歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎 夜の部

一、近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)
  盛綱陣屋
二、干支に因みし戯れ絵の趣親子鷹
  鳥羽絵(とばえ)
三、天衣紛上野初花 河内山(こうちやま)
  上州屋質見世の場より
  松江邸玄関先の場まで

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/09/post_30.html

盛綱陣屋

面白し。信楽太郎の松緑丈と伊吹藤太の歌昇丈の踊りが楽しい。吉右衛門丈の盛綱が素敵。私の中では文楽検非違使の首の役は吉右衛門丈で決まり。


鳥羽絵

かわいー。


河内山

「ひじきに油揚げ」とか、「山吹色のお茶を所望す」とか、「こんなひょうきん者に出られちゃあ、仕方ねえ」で始まる申し開き、「大男総身に知恵が廻りかね」、そして何と言っても最後の「馬鹿め!」。何度聞いても楽しい台詞の数々を吉右衛門丈が名調子で言ってくれる。これで気持ちよく帰れるってものです。黙阿弥って本当に台詞がいいなあ。

ところで、今まで「上野寛永寺の使僧」と聞いても「ふーん」としか思わなかったのだけど、ふと、どこにあるんだろう、と思って調べてみると、どうも、かつては、上野公園一帯が寛永寺の境内だったらしい。

上野寛永寺は、増上寺と共に徳川家の菩提寺となっていた由緒あるお寺だそうだ。山主には代々天皇の皇子が付くことになっており、その法親王が住まう本坊が、今の東博の敷地に当たるとか。そういえば、東博の正門脇の法隆寺宝物館に行く途中に、に古い大きな門があって、そこに「上野寛永寺」の門とか書いてあるのを思い出した。あれは本坊の門に当たるらしい。今までは、あの門の説明書きを見ても、やはりいつも「ふーん」という以上の感慨はなかったけど、なるほど、そういうことか。だから、”寛永寺門主の使僧”に対して、下にも置かないもてなしぶりなのだろう。

さらに、上野駅から東博に行く途中にある大きな噴水池は、中根中堂で、不忍池の弁天堂の弁財天は、なんと竹生島宝厳寺から勧請したものとか。そして、寛永寺の総門は上野広小路側の入口あたりにあり、そこから、東博に行くまでの道が参道だったとか。面白い!

筋書によれば、上州屋は下谷長者町というところで上野広小路近く、河内山の住居は、神田練塀町秋葉原駅のあたり)にあるそうだ。このあたりは御数寄屋坊が拝領した土地で、瓦と練土を口語に積み上げた土塀が並んでいたらしい。なるほど、河内山は上野広小路あたりまで歩いて行ける距離に家があったわけだ(私自身はこんな距離歩くのはまっぴらごめんですが)。

そして、上州屋は寛永寺の門前に店があるわけだから、檀家だったり寄進もしていたりして、寛永寺に泣きつくというのも、あながち、あからさまな嘘には聞こえない、ということなのだろう。

ちなみに、松江藩屋敷跡は、永田町二丁目、ちょうど永田町の駅を出たところの平河町の交差点から赤坂見附の交差点まで首都高沿いに歩く時の道沿いにある、衆参院議長公邸のあたりから、R246沿いに青山方面に歩いて、虎屋のあたりまでらしい。大きいです。

いやはや、場所が分かるとなかなか面白い。今後は、東博に行くたびに河内山を思い出しちゃうかも。そして来月は直侍。こちらも楽しみ。