新国立劇場 カルメン

全三幕
初演:1875年パリ オペラ・コミック座
指揮:ジャック・デラコート
演出:鵜山 仁
出演: (カルメン)マリア・ホセ・モンティエル、(ドン・ホセ)ゾラン・トドロヴィッチ、(エスカミーリョ)アレキサンダー・ヴィノグラードフ、(ミカエラ)大村 博美、(スニガ)斉木 健詞、(モラレス)星野 淳、(ダンカイロ)今尾 滋、(レメンダード)倉石 真、(フラスキータ)平井 香織 、(メルセデス)山下 牧子

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000028.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3_%28%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%29

さすが、オペラを見たことが無くとも知らぬ人はいないカルメン。文句なしの面白さだった。パンフレットを見て知ったのだが、ビゼーは36歳で無くなり、カルメンは最後のオペラという。知らなかった。あの音楽室に貼り出されている横顔はちょっと老け顔で、40代か50代かと思っていた。ビゼーの「カルメン」や「アルルの女」に聞き覚えの無い人なんているだろうか?そんな、ポール・マッカートニー顔負けのメロディー・メーカーが早世していたなんて、つくづく惜しい。もっと長生きして楽しいオペラを沢山創って欲しかった。


《第一幕》

主役のカルメンは当初マリーナ・ドマシェンコとなっていたが、健康上の理由でマリア・ホセ・モンティエルに変更となったという。マリア・ホセ・モンティエルは、Web上のプロフィールの写真も美人であるが、ホンモノはそれ以上にカルメンだった。


カルメンは胸を張り、あごを反らし気味にして、ゆったりとスカートの裾を翻して歩きながら、真っ赤な口紅に妖艶な笑みを浮かべて流し目を投げかけつつ、あるいは、ドン・ホセ(ゾラン・トドロヴィッチ)の真ん前に立ちはだかり、あごを引いて挑発的に睨みつけながら、一輪の薔薇でホセの顔を撫ぜ、その花をホセの眼前に投げつける。そして、あの有名な「ハバネラ」で、「恋はジプシーの子供 掟は無しよ」とか「あなたが惚れなければ私が惚れる でも私が惚れたら危険よ」などと歌う。

そんなことされたら、そりゃ、ホセでなくても、参ってしまうでしょう。

更に、カルメンが投げ捨てた薔薇をホセが胸元に大事に持っているのを見て、「その薔薇は捨てていいのよ、もう恋の魔法はかかったのだから」などと言う。私には一生言えないせりふだ。とにかく、かっこいいのです、このカルメン


最初は迷惑そうだったホセも、簡単にカルメンの魅力のとりことなってしまう。冒頭に一度登場した純粋で控え目なホセのガールフレンドのミカエラ(大村 博美)が、その後に再度登場し、ホセに彼の母の様子を伝える。しかし、好ましいミカエラも、あれだけ印象的な登場の仕方をしたカルメンの後では、少し物足りなく見えてしまうのだから、面白い。

同じように次の幕では、ホセの恋敵、エスカミーリョ(アレキサンダー・ヴィノグラードフ)が印象的な登場の仕方をし、ドン・ホセが色褪せて見えてしまう。


《第二幕》

そのエスカミーリョの登場の仕方は、こんな感じだ。まず、リーリャス・パスティアの酒場でのカルメンの歌と他のジプシーの踊りで盛り上がり、更に酒場の大合唱が最高潮に達したところで、舞台正面奥のバルコニーのようなところから、エスカミーリョが、全身黒尽くめの細身の革のスーツとマントに身を包み、黒の帽子を目深にかぶって、ミステリアスに現れるのだ。エスカミーリョは、バスの豊かで通る声を響かせながら、あの「闘牛士の歌」を歌いつつ、ゆっくり階段を下りてくる。そして、舞台の中央まで来ると、さっとマントを鮮やかに翻して、帽子のつばに手をかけながら微笑んだかと思うと、その帽子を高く鋭く放り投げる。それが見事なまでに決まっていて、むちゃくちゃカッコよかったのです。あまりにかっこよく決まったので、その瞬間、ひょっとすると、私の目はハート型になっていたかもしれません。
 

アレキサンダー・ヴィノグラードフのエスカミーリョは、よくよく見れば、「闘牛士のチャンピオン」というよりは、「闘牛士のコスチュームをしたフィギアスケートのプリンス」という方がぴったりで、マリア・ホセ・モンティエルのセクシーで大人なカルメンと絶妙に釣り合っているとは言い切れなかったかもしれない。が、この時は、本当にかっこよく決まっていたので、カルメンの頭からすっかりドン・ホセが追い出されてしまったのも、致し方なし!という感じだった。


エスカミーリョが去った後、ドン・ホセが登場する。そのトランペットのように開放的に良く響く、美しいテノールで歌う歌声は素晴らしいのだが、如何せん、カルメンの心は、もうエスカミーリョに向かってしまっている。カルメンは、カスタネットを使ってゆったりとした踊りを踊りながら歌うのだけれども、ホセは、ラッパがなった、点呼が始まってしまうと、あたふたと帰ろうとする。その行動が、カルメンを怒らせる。それはそうだ。カルメンの心はスペインきってのヒーロー、生死を賭して戦う闘牛士のチャンピオンに行ってしまっているというのに、ホセに、ラッパだ、点呼だ、帰らなければ、などと言われれば、興ざめもいいところだ。

なお、この場面で、ホセの上司であるスニガ(斉木健司)がカルメンの崇拝者として出てくるのだが、良く響くバスで、外人勢にも遜色ない歌いっぷりでよかった。


《第三幕》

一方、ミカエラは、カルメンを追って険しい岩山に隠れ住む密輸団に入ったホセを探しにやってくる。その決心を歌う「何が出たって怖くはないわ」は、美しいアリアだった。そもそも、ホセはカルメンに挑発されても無視してちゃんとミカエラだけを見ていればよかったのだ。そうすれば、ホセとミカエラは今までどおり幸せだっただけでなく、カルメンエスカミーリョとの恋を全うできたのに。


