観世能楽堂 企画公演 千手 土蜘蛛

ひっさびさに観世能楽堂お能を観てしまいました。「千手」「土蜘蛛」の両方とも観世流お家元がおシテでした。演じる方は大変そうだけど、観る方は全く異なる曲だったので、大変楽しく拝見しました。

千手

むちゃくちゃ気合いの入った「千手」でした。実はツレの重衡が宝生流お家元の宝生和英師という異流共演で、余計に気合いが入っていたのかも。宝生流のお家元もさすが謡宝生のお家元、素敵な謡でした。観世流のお家元と宝生流のお家元という組み合わせで、年齢が違うのでさすがに芸格の違いはあるけれども、面白かったです。重衡が亡くなったのは20代だったことを考えると、鎌倉に連行された時の重衡ってちょうど和英師と同じぐらいだったんでしょうか。いつも登場人物の年齢とかあまり考えていないけれど、そういう意味でのリアルさはあったかもしれません。

また、「千手」は禅竹の可能性が高いとされていますが、観てみて、確かに世阿弥ではないなと思いました。この曲は最初に重衡が登場し、最後、重衡が去っていくのを千手が見送るという形の現在能になっていて、世阿弥の得意とする複式夢幻能とはかなり形式が違います。千手前の心理に焦点を当てるためなら千手前の亡霊が出てきて心情を語るという形式の方が良いように思います。この曲が現在能の形をとり、印象的な一夜の別れの場面の二人の心の交流を描くことに作者の興味が向いているというのは、禅竹的なものを感じさせられます。

今回は村上湛先生のオリジナル演出<重衣之舞(きぬぎぬのまい)>で演じられ、パンフレットに<重衣之舞>の演出に関する解説がありました。パンフレットというものは、演能前に読むべきですね。演能中、「えー、こんな三人で合掌するシーンなんてあったっけ?」とか、「前に観た大槻文蔵師の千手はあんな橋掛リまで行って嘆いてなかったよなあ」とか思っていましたが、すべて<重衣之舞>の演出によるものだったのでした。演能を観ている間は、以前、国立能楽堂で観た大槻文蔵師の「千手」の方が特殊演出だったのかなあと思ってました。反省。でも割にあからさまな、他の小書と区別しやすい演出なので、どこが小書の部分だったか分からずじまい…ということも無かったので、よかったです。

今回の演出は、パンフレットによれば、

捕虜となった重衡の過去の半生を、彼に心を寄せる千手が舞に託し、わがことのように追体験する長大なクセこそ能<千手>の根幹と考え、これを活かす濃縮が「重衣之舞」新作の目的でした。

とのこと。

その<重衣之舞>の演出をパンフレットの説明に沿って見ていくと、まず、千手前が『和漢朗詠集』の管公の昨、「羅綺(らき;うすごろも)の重衣(ちょうい)たる。情なきこおを機婦に妬む」という歌を詠うところで、この歌を詠じれば聴く人までも守るという謂われがあるので、それで三人で合掌するというのが新演出だそうです。

これは後から考えてみると、非常に興味深かったです。なぜかというと、ここらへんまでは重衡が千手の接待をどう受け止めているか、私自身はイマイチ分からない気がしていたので。

最初、重衡は気が滅入ってるので千手が訪問してきたとワキから聞いた時、「今日の御対面は叶うまじよし仰せ出されて候」と面会を断ってるのです。けれども千手は、「その時千手立ちよりて、妻戸をきりゝと押し開けて」(カッコいい!)、はずかしながらと思いつつ、推参するのです。なぜなら、千手は坂東者の田舎娘などではなく、「東(あずま)のはてしまで、人の心の奥深き、その情けこそ都なれ」、ここは重衡のような都人から見れば東の果ての奥にある田舎かもしれないけど、人の心の奥深くまで察して共感する、その心を持つ人こそ本当の都人と言えるのではないでしょうか、という心持ちだからです。こんな台詞は相当に洗練された、高い自尊心を持つ人でないと言えない台詞ですね。お家元の千手前は、「伏木増」で優美な面なのですが、強さと鋭さを秘めた謡から、強い心を持った人という印象を受けました。そのあたりは、自尊心の高い千手前とはぴったりです。

