国立能楽堂 「清水座頭」「邯鄲」

解説・能楽あんない   能の時間と空間  増田正造
狂言 清水座頭(きよみずざとう) 野村萬和泉流
能   邯鄲(かんたん)夢中酔舞(むちゅうすいぶ) 角寛次朗(観世流
曲柄:四 季節:不定 面:邯鄲男?

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この日は真っ青に晴れた日だった。
国立能楽堂に行き着くまでの銀杏並木に、風が吹きつけ、青い空に黄金色の銀杏の葉が吹雪のように降ってきていた。
ちょっとないくらいの美しさだった。

清水座頭

盲目の瞽女(ごぜ)と、同じく盲目の座頭が、お互い別々に、伴侶を与えてもらえるよう祈祷しようと清水寺にやってくる。偶然、念仏堂で出会った二人は、打ち解け、酒を飲み交わす。まどろんでいると、二人とも清水寺の西門に相手が立っているという夢のお告げを得て、改めて二人はお告げで与えられた夫と妻として西門で出会い、仲良く、去っていく、というお話。特に笑いが起こる、というような場面はない、ほのぼのした内容で、ほっこりする、という言葉がぴったり。特に野村萬師の表情が良かった。それと、終わり方も素敵なのだ。これは、感覚的にはハリウッド映画のロマンティック・コメディのラスト・シーンだ。


瞽女というのは、旅芸人をいい、また、座頭というのは元々琵琶法師の称号のひとつで(他に検校、別当、勾当があるという)琵琶・三味線・琴等で最初は平家物語、後は昔話などを語っていたらしい。瞽女の衣装は、クリーム色?の地に、赤や緑の紅葉が散らしてあるもので、素敵。この前の因幡堂の奥さんも同じような衣装だったような?


清水寺というのは、本当に、良縁を取り持つ場所として有名だったのだなあ。この前の因幡堂も、西門の一階に女を立たせておくという嘘の夢のお告げがあったけど、あれは清水寺の西門だったのだろうか。それと、「阿古屋」の中で、重忠が阿古屋に景清との馴れ初めを聞く場面があるが、そこで阿古屋が、清水に日々参拝していて出会った、という。最初、それを聞いたときは、阿古屋は遊女とはいえ信心深かったんだー、と思ったが、この段で行くと、清水は、出会いのメッカだったのだから、まあ、出会いを求めて遊びに行った、というような感じなんでしょうね。そういえば、永徳の洛中洛外図屏風にも、出会いを求めて清水寺に行く、男性のグループと女性のグループの絵があった。


邯鄲

盧生(ろせい)という青年が、人生に悩み、旅をしていたところ、邯鄲の枕についての噂を聞く。早速その宿に行き、宿の女主人が粟飯を炊くまでの間、邯鄲の枕を使って一眠りする。すると、扇を畳に当てて音を出す者があり、目覚めてみれば、盧生は楚の国の王位を譲られたと言われ、輿に乗って宮殿まで行く。様々な素晴らしいものを見聞きしていると、ふと気がつけば五十年が経ち、皇帝となった盧生に酒が振舞われ、舞が回れると、盧生も釣られて舞を舞う。すると、家臣や舞童はたちまちどこかに消えてしまう。再度、枕をして寝ると、今度は宿屋の女主人が粟飯が出来たことを、扇を畳に当てて音を出して知らせて、盧生は夢から目が覚めることになる。盧生は五十年の栄華は粟飯一炊の間の短い夢であったことを知り、この枕が、と枕を眺める。悟った盧生は、故郷に帰っていく。


盧生が皇帝になって五十年を祝って大臣達が舞い、続けて盧生自身も舞うところは、圧巻だった。もっと舞について色々知っていたらさらに楽しめそうなのに、全然知識が無くて残念。それから、夢から覚める時、盧生がものすごい勢いでバンと横に倒れ、頭が見事に枕の上に着地したのでびっくりした。また同時に、大臣達と舞童が、まるで「勧進帳」の後半で弁慶に促された義経一行がさささっと退場する時と同じように、さささっと掃除機に吸い込まれるように切戸に入っていってしまったところが面白かった。映像なら、さしずめフェードアウトするかCGで処理するところだろうが、「呆気に取られ度」は、さささっと切戸に入ってしまう方が上かもしれない。


