国立劇場小劇場 松羽目会

桐竹紋壽舞台生活六十七年の最終の松羽目会
昼の部
 寿二人三番叟
 冥途の飛脚
夜の部
 伊達娘恋緋鹿子
 ロック曽根崎心中

『冥途の飛脚』を淡路町から新口村まで、未体験の『ロック曽根崎心中』と興味深い演目だったので、お伺いしてみました。。紋壽さん舞台生活六十七年の最終の松羽目会って聞き捨てならないなと思ったけど、自主公演は最後というお話で、松羽目会という公演自体は今後も続くそうです。

驚いたのは、小劇場としては私が今まで拝見した中で一番お客さんが少なかったこと。宣伝するサイトがなかったり、チケットの問い合わせ先が個人の電話番号らしきものだったりすると、やっぱりちょっと敷居が上がってしまうのかもしれません。充実した企画、配役、パフォーマンスだったのに、難しいですね。

それから、楽しかったのは、配役の目新しさ。例えば『二人三番叟』の三味線が清公さんがシンで錦吾さんがツレとか、津国さん・清志郎さんの淡路町、呂勢さん・宗助さんの封印切、英さんの新口村というのも初めてだし、人形も新口村の忠兵衛が勘壽さん、梅川が清五郎さん等々。そしてそれが本公演に負けないくらい充実していて、本当に楽しい会でした。


昼の部は『二人三番叟』と『冥途の飛脚』より淡路町と封印切と、(『傾城恋飛脚』の)新口村。

改めて『冥途の飛脚』(と新口村)って名作だと思いました。

淡路町は、見栄っ張りの忠兵衛(玉女さん)と悪ノリが好きな八右衛門(玉志さん)の、遊びと仕事の両面にわたっての悪友ぶりみたいなものがよく現れていて楽しい。八右衛門が妙閑に為替の代わりに一筆書くよういわれ、人を食ったような内容の書状を書く場面は大好き。そしてそういう何もかも知り合った仲であるからこそ、一転して封印切の場面に発展するのだということがよくわかる。

それに、封印切も改めてとても面白いと思った。新口村とか道行みたいに登場人物が皆泣くような悲しい場面も感動するけれども、近松の世話物で一番面白い場面は、話が急転換して、後戻りが不可能な一点を通り過ぎてしまうところだと思う。今回は忠兵衛が封印を切ってしまうところは息をつく暇もなく展開し、余計に悲しかった。それにしても忠兵衛が封印を切ってしまった後、八右衛門は多分あれが忠兵衛の自由になるお金ではないことは気がついていたのに何故、そのまま帰ってしまったのだろう。

梅川は紋壽さん。色気や優しさを過剰に出さない品のある梅川でした。ここまでの忠兵衛は玉女さん。かっこよっかった。

新口村は配役が変わって玉女さんが孫右衛門。英さんも玉女さんも、たくまない自然な人となりの孫右衛門でした。以前、嶋師匠の新口村を聴いたとき、孫右衛門って忠兵衛を溺愛といっていいくらいかわいがっているかと思ったけど、この孫右衛門はそれはそれでアリという感じ。演じる人によって違って面白い。


夜の部は清五郎さんの『伊達娘恋緋鹿子』のお七と『ロック曽根崎心中』。

『ロック曽根崎心中』は、想像を絶するものでした。私、もっと前に見るべきだったかも…。いやいや、三谷文楽、杉本文楽、不破留寿之太夫を観た後だから、その意味が分かるとも言うべきか。「観音廻り」はなんと、杉本文楽より『ロック曽根崎心中』が先でした。さすが宇崎竜童。最初は昭和なロックに面食らってしまったけど、すぐに人形に魅せられました。