最後の第二場は、闘牛場の前。真紅のドレスを着て、髪には赤い花を挿して闘牛場の前でエスカミーリョの登場を待つカルメン闘牛士がパレードをしながら次々と闘牛場に入場していく。闘牛士には、沢山の薔薇の花が投げかけられる。エスカミーリョも大トリを飾って登場し、カルメンと短いデュエットを歌って、闘牛場の門をくぐって行く。

せっかく出てきたエスカミーリョは、全身ピンクに金モールという、ピエロのような、ありえないコスチュームで登場し、私を大いにがっかりさせてくれた。真紅の、胸元の大きく開いたドレスを着た女が、ピンクのピエロのようなコスチュームを着た男を好きになることなんてあり得るだろうか?しかし、まあ、仕方ない。エスカミーリョがカッコよすぎたら、カルメンとホセのラストがしまらないから。


そしてドン・ホセの登場。ホセはカルメンに「戻ってきて新しい生活を始めよう」と言う。しかし、カルメンは、「いやよ。私は自由に生まれて自由に死ぬの!」と言い放つ。カルメン、かっこよすぎます。私も一生に一度でいいから、そんなセリフを絶妙のシチュエーションで言い放ってみたい。。。しかし、その言葉にホセは逆上し、カルメンを短剣で刺してしまうのだった。パレードの後に薔薇の花が撒き散らされた地面に、一輪の赤い薔薇のようなカルメンが倒れこむ。ホセは自分のしてしまったことに愕然として、「私がカルメンを殺した」と叫ぶのだった。

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このカルメンは、演劇・セリフ劇として見ても、とてもよく出来ていて面白いということが、字幕を見ていて良く分かる。(株)イヤホンガイドさん、いつも本当にありがとう!お世話になりっぱなしです。。。と思って検索をしたら、なんと、イヤホンガイドの社長さんが亡くなっていた。ご冥福をお祈りいたします。


音楽の方は、東フィルの前奏曲から第一幕前半にかけての立ち上がりが悪く、どうなることかと心配したが、後半はとても素晴らしかった。東フィルは、いつも後半は素晴らしいのに、前半の立ち上がりがよろしくないのはどうしてだろう?リハーサルの時間が不足していて、やっているうちに調子が出てくるとかいうことだろうか?カルメンの登場シーンのハバネラでは、マリア・ホセが、たっぷりと歌おうとしているところをオーケストラが先走ってしまうという場面も見られ、ちょっとかわいそうだった。


演出は、舞台装置が、第一幕の昼下がりのタバコ工場、第二幕のリーリャス・パスティアの酒場等、いかにもスペイン(行ったことないけど)、という感じで良かった。タバコ工場の場面で女工が沢山、タバコを片手に出てきてカルメン女工の喧嘩について語るとき、タバコの香り(のするお香?)が香ってきて面白かった。香というのは、思い出そうと思っても自力で思い出すのは難しいけど、一度香を嗅げば一気にその世界に入り込ませる、「失われた時を求めて」のマドレーヌ的作用を持っているように思う。そういえば、以前、歌舞伎で、東大寺二月堂にある良弁杉を題材にした「良弁杉の由来」を仁左衛門丈がやったのを見た時、お香の香りが歌舞伎座に立ち込めて素敵だった。
ダンサーや子供達もよかった。本来なら、舞台上、あまりごちゃごちゃしていると演技の邪魔になるのだろうが、今回は、スペインだし、ロマのお話だし、雑然とした雰囲気が合っていたように思う。
また、キャスティングは、カルメンが代役となってしまい、本来、どのような舞台になるはずだったのかは良く分からないが、ホセ役とエスカミーリョ役は年齢的には反対の方が良く感じる。世界のカルメンの常識ではどうなのだろうか?今回のゾラン・トドロヴィッチ(ドン・ホセ)とアレキサンダー・ヴィノグラードフ(エスカミーリョ)だったら、音域・レパートリーの関係から交換は無理でしょうけれども、もし、役を交換できていたら、もっと、説得力のある物語になっていた気がする。というのも、ドン・ホセは基本的にマザコンで、かつ、カルメンに戻るよう泣付く弱弱しい面があるので、ホセがエスカミーリョより年上だと、若干、人間的に問題がありそうなヒトのように見えてしまうのだ。もし、ホセが、アレクサンダー・ヴィノグラードフのような若者で、都会的かつ繊細なタイプだったら、そういうことも若さ故のものとして、説得力が増すし、それが魅力的にさえ見える気がするのだが、どうだろう?まあ、そんな風に色々考えられるのも、人形とは違う生身の人間のパフォーマンス故の面白さだし、第一、日本にあって外国の実力のある歌手を呼んでくるのは、なかなか大変であろうから、合う合わないなどと贅沢なことは言えないような側面もあるのだろう。

それから、幕が終わる度にカーテンコールに出てくるというのが変わった趣向だった。オペラではこういうカーテンコールのやり方は、よくあるのだろうか?一幕から三幕まで登場人物はあまり変わらないので、ちょっとやりすぎな気がしないでもなかったけど、それによって出演者が気持ちよくできるのなら、拍手するのはやぶさかではないです。


そうそう、休憩時間と終了後に、12月一杯で新国立劇場発渋谷行の無料バスが無くなり、来年からは有料の都バスになると、しきりにアナウンスしていた。世知辛い世の中でんなあ(住大夫さんの声でお願いします)、と、急に大阪人のふりをしたくなってしまった。