国立能楽堂 普及公演 井杭 采女

解説・能楽あんない 采女をめぐって  林 望
狂言 井杭(いぐい) 野村小三郎和泉流
能   采女(うねめ)美奈保之伝(みなほのでん) 大槻文藏(観世流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1775.html

今ぞ知る 千駄ヶ谷の駅前にも 津田塾大学キャンパスあるとは

…あれ?ここって、津田スクール・オブ・ビジネスじゃなかったっけ?今年4月から開設したらしいです。


解説・能楽あんない 采女をめぐって

リンボウ先生は、初めて拝見。昔、イギリスにはまっていた時に「イギリスはおいしい」その他のご著書を拝読したが、そうか、イギリスの本をあまり書かれなくなった後は、お能のエッセイ等をいろいろ書かれていた訳だ。私が最近までお能に興味がなかったから、知らなかった。今ぞ知る〜。

お話によれば、今回は、観世元章による美奈保之伝(観世流のみ)という小書がついて、謡も半分ぐらいにバッサリ改編されているという。主に、話の枝葉を切って、単純化し、テーマをよりはっきりとさせているらしい。確かに、Webの半魚文庫で見た采女の詞章とえらく違っていた。

しかし、それでも国立能楽堂掲示されていたタイムテーブルには100分とあった。これは三番目物だから、もし五番立てなら、さらにあと二曲残っている訳だ。昔の人は、五番、全部見てたんでしょうか??


このお能の曲名である采女だが、この采女というのは、地方長官の十代〜三十歳ぐらいの子女で、容姿端麗な人が選ばれたそうだ。帝の御髪を梳いたり、御膳を整えたりして、帝のごく身近でお世話をした人々だったという。

シテとなっている采女は、実は一人の采女の話ではなく、何人かの采女の伝説が入り混じったものだそうだ。まずは、大和物語の百五十段に出てくる、帝の寵愛を失い猿沢の池に身を投げた采女。それから、古今和歌集の仮名序に出てくる葛城王(かずらきおおきみ;橘諸兄たちばなのもろえ)が陸奥の国に行った時に供応した采女(美奈保之伝ではカットされている)。大和物語の采女も先行する地方の伝説がいくつかあるとか。そんな風に断片的な事実が伝説、和歌となり、虚実ない交ぜの美しい物語に成長していくのが、日本の古典の素敵なところだ。


ところで、林望先生の話とは逸れるが、歌舞伎・文楽の妹背山女庭訓には、この猿沢に身を投げた采女の話がとりいれられているそうだ。小松原の段に出てくる采女の局が、この采女のようだ。07年6月に歌舞伎座で見たときは、ストーリー上、唐突な存在な感じがして頭の中が?でいっぱいだったが、そういうことだったのだ。江戸時代は、庶民はお能を観る機会は限られていたとはいえ、謡は盛んだったというから、きっと、あの場面を見た観客は、「おー、采女が出てきよった。さすが奈良時代や!」と、<妹背山>と<采女>の二つのお話がクロスオーバーするのを楽しんだのだろう。


井杭

井杭(野村信朗くん)という男の子は、男(奥津健太郎師)が、いつも可愛さ余って頭を叩くのに辟易している。それで、清水寺で願掛けをすると、被ると姿が見えなくなる頭巾を授かった。早速試してみると、確かに姿を消すことができた。そこに、占師である算置(野村小三郎師)があらわれ、男に井杭の居場所を占ってもらうように言われる。算置が、井杭の居場所を当てていくが、井杭は上手く逃げおおせるばかりか、男や算置にいたずらをし始め。。というお話。

シテの野村小三郎師のご子息、井杭役の信朗くんがお父様に似ていて、可愛いかった。特に、頭巾が中国の民族衣装のような帽子(ナマズのような鬚を生やし、両手を袖に入れて「○○アルヨ」とか言ってるおじさんの帽子を想像して下さい)を少し嵩高くした感じの形で、それを被ってパタパタと走るところは、まるで小人さんのよう。それから、舞踊の喜撰法師女殺油地獄の与兵衛みたいに、寝ころんで、顎を両手で支えながら足をバタつかせるところも、子供がやったら、もう、これは可愛いに決まってる。

パンフレットによれば、姿を消せる頭巾というのは狂言のテーマとして、ポピュラーなものらしい。そっか、SFの出現を待つまでもなく、こんな昔から、透明人間願望というのはあったのだ。

