東京国立博物館 平常展

http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00&processId=03

阿修羅や何やらで混む前に平常展に行ってきました。

本館
特別陳列 酒呑童子

非常に面白かった。酒呑童子の話は何となくは知っていても良く分からないという、うやむやな状態だったので、楽しみにしていたのだ。

酒呑童子絵扇面」(筆者不詳 室町〜安土桃山時代、16世紀)によれば、天皇から酒呑童子の退治を言い渡された頼光は、渡辺綱坂田金時等の四天王に藤原保昌を加えたメンバーで退治しに行くことにする。

そういえば、お能の(というか私にとっては歌舞伎舞踊の)「土蜘蛛」にも、頼光と四天王が出てくるなあ。あの四天王の一人は坂田金時だったのか。土蜘蛛と酒呑童子は同じ根っこを持つ話なのだろうか。それに、坂田金時=金太郎って何のお話でしたっけ。酒呑童子が怪童なら坂田金時も同様で、その坂田金時酒呑童子を退治するというのも何だか不思議な因縁話だ。

話を戻すと、頼光は、酒呑童子退治の前に、それぞれ、熊野権現住吉神社八幡宮の三社にお参りをする。よく複数の神様にお願いしたら神様が嫉妬する、などと言いますが、さすが、こーゆー非常事態には、神様もチーム医療ならぬチーム救済で対応してくれるようなので、一つの神様に絞るよりは、頼れるものには何でも頼った方が良いようです(?)。

頼光達は参拝を済ませると早速、酒呑童子の棲むという千町ヶ嶽の岩屋へと向かう。途中、熊野、住吉、八幡の神様の化身である二人の僧と山伏と出会い、彼等から酒呑童子に飲ますための毒酒を入手する。毒酒は各々の担ぐ笈の側面に括り付けた2Lは入りそうな竹筒に入れられて、イザ出発だ。

さらに山深く進むと、女官風の女性が川で洗濯をしている。この女性に酒呑童子の居場所を尋ねると、居場所を教えてくれる。この時、扇面の絵の中の女性は、目に手をやって涙を拭いているのだが、後の絵では、髪をかき上げているように見えて面白い。伝承の途中で分からなくなってしまったのだろうか。

とうとう酒呑童子の御殿に着くと、意外にも頼光達は酒呑童子に客人としてもてなされる。

まずは、女性の人肉、片足の活け造りをおいしそうに食べなければいけない。ウェー。そして鬼が舞を舞う。舞う鬼は一人なのだが、バックで手拍子をしながら謡か何かを謡っている鬼達がいる。そしてそれを受けて、坂田金時も、舞を舞う。こっちの舞は、左袖を頭に被き、右手は後手にして扇を持っている。足は片足を上げて曲げている。もっと簡単に言うと「シェー」のポーズの下の手を後手にしたような感じだ。足の形からお能でないことは分かるけど、それでは一体何を舞っているのだろう。気になる。ちなみに別の狩野探幽の原本を模写した絵では、場面が端折られていて、鬼と坂田金時の踊り比べのようになっている。鬼の踊りは大体同じだが、坂田金時はコサック踊りのように腰を落としている。
(09/4/26追記:そういえば、以前観た高時という新歌舞伎では、田楽をベースとした舞踊があった。坂田金時の所作は、これに近い動きもあった気がしないでもないので、田楽かなという気もするが、どうだろう?まあ、元絵を描いた元信あたりに聞いてみないと分からないか)

宴もたけなわ、盛り上がったところで、頼光達ご一行は早速、例の毒酒を勧める。すっかり頼光達に気を許した酒呑童子と鬼達は、毒酒をあおり、忽ち毒酒にやられる。その後は戦いとなり、見事、頼光達は酒呑童子を退治しましたとさ、というお話。


東洋館

中国の考古遺物

模造「漢委奴國王」金印(原品=日本国福岡県福岡市志賀島 原品:後漢時代、1世紀)

意外な小ささにびっくり。社印とか、そんな感じの大きさ?

また、ここで見た気がするのだが、骨に亀甲文字のようなものを書き付けたようなものがあった。こういうのは大概、「祭祀に使用した」とか書いてあって、そういう説明を見る都度に、本当なのだろうか、といつも疑問に思っていた。しかし、今回展示された骨には、書き付けられた亀甲文字様の文字の訳が書いてあった。果たして文面は、「皇帝は出かけるべきか出かけないべきか」「東に行くべきか、行かないべきか」的な内容。ああ、本当に、占いしてたんですね。まいりました。


中国の染織  特集陳列「『名物裂』にみる文様IV―幾何学文と縞―」

日野間道(中国 明時代、16〜17世紀)
心電図とゆーか、でこぼこ道とゆーか、そんなストライプ。直線のストライプより織るのが難しそう。