高輪区民センター 赤坂文楽

2/25 赤坂文楽 人形浄瑠璃 文楽 伝統を受け継ぐ 其の四
吉田玉男吉田簑助から受け継いだもの〜
第4回赤坂文楽。今回のテーマは、妹背山婦女庭訓より「道行恋苧環」です。
  【日時】 2/25(火)18:30開演(18:00開場)
  【場所】 高輪区民センター 区民ホール
  【内容】 第一部 妹背山婦女庭訓の映像とトーク
            桐竹 勘十郎、吉田 玉女
       第二部 妹背山婦女庭訓〜道行恋苧環(実演)
            竹本 津駒大夫、豊竹 呂勢大夫、豊竹 靖大夫
            鶴澤 燕三、竹澤 宗助、鶴澤 燕二郎
            桐竹 勘十郎、吉田 玉女、吉田 勘彌 他
http://www.kissport.or.jp/cgi-bin/p_evinfo.pl?eid=KOU00077

第一部は、『妹背山婦女庭訓』のDVD(?)をかいつまんで拝見しながら、玉男を襲名されることになった玉女さんと、勘十郎さんのトークをお聞きしました。

DVDで興味深かったのは、「妹山背山の段」。若き日の簑助師匠の雛鳥と文雀師匠の定高という配役でした。実は私が文楽の妹山背山の段を観たのは2010年4月大阪公演で、そのときも簑助師匠の雛鳥と文雀師匠の定高でした。が、私の印象では、2010年4月公演の方がDVDよりずっとずっと良かったのです。天才的な才能を持つお二人でも常に芸を進化させているのだなあと感動しました。

それから、すっかり忘れていたけれども、2010年4月大阪公演で『妹背山婦女庭訓』の通しを観た時は、前列上手(かみて)側に座高の高い男性がましまし、背山側がほとんど見えてなかったのだった。今回、DVDで初めて背山側で何が起こっていたかを知り、ショックでした。当たり前だけど、両方観ないと話は完全ではないのでした。やっぱり、改めて背山も含めて舞台で観てみたので、是非また妹山背山の段をやってほしい。しかしあれは東京の国立劇場でやるよりは文楽劇場の方が見栄えがするだろうなあ。

それから杉酒屋の段の求馬(玉男師匠)も非常に興味深かった。私が観たことがあるのは、和生さんの求馬のみだと思うけど、和生さんの求馬は、頭は良いが人を人とは思っていない感じで、たとえていえば、トップ企業の経営戦略部門で活躍する切れ者の若きエリートという感じだった。一方の玉男師匠の求馬はしゅっとしていることは間違いないのだけど、その立ち振る舞いからは全然どんな人格かを想像することが出来ず、なんだかとても謎めいた人だった。玉女さんのお話では、玉男師匠は久我之助や求馬のような二枚目の役がお好きだったとか。


道行恋苧環
大好きな曲。燕三さんと津駒さんで聴くのは初めて。

大道具で上手側に赤い鳥居があった。その鳥居の上部に額があって、そこには「名神大社」と書かれていた。私はこの曲を舞台で観るたびにあの赤い鳥居はどこの神社なのか不思議に思っているので、「おー、新たな手がかり!」と思い、家に帰って早速調べてみた。すると「名神大社」というのは延喜式社格のことで、古代からある由緒正しい神社のことをいうらしい。「恋苧環」は大神神社付近から春日大社付近までの道行なのだけど、その道程にある神社の中で名神大社なのは、大神神社春日大社だ。そのどちらかだろうと目星はついてはいたので、これでは、結局、全然ヒントにはならない…と思いかけたが、一つ、重要なことを思い出した。大神神社春日大社も行ってみたが、舞台の鳥居と同じ赤い鳥居なのは、春日大社なのだ。つまり、「恋苧環」にでてくる鳥居は「名神大社」とあるので、詞章などの道程から大神神社春日大社ということになるが、そのうち、赤い鳥居を持つのは春日大社なので、お三輪ちゃん、橘姫&求女がからむ、あの場面は、実は春日大社の社前ということになるのだった。

それでは何故、あの鳥居の額には「春日大社」と書かずに「名神大社」と書いてあるのだろう?ひとつ思いつく理由は、春日大社の創建が、実は大化の改新の後だということだ。『妹背山婦女庭訓』は大化の改新の世界の話なので、厳密にいうとこの物語の時代には春日大社はまだ創建されていない。それでも、その時代にも神奈備山の御蓋山三笠山)に対する信仰は厚かっただろうし、春日野にまつわる物語や歌は多く、浄瑠璃で利用しない手は無い。それで、春日大社とは明言しないけれど、「ま、どこのことを言ってるか大体わかるでしょ?」というよう思わせぶりなことになっているのではないだろうか。

「恋苧環」の話に戻すと、以前、舞台で観たお三輪ちゃん(勘十郎さん)は、「恋苧環」の頃までは、杉酒屋のおっとりとした様子を残していたけれども、今回は、スペシャルお遊びバージョンだったのか、超おきゃんなお三輪ちゃんだった。求女(玉女さん)を挟んで橘姫(勘彌さん)との振袖を使ってのなぶり合いバトルはすさまじく、客席からも笑いが起こっていた。まじめな話では、勘十郎さんが、トークの時に「お三輪ちゃんは『桂川連理柵』のお半ちゃんと同じ十四、五才という大人でも子供でもない中途半端な年齢。それを表現するのが難しい。」という趣旨の話をされていた。今までお半ちゃんとお三輪ちゃんが同世代ということは考えたことがなかったので、静かにショックを受けた。江戸時代の人たちはどういう感覚で、こういうティーンエイジャーのお話を観ていたのだろう?

浄瑠璃の方は、私が聴いたことがあるのは多分、清治師匠が一番多いけれど、燕三さんの三味線は清治師匠とは結構、曲の解釈がちがって興味深かった。

特に「常に色よく咲く草時は、男女になぞらへ言はば、言はれふものか夕顔の」で始まる部分は、かなり感じが違った。清治師匠の演奏は、割にテンポよく進行し、スウィングするような躍動感があって、レビューを観るような楽しさがある。一方、燕三さんの三味線は、ゆっくりとしたテンポでゆったりと踊る盆踊りのような感じだった。私としては聴きなれない感じだったので、最初は、へー、こんな感じの行き方もあるんだと思った。が、思い出してみると、2010年2月に紀尾井ホールで女義の方々+和生さんのお三輪ちゃん、玉女さんの求馬、文昇さんの橘姫の「恋苧環」を観た時もそんな感じだった気がする。あんなふうに演奏すると、とても古風な雰囲気になる。違った雰囲気の「恋苧環」を聴くことが出来て、これはこれで興味深かった。

そして想像だけど、この部分をテンポよく演奏する清治師匠は、もっとゆっくりやるバージョンもあることをふまえた上で、様々な花になぞらえて踊る楽しい夢のような場面をテンポを割に早めてスウィング感を出すことで、華やかでうきうきした楽しい感覚を演出しているのかもと感じた。色々な人のものを聴いてみると、思わぬ発見があって楽しいのでした。