で、千手前の基本的な考えは分かるのですが、今までは、頑な重衡がどこで千手前に心を許すのか、イマイチよく分からず、なぜ千手前が会ったばっかりの重衡にそこまで共感し、重衡も千手の憐憫の情を受け入れるのか納得する手だてがありませんでした。しかし、今回、パンフレットを読むと、よく演じられる小書<郢曲之舞>では、シテの次第と独吟(下歌、上歌)はすべて省かれ、酒宴の場面になるのだそうです。そこでは、千手が重衡に会う前から重衡に同情していたことが語られます。また、今回の<重衣之舞>では「前業よりなお恥ずかしうこそ候へ」から、ワキの「今日の雨中の夕べの空」に飛ぶとあります。その省略された部分には、重衡に慰めの言葉をいったり、重衡が自分のこれまでの人生について悔やんだりといった場面があります。それらの部分が省略されて、酒宴になってすぐに管公の歌になるのでした。したがって、私自身は三人が(というか重衡までも千手にあわせて)合掌をするというところが、ちょっといきなりな感じがして、「何なのよ、さっきまで御対面叶うまじとか言ってたくせしてさー、美人だったら話が違うわけ?」とひがんだりしたのですが、実際には千手と重衡のそれぞれの心情の吐露や交感のようなものがあったのだけれどもそこは省略されているのだということで、納得しました。まあ、もし、ここを省略せずにやったら、見所で気を失う人が続出するのでしょう。

それから、もう一つ、新演出の中で「序之舞」のところで、「干之掛(かんのかかり)」の手が入り、盤渉調に転調するところがあります。ここは、千手は橋掛リで嘆く型をしてみせたりします。そこに関して、村上先生はパンフレットで「笛が高音に転じて短く舞い上げるのは千手の落涙が『水の調子』盤渉(ばんしき)の調べを呼び寄せた心」とされており、これもまた興味深く思いました。いくつかのお能で盤渉調に転じる小書はありますが、今まで盤渉に転じることの意味をよく考えたことはありませんでした。

音的には盤渉になると旋律の音程が高くなり、明るい響きを含むことから、私自身は、常の黄鐘から盤渉に転調する時に音楽がふわっと輝きを増し、キラキラとした華やかな感じになるという印象をもっていました。そういったところから、盤渉の小書というのは、特別感とかゴージャスな感じを出すためかな?ぐらいに漠然と考えていました。それで、今回、盤渉に転じた時は、千手前の嘆きとは少し相入れないような印象がありました。

ものすごく気になったので、手近なところで『能楽をおもしろく見せる工夫』(檜書店)をざっと見てみると、盤渉調について結構細かく言及してありました。具体的には、「笛の調子を変えるーー『盤渉』の習いと小書」という章(P.98〜)の中で、「天正〜慶長にかけての具体的・実質的な演出の諸相をかなり忠実に伝えている」という『矢野一宇(やのいちう)聞書』という本に基づく研究を引きつつ盤渉調の元々の演出の意図について解説している他、さらにその後の展開についても記載されています。

話をまとめると、要は、盤渉というのは、元々は純粋に笛のバリエーションの一つで、「末の能に吹く」(番組の最後の方の曲で吹くという意)ということになっているようです。当時は一日に何番も演能があったり勧進能などで何日も演能が続くのが普通なので、その際に、笛方の裁量で(笛以外の演奏・演能に影響を与えないので)、盤渉にして趣向を変え得てもよいというようなことだったようです。

さらに時代が下って、四番目物や五番目物などで、たとえば「融」や「海人」で盤渉で演奏される演出があることを、盤渉調が水調と分類されるから水辺に関係ある曲趣で奏される、という理由に読み変えられ、水に関する曲趣の時に盤渉にするという演出がでてきたということが書かれています。このルールが今回、採られたようです。

というわけで、色々と勉強にもなった演能でした。


土蜘蛛

何事も洗練された表現となるお能、こういった土着的な匂いのする曲でさえ、華やかでスペクタクルなのでした。頼光は白い厚板の肩に紅の衣を掛け品があってあでやかだし、シテの土蜘蛛は悪役なのに、まるでフランス映画に出てきそうな怪人みたいでかっこいい。一方で、庶民の間では土の匂いのする人形芝居が発展し、浄瑠璃姫物語や酒田金時の物語を百年ぐらい飽きもせず演じられ続けたということを考えると面白い。

演能はお家元vs.山階彌右衛門師の息のあった迫力ある兄弟対決やテンポが早く力強い囃子、地謡等で、すかっとした気分で観終わり、楽しく能楽堂を後にしました。