国立劇場 10月歌舞伎公演「平家女護島」「昔語黄鳥墳(むかしがたりうぐいすづか)」

期間:2007年10月3日(水) 〜 2007年10月27日(土)
平家女護島−俊寛− 二幕
  第一幕 六波羅清盛館の場
  第二幕 鬼界ケ島の場
作:近松門左衛門 補綴:国立劇場文芸課 美術:国立劇場美術係
初演: 享保4年(1719年)8月12日 竹本座(人形浄瑠璃)、享保5年(1720年)1月 大阪中の芝居


昔語黄鳥墳(むかしがたりうぐいすづか)
−うぐいす塚− 三幕六場
  序 幕 天満天神の場
  二幕目 長柄長者屋敷の場
       淀川堤の場
  大 詰 長柄長者屋敷奥座敷の場
       同 奥庭の場
       草土手の場
監修:奈河彰輔 補綴=国立劇場文芸課 美術:国立劇場美術係
初演: 天保3年(1832年)3月 江戸・河原崎座
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1458.html

俊寛

いきなり余談だが、国立劇場俊寛を見た帰りがけ、乗換駅で電車を降りたら、目の前に居た小さな男の子が、ドアを閉めて走り去る電車に向かって、「行くな」とばかりに手を伸ばして、何故かワンワン泣き出した。5秒後にはけろっとしていたので大した理由はなかったのだろうが、まるで俊寛の最後の場面を見たようで、ちょっとドキっとしてしまった。自分を残して行ってしまうものには、人間は取り残された孤独感を感じてしまうものらしい。あんな小さい子供でも感じ得るユニバーサルな状況を物語の設定に使った近松、恐るべし。


今回は、鬼界ケ島の前に六波羅清盛館の場を付けたバージョン。その意図通り、俊寛を理解する助けになってよかったと思う。

俊寛が名作なのは言わずもがなであるけれども、鬼界ケ島のみだと、俊寛の絶望や悲しみは良く分かっても、彼の人となりがどうしても理解しにくい。特に平家物語を読んでみると、俊寛という人は仏門にありながら(またはそうであるからこその)無神論者の現世利益至上主義者で、我が強く、現世への未練をものすごく持っている人という印象が強い。近松は自身の戯曲では、俊寛に千鳥の身替りになって島に残させたりして、もっと違う俊寛の人間像を設定しているようであるのはわかっても、平家物語俊寛僧都の人となりの痕跡が歌舞伎・浄瑠璃の設定にも残っている気がして、どうも、理解しにくいのだ。例えば、丹波少将と平判官康頼が一緒に行動しているのに俊寛は一人取り残されていたり、他の二人が熊野権現に見立てた場所に日参しているのに俊寛は神頼みや念仏には興味を持っていなかったり、他の二人が一緒に行動して俊寛のところに来ないのをなじったり、そういったところは、恋の話を聞きたいといったり千鳥の身替りとなる俊寛とは相容れないのだが、どうも平家物語俊寛像に引きずられてしまう。

しかし、六波羅清盛館がつき清盛が出てくることから、俊寛が清盛に眼の敵にされているという状況がはっきりと理解できたし、また、俊寛の妻東屋が清盛に懸想され貞節を守るため自害することを選んだことで、東屋と俊寛の夫婦が強い信頼関係で結ばれており、自分が東屋のことを想っており「語るも恋聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」と言う時の俊寛が本心から片時も忘れず東屋を想っている気持ち、俊寛の瀬尾から東屋が死んだと聞いた時の絶望が、より理解できた。(ちなみに、平家物語では、俊寛の妻は赦免状を俊寛が見る時点では存命である)


六波羅清盛館」の、禿頭の入道清盛(彦三郎丈)とその御殿は何となくデジャブな印象。というのも、先日の三越歌舞伎の傾城反魂香で復活した近江国高嶋館とその場に出てくる敵役不破入道道犬に似ているのだ。同じ近松だから、近松の(またはその時代の)、「偉くて悪い人とその人の御殿」という記号なのだろう。その六波羅清盛館では、俊寛の妻東屋(高麗蔵丈)が懸想され、それを拒む方法として教経(松江丈)が自害を勧めると、感謝して自害する。ここでは高麗蔵丈と松江丈の自害の場面が良かった。松江丈はお父様の東蔵丈とは違った持ち味で、こういう貴公子系がニンのようですね。

「鬼界ケ島の場」は、さすが「六波羅清盛館」がついていたので、たとえば、俊寛が東屋の話を持ち出した時、鬼界ケ島だけなら聞き流すところが、「ああ、俊寛さん、もう東屋はこの世にはいないのだよ、知らないだろうけど!」と俊寛が憐れに思えたりする。また、瀬尾と俊寛のやり取りも、いつもは瀬尾の個人的嫌がらせがかなり入っているように見えたけど、「六波羅清盛館」で入道清盛を見てしまうと、瀬尾が個人的に俊寛をどう思っているかは別として、瀬尾自身が敵役というよりは、真の敵の頂点である清盛の手下として自分の職務に忠実な故に主人公に厳しく当たる赤っ面、という側面が見えてきて印象が異なる(それゆえ、俊寛に刺された時はちょっと可哀相だった)。

瀬尾と俊寛の立ち回りといえば、その場面に関して不思議に思っていたのは、瀬尾と俊寛の立ち回りは見せ場でとってもシリアスなはずなのに、千鳥がデッキブラシみたいなものをもって助太刀するところが、どうにも滑稽で必ず笑いが漏れることだ。この演出は何か間違っているのではないか、という気がしてしまう。しかし、考えてみると、これは元が文楽なのだから、文楽ではチャリ場になっているのかもしれない。もともと島育ちの純朴な千鳥のやることなのだし、文楽だったら違和感ないのだろうけれど、それをそのまま歌舞伎でやると、シリアスな場面に水を注された気がしてくる。(ただし、芝雀丈の千鳥が特に悪かったと言うわけではない。むしろ、素朴さ、芯の強さが出ていてよかったと思う。)

色々あって御赦免船が出立する時、なぜか、ものすごい孤独感、寂寥感が襲ってきた。これは幸四郎丈の芸によるものか、はたまた、だだっ広い国立劇場の舞台装置によるものか。最後、俊寛が岩の上に上る時、岩が国立劇場サイズでものすごく大きいのでびっくりしてしまった。


「昔語黄鳥墳」

染五郎丈の太鼓の演奏と二役の早替わりが見物の復活狂言。名作ではないかもしれないけど、こういう娯楽性の高い演目も残っていて良いような気がする。主演する人を選ぶ演目とは思うけれども、染五郎丈をはじめとして、(やらないと思うけど)菊之助丈とか、勘太郎七之助兄弟等の若手の前髪が似合って人気のある方がやったら、歌舞伎座でも十分受けるのではないだろうか。
宗之助丈の梅ヶ枝が、眼をパチパチさせていて、歌舞伎的にどうなのかは良く分からないけど、いかにもお姫様らしくて可愛かった。久々に見た梅玉丈は、町人の長者役なのだけど、妙に粋な風情で面白かった。長者は大店の旦那的な実直な役かと思ったけど、こういう娯楽作品だから、ちょっと破調で、こんな粋な長者でもいいのかも。(ところで、結局、長者の職業は何だったのでしょう?)