算置の風俗も興味深かった。算置とは、陰陽道の流れをくむ民間の占師だそうで、算木という和算で用いる道具を八卦と組み合わせながら占うみたいだ。台詞とか所作とか、結構本格的なのだ。その当時の人は、カジュアルに占師を呼び入れて占いをしていて見なれた風景だったのかも。算置が、占う時に、今日の日時で「平成二十年五月十日丑の刻」などと言ったりするのもお楽しみ。歌舞伎の入れ事で、「当月歌舞伎座にご出演のXXさんは」などと言ってお客の笑いを誘ったりするけど(今月の弁天小僧の浜松屋でもやってた)、単純なことなのに、何故、つい可笑しく感じてしまうんでしょうね。いつも不思議です。


采女 美奈保之伝

面白かった。最近、謡が少し聞き取れるようになってきて、所作と詞章がリンクするようになり、少しずつ面白さが分かるようになった。というか、大槻文蔵師のような素晴らしい能楽師の演じるお能は、初心者にも、ダイレクトに通ずるものがあるのだろう。采女の姿形自体からして、ふんわりすっきり美しく、うっとりさせるものがあった。


ワキの旅僧(工藤和哉師)が、寺社を参詣すると、里の女(大槻文蔵師)が出てきて、橋掛りから、ワキ座にいる旅僧に向かって、猿沢の池にて読経してほしいと頼む。旅僧は快諾するが、誰の回向をすればいいのか、と問うと、「吾妹子が寝ぐたれ髪を猿沢の、池の玉藻と、見るぞ悲しき」と歌われた采女の話をして、自分はその采女の幽霊だといって、池水の底に消えていく。

采女は、浅葱女という面らしい。小面に似ているけど、もう少し、憂いを含んでいる。前場では、紅入の唐織の着流しの装束をしていて、船弁慶静御前のような感じ(歌舞伎のしか見たことないけど)。唐織の文様は良くわからなかったけど、一重の菊のような形をしたお花がちりばめられていた。実は、今回の美奈保之伝には無かったが、半魚文庫にある詞章には、何か所も藤の花が美しく咲き誇る様子を表現した詞章があって、また、展示室には、藤の花の文様の入った紅入の唐織が飾ってあったりしたので、藤の文様の装束だったら、なお素敵だったのに、、と思ったのだが、実は、それは、後場のお楽しみだった。


中入りの後、後場では、紺地の被衣を被った後シテが出てくると橋掛りで座り込む。そして、被衣を取ると、紺地に金糸で見事な藤の花と霞が縫いこまれた長絹と浅黄色の大口袴姿の采女の幽霊が池の底から現われて来るのだった。何もないのに、立ち上る采女の周りにぶくぶくと泡と水文が広がる感じがして、お能って不思議。

采女の装束が紺地なのは、夜を表し、金糸の藤の花と霞は、月明かりで、金色に照らし出されている様子を表しているのでしょう。書割の背景が無くとも、その世界が舞台に広がるのだ。

采女は旅僧に仏果を得られるか尋ねると、旅僧は、水の底なる鱗類(うろくず)や草木国土まで成仏できるのだから、女性が成仏できることも疑いなし、と答える。そこで、采女は安堵し、かつて曲水の宴の時に、帝の寵愛を受けたことを懐かしく語る。

この後、序の舞となる。

印象的だったのは、藤田六郎兵衛師の笛が後半のあるところから短調から長調に転調したところ。それまで短調の笛の音で内に内に入るようだったのが、ここでふわっと解放されて、空にも舞うような気分になった。藤田六郎兵衛師の笛は、西洋音楽に慣れている耳にも素敵に聞こえた。

パンフレットによれば、後場采女が水面で舞を舞うシーンであるため、足拍子を踏まない約束事になっているということだったが、一か所だけ足拍子を踏んだところがあった。そこは、いわばこの曲のクライマックスとなる「猿沢の池の面に、水滔々として波また、悠々たりとかや、石根に雲起つて、窓牖(そうよう)を打つなり」という詞章の「打つ」というところで、とても印象的だった。窓牖を打つというのが、どういう意味なのかは分らないけど、意味は分らずとも、その足拍子が曲の最高潮の頂点を打つかの如く響きわたるのを聞いて、水文が能楽堂全体に大きく広がる心地がした。

そして、采女は橋掛りに戻り、袖を被づいて身を隠すと、また波の底に沈んで行くのだった。