国立劇場 文楽九月公演 通し狂言『一谷嫩軍記』(その1)

『一谷嫩軍記』の通し。並木宗輔の絶筆となった三段目までを上演。「熊谷桜の段」、「熊谷陣屋」以外では、「陣門の段」「須磨の浦の段」「組討の段」は2010年に大阪で観ているのですが、結構忘れていて、なぜか歌舞伎の印象と置き変わっていた。

通しで観て改めて気が付いたのは、この物語では敦盛の最期は都合3回ーー「組討の段」の熊谷が首を討つところと、「脇ヶ浜宝引の段」と「熊谷陣屋の段」の前ーー再現されるということだ。けれども、一回として本当の敦盛最期は無いのだ。二部を観終わって国立劇場の外を歩きながらふとそのことに気づいた時は、まったくしびれてしまった。並木宗輔は近松半二に勝るとも劣らない策略家なのだ。

パンフレットによれば歌舞伎では既にこの狂言の前に敦盛の身替わりという話があったらしいので、観客は敦盛の身替わりの可能性を予想できただろう。そのような状況で、敦盛最期のモチーフを3度も繰り返す演出上の狙いとして考えられるのは観客の敦盛最期(またはその身替わり)に対する注意と期待を高めることであり、そのお陰で、身替わりが明らかにされる瞬間への観客の期待はいやが上にも高まったのではないだろうか。

またその3回の敦盛最期は、それぞれ全く違う形式がとられている。まず最初は、観客の目の前で起こる敦盛の「最期」(組討の段)、それからチャリでの語り(脇ヶ浜宝引の段)、最後が熊谷本人が藤の方と相模に聞かせる仕方噺(熊谷陣屋の段)だ。これだけ同じ話を繰り返すのだから、最後の仕方噺は至難であるに違いないし、初演当時も三度目に語っても尚、観客に新たな感銘を与えるだけの実力を持った床と人形があったからこそ実現した演出なのだろうと思う。逆に「組討の段」は、パンフレットによれば、腹を割ってはいけないそうだけど、実際勘十郎さんも和生さんも、床の押さえ気味の演技で納得という感じだった。

それからもう一つ印象的だったのは、藤の方の存在だ。熊谷陣屋だけだと藤の方の存在意義が、相模と比べてどうしても薄くなってしまう。ところが今回、通しで観てみると、敦盛を中心において登場人物の立ち位置を考えれば、敦盛が父の言葉に背いて出陣するの許してしまった藤の方の、敦盛の母としての強い母性愛と悔恨と、盲目的ですらある大胆な行動は、相対する熊谷の見かけ上の敵方としての行動や、その裏に隠された苦悩などをより鮮明に映し出す役割を担っているのだった。今まで熊谷とコントラストを成す母としての愛と悔恨の感情は主に相模が担っていると思っていた。しかし、こうやって通して観ると、首実検でその首が明らかになる前までは、間違いなく藤の方がその役割を担っており、観客も敦盛の出生の秘密、父経盛の気遣い、藤の方が敦盛出陣を許した心底、玉織姫の死などを観て、藤の方に同情を感じている。それゆえ、その首が誰のものかが明らかになった時、母の嘆きを担う役割が藤の方から相模へ劇的に転換する場面は、「熊谷陣屋」だけを観た時に私たちが感じる以上にドラマティックな効果を与えたのだと思う。それにしても巧みだなと思うのは、宝引の段での敦盛最期の語りだ。農民たちによれば、熊谷が敦盛の名前を呼んだのを、敦盛は「あそぼ!」と言われたと間違え、ちゃんばらをし、敦盛がいやになったかしてちょこんと座り、熊谷が首を切った…などというでたらめを藤の方が聞いてしまったのだから、「熊谷陣屋の段」で藤の方が怒り心頭で熊谷に刃を向けたのも良く分かります…?

「林住家の段」は歌人と武人の両方の顔を持つ忠度の物語で非常に楽しみにしていたのだけど、私が観た初日は、まだこなれていなかったのか、ばたばたした感じで残念だった。後半に観ればまた変わるのだろう。

床はやっぱり「熊谷陣屋の段」の前の呂勢さんの語りと、清治師匠の三味線がかもす緊迫した場面展開が圧巻だった。後は英さん、團七師匠。團七師匠の三味線はさすが迫力があって惹き込まれた。

人形は、やはり勘十郎さんの熊谷は玉男さんの熊谷と全然違う。私が観たのは初日と二日目だったせいか、玉男さんの方が一日の長ありかなという気がしたけど、きっと後半の日程に観たら違う感想を持つだろう。和生さんの敦盛と小次郎の二役は観客に身替わりが明らかにならないための工夫なんですね。また藤の方の勘彌さんも良かった。