘を受けました。あの『伊賀越』の平作の「なんまいだ」は、お芝居ではなく本当の人の死に立ち会ったような厳粛な気持ちを抱かせる「なんまいだ」でした。あれは、一段を一人で語り切るパワーのある太夫さんには決して語ることのできない「なんまいだ」だったと思います。

確かにリハビリの途上にある師匠が、長丁場の本公演を他の大夫さんの先頭に立って語るのはもう難しいとお感じになるのも無理はないのかもしれません。けれども、今後引退された後、十分に休養され体力が回復し、ある日ふと、「今ならもっとよいXXが出来る」などと思われる日もあるかもしれません。そんな時は是非、一夜限りの復活素浄瑠璃の会など、開催していただきたいものです。お能の会では、演能と演能の間に素謡やお仕舞など、曲の一部を謡うという形があったりします。そこでは、一曲通して舞うことのほとんど無くなった重鎮の方が、一節だけ謡や仕舞を披露されることがあります。そういうのを聴くと、やはり往年の名人は断然、良いのです。たった一節だけでも、素謡でその謡曲持つ世界をわっと一瞬のうちにみせてくれたりして、聴いている者を圧倒したりするのです。そんな演奏の仕方が、文楽にもあったらいいのに。