今回は、子方は、観世喜顕くんだった。若草色っぽい衣装を着た喜顕くんは登場から、ずっと微動だにせず、一点だけを見続けていたが、さて見せ場となったら、堂々と踊っていた。立派ないっぱしのプロフェッショナルだった。彼は、こうやって、これから何十年も舞い続けるのだろう。同じくらいの頃の私はといえば、自分が何者になるかもわからず、ぼーっとしていて、思えば全く異なる人生だ。すごいなあ。

盧生の面、邯鄲男?が、興味深かった。詞章に「われ人間にありながら仏道も願わず、ただ茫然と明し暮らすばかりなり」という詞があるが、その通り、二十歳前後にも思える若い、繊細な青年の「茫然」とした表情なのだ。ところが、邯鄲の夢を見て、栄華の絶頂で舞を舞う時は、少し顔の角度を落としたら何か鋭い顔つきをしているように見えたし、目が覚めて、座したまま、ああこれか、と邯鄲の枕を見るときも、枕の位置である1メートル弱下を見るのだが、本当に、「ああ、これか…!」という、何か悟ったような表情になるのだ。


衣装に関しては、不思議に思う点があった。盧生は冒頭で自分のことを「仏門も願わず」というのだけれども、今回、盧生は、僧の被るような帽子を被り、五条袈裟のようなものを首からかけていたのだ。盧生の衣装は全体的に歌舞伎の俊寛の衣装の色をもう少し淡い、鼠志野のような上品な色合いにしたもので、俊寛同様、古代裂のつぎはぎのような感じになっていたように見えた。長い旅で服がボロボロになっているということを示すのだろうか。唐団扇を持っているのは、中国のお話だということだろう。唐団扇は、白地に草花のように見える文様が描かれていた。


作り物も面白かった。まずは、この物語の中心となる、邯鄲の枕。これは森永ハイソフトみたいな長方形をしており、橙色に近い色の、色入りの唐織のような布にくるまれていた。宿の女主人が運んできたように思うが、今ひとつ記憶が。。
もうひとつの作り物は、宿のベッドルームとなる、小宮。囃子方地謡の人たちが位置についた後に、地謡の方が二人で、大きな畳一畳と、畳の四隅に設置するストローのお化けのような柱、小さな屋根を揚幕から運んできた。地謡の斜め前まで来ると、舞台に下ろして、二人の地謡の方が一緒に、脇正面に近い方の柱、遠い方の柱、と組み立てた。息がぴったりだったので、そうか、こんな簡単なことにもお作法があるのだ、と感心してしまった。
それから、盧生が皇帝となるために宮殿に行くときに載る、お輿だ。お輿は屋根だけのつくりで、夢の中の大臣達と一緒に盧生が寝る場面から二人の輿舁がもってきた。どうやって使うかというと、二人の輿舁が盧生の両脇に立って、盧生の頭の上にお興の屋根を掲げる。それで輿に乗っていることを表すのだ。面白い!子供の頃の電車ごっこを思い出した。


ところで、そこはかとなく、この話には胡蝶は出て来ないんだっけ?という気がしていたのだけど、考えてみたら「胡蝶の夢」と「邯鄲の一炊」は別のお話でした。ええ、ややこしい!


<出演者データ>

■解説・能楽の案内

能の時間と空間 増田正蔵(ますだ・しょうぞう)

狂言 清水座頭(きよみずざとう)(和泉流

シテ/座頭 野村 萬 アド/野村万蔵


■能  邯鄲(かんたん) 夢中酔舞(観世流

シテ/盧生 角 寛次朗

子方/舞童 観世 喜顕

ワキ/勅使 森 常好

ワキツレ/大臣 舘田 義博

ワキツレ/大臣 森 常太郎

ワキツレ/大臣 梅村 昌功

ワキツレ/輿舁 則久 英志

ワキツレ/輿舁 野口チ 琢弘

アイ/宿の女主人 小笠原 匡

笛 一噲 隆之

小鼓 幸 清次郎

大鼓 柿原 崇志

太鼓 観世 元白

後見 観世 恭秀

    寺井 榮

地謡 坂井 音雅  木原 康之

    武田 友志  岡  久広

    野村 昌司  武田 志房

    北浪 貴裕  関根 祥人