国立文楽劇場11月公演 第一部

吉田玉男一周忌追善狂言
近江源氏先陣館
  和田兵衛上使の段
  盛綱陣屋の段
作: 近松半二、八民才二、三好松洛、竹田新松、近松東南、竹本三郎兵衛等
初演:明和6年(1769年)12月9日 竹本座

艶容女舞衣
 酒屋の段

作: 竹本三郎兵衛、豊竹応律、八民才二等
初演:安政元年(1772年)12月26日 豊竹座

面売り
  作曲:野澤松之輔  初演:昭和19年(1944年) 四ツ橋文楽
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1027.html

とうとう大阪まで来てしまった。しかし来て本当によかったと思える公演だった。
11月9日に本公演に出演中であった貴大夫さんが亡くなられました。私が最後に聞いた貴大夫は今年9月の東京公演二部の菅原伝授手習鑑、加茂堤の段の八重でした。一所懸命な愛らしい八重だったと記憶しています。ご冥福をお祈り申し上げます。


近江源氏先陣館

いつもイヤホンガイドを聞きながら、大夫の語りを聴き、三味線を聴き、字幕を見、人形を観…と、我ながらせわしない様子で観劇している。しかし、この日は、最初の燕三さんの三味線を聞いたら、もっとちゃんと三味線と大夫を聴きたい気持ちに駆られ、今回は、イヤホンガイドを使うのを止めた。イヤホンガイドを使っていても音は聞こえるのだが、やっぱり分からない言葉や意味の分からない行動があるとつい、イヤホンガイドで何か解説してくれないか、気がそぞろになってしまう場合があったりする。幕前の解説は大助かりだし幕間のインタビューは楽しみなのでこれからも借り続けるけど。
今回はイヤホンガイドを聞かず、字幕もあまり見なかったので筋がきちんと追えたか心許ないが、その代わり、三業の魅力を思う存分楽しめて、ますます文楽が好きになった。例えば、よく通る美声の咲大夫さんの語りに燕三さんはドラマティックな三味線で時代物の格調を出し、語り口が柔らかな十九大夫の三味線、富助さんは柔らかく渋い音色を基調に弾く(しかし決めるところは、ばしっと決める)。そして奥を鮮やかに激しく語った千歳太夫と、それを支える格段に素晴らしい清治さんの三味線と。そして目の前には生命を吹き込まれた人形達。本当に幸せな時間を堪能させてもらった。


それと、文雀さんの微妙が観られて本当によかった。すごいと思うのは、文雀さんはいつもの通り、その目を一体どのくらい開けてらっしゃるのか客席からは確認できない状態なのに、文雀さんの遣う微妙はしっかりと孫の小四郎なり、息子の盛綱なりを見つめていることだ。他の人形は割に客席方向を向いていることが多いなか、微妙の自然な立ち振る舞いが人形を生きているように見せている。幕切れも他の人形はそれぞれ見得をするのに、微妙は一人、息絶えた小四郎のそばで自分の二人の息子達家族の不幸を思いやって泣き崩れるのだ。

玉勢さんの小四郎もよかった。さすが武士の息子という育ちのよさと何とも健気な様子に、うるっときてしまった。いきなり切腹してあっと驚かすのは、さすが半二の作品。


一番気に入った場面は、玉女さんが遣う盛綱が決心して「弟佐々木高綱の首に相違御座なく候」というところ。他の人形達もえっと盛綱の方を見て一番のクライマックス。このまま時間がとまって欲しいと思ってしまった。


時政が首実験の後、首は確かに高綱の首と言われ、大笑いするところがあるのだが、ここも面白かった。幸助さんの遣う時政は、この時は見せ場を大夫に譲って、千歳大夫が大笑いをする。だけど、この笑いがなかなか終わらず、最初は、えっと思うのだが、その少々ヒステリックで取り付かれたような高笑いにつられて思わず笑う観客あり、隣の人と顔を見合す観客もありで、最後は拍手喝采になる。面白いなあ。歌舞伎はここの場面はどうするのだろう。この演目はスーパー上手い子役も必要だし、歌舞伎で観るよりは文楽で観る方が楽しめそうだなあ。


艶容女舞衣 酒屋の段

和右さんの遣う丁稚長太がまず笑わせてくれる。居眠りして柱に頭をぶつけたり、お酒を買いに来た女性(実は半七の恋人)に早とちりして物貰いにやる酒は無いよと言ったり、泣くお通を背負っているうち、自分も泣き出してしまったり。和右さんが飄々とした、ちょっと微笑んでいるようにも見える表情で遣っているので、余計笑いを誘われる。


お園(蓑助さん)が来てからは、舅半兵衛(玉輝さん)&半兵衛女房(紋豊さん)の質実剛健夫婦VS.親宗岸(勘十郎さん)と嫁お園の何気に色気のある親子の二組がお互いと半七を思いやってのやり取りが続く大人の芝居の場。勘十郎さんを見ていたら、やっぱり二部の曽根崎心中も見たかったなという思いがちらっとよぎった。


お園の嘆きはもっともなれども、半七の自分勝手な物言いはイマイチ、今の人間には共感できないのが残念。でも、浄瑠璃にはこの手の”ぼん”は結構いますよね。江戸時代の人々には、こういうぼんのどのあたりに共感したのだろう。「どうなってもいいから一度、綺麗な傾城やら芸者さんやらと駆け落ちしてみたい」とかいうことかしらん。
半七の手紙に、「夫婦は二世と申すことも候へば、未来は必ず夫婦にて候」とあるのを見て喜ぶお園は、若干今の人間の感覚とずれるけど、同じタイミングで、「そんなのアリ?」っという感じで横を向いた半七恋人の三勝(清之助さん)の気持ちはよーく分かった。最後、お園や茜屋の内の人々は、半七と三勝が遺した幼子お通(蓑次さん)に慰めを見出したようで救いがあるが、この場で一番不幸な登場人物は、意外にも急転直下の逆転で、お通を失い半七に付き合って死に場所を探しに行かなければならない三勝になってしまった。


面売り

おしゃべり案山子という大道芸人と面売りの娘が道で出会って、「ぼくたちさー、別々に商売するよりコラボした方が面白いんじゃない?」「おー、なーいす・あいでぃあ!」と意気投合、ということで始まる踊り。

これは、歌舞伎の方の三津五郎丈の「三つ面子守」の踊りや「奴道成寺」の面を使っての踊りの方が面白かったかも。人間がやった方がすごさが際立つし、何せ坂東流の家元の踊りだし。三津五郎丈の素晴らしい踊りを先に見てしまった不幸なアクシデントでした。こちらを先に見たのならきっととっても面白かったと思います。

それにしても、第二次世界大戦終戦の前年のものとは思えないくらい、能天気に明るい作品。色んな本等で読んだ戦時中の文楽の人々の大変さを思い起こすと、この時代、人々がどのくらい太平の世を切望していたかが作品を通してとってもよく伝わってくる。

そんなこんなで大夫さん、三味線、人形の楽しいアンサンブルで気持ちよく舞台を見終えることができた。本当は二部も見て、住大夫さんの語りを聴きたかった!