新国立劇場 フィガロの結婚(W.A. Mozart: LE NOZZE DI FIGARO)

全四幕 初演:1786年
指揮:沼尻 竜典 演出:アンドレアス・ホモキ 管弦楽:東フィル
出演:(アルマヴィーヴァ伯爵)デトレフ・ロート、(伯爵夫人)マイヤ・コヴァレヴスカ、(フィガロ)ロレンツォ・レガッツォ、(スザンナ)中村 恵理、(ケルビーノ)林 美智子、(バルバリーナ)國光 ともこ

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000008.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%81%AE%E7%B5%90%E5%A9%9A

なんといっても、伯爵夫人を演じたマイヤ・コヴァレヴスカが素晴らしかった。”歌姫”と呼ぶのがぴったりな、この美貌と素晴らしい歌声の持ち主のおかげで、満足して帰ることが出来た。


開演前、席に着くとまず最初に舞台装置に、むむむ?と驚かされた。幕が開いた状態だし、舞台は白い箱のままで、大道具、小道具が一切無いのだ。ここからどうやってロココ時代の美しいお城の内部を舞台に作るのだろう?と、つい、裏方さんの身になって心配していると、序曲と共に、仕掛けが分かった。舞台の奥の壁がぎぎぎと開き(やたら大きいが、ドア代わりなのだ)、メジャーで壁を図りながら歌うフィガロの歌の間に次々と引越し用の白いダンボールが運び込まれていく。なるほど、これが有名な段ボールかと納得。演出家のホモキ氏は段ボールを使うのがお好きらしい。結局、ロココ的大道具は登場せず、この段ボールが、テーブルやら家具やらに見立てられていく。


ホモキ氏の演出は非常にシンプルな形に抽象化・記号化されている。例えば、登場人物以外の舞台上の物といえば、白い壁と天井と床、白い段ボール、途中で運び込まれる白いクローゼットのみ。そのうち、白い壁・床・天井はストーリーが進むにつれ、どんどん角度を崩して、箱の形を崩していく。床などX方向とY方向の2軸のかなり傾斜のきつい傾きで(言いたいことが伝わるだろうか?)、そこを動き回る登場人物を見ていると、見ているこちらが頭がクラクラしてくるくらい。おそらく、ますます混迷していく状況を表しているのだろう。また、登場人物は、伯爵と伯爵夫人が真っ白な衣装、フィガロとその婚約者スザンナが黒の衣装、その他の登場人物は男性女性それぞれお揃いの黒の衣装を着ている。これは伯爵夫妻とそれ以外の階級の違いを示しているのだろう。そして最後の幕では全員白い衣装となり、階級は関係のない、人間の物語として終わる。

これはこれで素晴らしいコンセプトで面白いのだが、如何せん、舞台面がシンプルすぎて、すぐに目が慣れて飽きてしまい、進行中のオペラそのものにまで「飽き」の気分を投影しそうになってちょっと困った。考えてみると、舞台上には主題にふさわしい美しい大道具やこまごまとした小道具が適度にある方が面白く、返って舞台に集中することが出来るように思う。頭で面白いと思うことと、感覚的に面白くと感じることの違いということを考えさせられる。


一方、肝心のパフォーマンスの方はというと、最初はイマイチ不調だったのだが、だんだんと尻上がりに良くなった。


序曲では、東フィルの音も早いパッセージなど見事にバラバラで、このまま行くのかと心配になってしまったが、後半は気にならなかった。また、歌手の方も第一幕は若干精彩を欠いていたように思う。ところが、第二幕の冒頭の伯爵夫人ロジーナ役のマイヤ・コヴァレヴスカの突き抜ける、表情のある歌声と、彼女の伯爵夫人然とした姿の美しさで一気に舞台は生気を取り戻した。その後のケルビーノ役の林美智子の「恋とはどんなものかしら」も、良かった。彼女が歌うと、思春期の恥じらいやどきどきとした気持ちが良く表れていて、この曲はそういう気持ちの曲なのだなと改めて感じさせられた。

また、スザンナ役の中村恵理も大抜擢でマイヤ・コヴァレヴスカに引けをとらず頑張っていた。こんな配役だったかなあと思い、後でWebサイトを改めて確認してみると、10月5日付でラウラ・ジョルダーノの代役として発表されている。この短期間で大役を務めたのだから、素晴らしい。

そして、圧巻は、第三幕で伯爵夫人が昔の伯爵との蜜月時代を懐かしみ今の境遇を嘆いて歌う「楽しい思い出はどこに」。その情感のこもった歌は素晴らしく、マイヤが歌い終わった後、しばらく拍手が鳴り止まず、次の演技に移れなかったくらいだ。私も、途中で拍手を止めてしまうのは、これだけ素晴らしい歌を聞かせてくれたマイヤに失礼な気がして、拍手を止めることができなかった。フィガロはストーリーとしては特に感動的という話ではないけれども、モーツアルト独特のきらきらした旋律に加えて、このような素晴らしいパフォーマンスを鑑賞することができたら十分感動ものだ。


ところでフィガロ役のロレンツォ・レガッツォは、いかにもラテン男!という感じで気になって仕方がなかったのだけど、パンフレットを見るとイタリア人らしい。そもそもこのオペラは、イタリア語だからイタリア人でぴったりというわけだ。しかし、よくよく考えてみると、登場人物の名を見れば分かるとおり、スペインを舞台としている。もっといえば、原作者はフランス人のボーマルシェ、台本はベネチア生まれのダ・ポンテ、作曲家はオーストリアモーツアルト、初演はプラハというもので、この時代のヨーロッパは随分と国際的であったようだ。同時代の日本の歌舞伎といえば、毛谷村、先代萩あたりとのこと。随分、作品に漂う気分が違うものだ。もしこの時代に日本に来たヨーロッパ人が歌舞伎や人形浄瑠璃を見たらどう思ったかしらん。いやいや、むしろ、日本人にフィガロを見せたら何と思っただろう?

更に余談だけれども、パンフレットによれば、フィガロの原作は一度は体制批判として上演禁止されたものの、人形劇で蘇ったという。その頃のヨーロッパの人形劇とは、マリオネットだろうか?こちらの方も、当時の日本の文楽の人々に見せて感想を聞いてみたい。