国立文楽劇場 第一六一回文楽公演

信州川中島合戦
  輝虎配膳の段
作:近松門左衛門 初演:享保6年(1721年) 大阪 竹本座

新版歌祭文
座摩社の段
野崎村の段
作: 近松半二 初演:安永9年(1780年) 大阪 竹本座
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1549.html

普段のオールスターの配役ではじっくり観たり聴いたりすることの出来ない方々の芸を鑑賞できて、とっても新鮮だった。今後の観劇の楽しみが出来た。


信州川中島合戦
輝虎配膳の段

見どころの多い段でとっても楽しかった。

まず、特筆すべきは、人形のアクションだ。この段は、女性陣がアクションシーンで大活躍する。和生さんの遣う山本勘介の母、越路は、「菅原伝授手習鑑」の覚寿、「近江源氏先陣館」の微妙と共に「三婆」と呼ばれる重要な役どころなのだが、他の二役に比べて、何気にお茶目というか飄々としていながら、豪気なところがある。

例えば、輝虎、即ち上杉謙信の臣下で越路の娘の夫である、直江(玉輝さん)が越路に輝虎が袖を通したという小袖をプレゼントしようとするシーンがある。ここで越路は、直江・輝虎の、勘介を長尾側に引き入れたいという下心を見抜き、相手のペースには乗らないぞ、とばかりに直江の言葉をかわそうとする。そこまではよく判るのだが、そこで越路は、「この婆はこの年まで人の古着貰うて着たことがない、ナウ、嫌や忌々しい」といって突っ返すだけでなく、いきなり座布団の上で、肘枕して寝転がってしまうのだ。それだけではない。輝虎が機嫌よく自ら盛装してもてなしの膳を運んでくると、越路は何と、脚でそのお膳をひっくり返してしまう。思わず、星一徹か!と突っ込みたくなる場面だ。ただし、そんな大胆な行動を取る越路の様子は、武家の老母という役どころからなのか、遣っている和生さんから醸し出される雰囲気からか、何処となく育ちの良さから来る天真爛漫さが感じられ、このあとキレてしまう短気な輝虎との対比が、余計、強調されていた。

さらには、勘介が女房、お勝(紋豊さん)は、輝虎(玉女さん)が越路の態度にキレて立ち回りとなるところのアクションが面白い。なんと、琴を弾きながら、輝虎の切り付けようとする刀を、その琴を武器にして応戦したりするのだ。このパフォーマンス、そのへんのロックバンドのギターアクションなんて、全然、目じゃないのだ。というか、姑が姑なら嫁も嫁、お勝も世のロックスターに先んじること約三百年、楽器を演奏以外のアクションに使っていた。まったく、越路のお膳ひっくり返しといい、お勝の琴を使ったアクションといい、There's no new thing under the sun、である。

一方、床では松香大夫、新大夫、呂勢大夫、南都大夫、咲甫大夫、靖大夫が掛け合いをし、燕三さんが寛太郎さんが琴を弾いたので伴奏にまわった個所を除いて一人で三味線を弾いた。今回は私的には三味線がとても面白かった。というのも、燕三さんの三味線は、ドラマティックでメリハリのある演奏なので、三味線の人がどんなプランで段全体の流れを構築しようとするのか、また、掛け合い・琴・三味線のバランスが崩れてしまった時、どうやってリカバーするのか等、よく聴くことができて(私としては、です。もちろん)、とても楽しかったのだ。もちろん演奏そのものも素敵だった。また、寛太郎さんの琴の音が大きく、前に出ているのが良く感じた。


新版歌祭文

今回は座摩社の段という野崎村の前段からの上演。これは文楽でも珍しいそうで昭和五十九年以来の上演だとのこと。また、イヤホンガイドの高木さんの解説に拠れば、今回は病気で床に臥せっている母が出て来る丁寧な演出という。ちなみにに母が出て来ないバージョンを「ババ抜き」と言うのだというそうだ。ひ、ひどい…。


座摩社の段

この段は、掛け合いで太夫さんが沢山出て来るし、チャリ場だし、賑やかな一幕。が、何より華やかだったのは、観客席から沸き起こる若い女性の笑い声!ここ最近、観客に若い女性が増えてます?三浦しをんさんのお陰か?すごく新鮮だった。おぢさん達が若い女性が好きな気持ちが分かってしまった。いかん、いかん。

舞台の方に話を移すと、なんといっても勘十郎さんの遣う手代小助が面白かった。まず、動きが大きくていきいきしているだけでなく、受けの芝居も自然で、つい、芝居に絡んでない時も目をやりたくなってしまう。そもそも、この役の性格付けが面白い。もう、お主の女房に成り代わって、「コレ子助、お前は何故その才覚を本業に活かさぬのじゃ!」と言ってあげたいくらい、悪知恵が働く悪いヤツなのです。小助を語る津国大夫も面白い。油屋のお染を想ってお百度参りをする佐四郎からお金をせしめるために、お染からという手紙を読む場面では、もったいぶってちょっとずつ読んでは、その先を早く!と思うところで止めて、この後を聞きたかったら「ソレ冥加銭」と催促。しかも冥加銭を支払って続きを読めば、聞きたくもない続きが待っているという、TVCMよりたちの悪い小助なのだ。津国大夫、乗りに乗って楽しそうに語っていて、こちらも楽しくなった。乗りに乗っていたといえば、法印を語る始大夫。佐四朗の人相見、占いをどんどん勝手にやっていくのだが、佐四朗の背中にあるハズの疣のせいで「人に物を遣るばつかり」という時、牛蒡やら数の子やらと並べて「商品券」まで挙げたので、観客はどっと笑ってしまった。その時代、商品券なんて無いですから!


野崎村の段

「年の内に春を迎えて初梅の花も時知る野崎村」という詞章で始まるこの段。なんと、既に江戸時代から地球温暖化現象は始まっていたか、と一瞬思ったが、江戸時代は旧暦だし、どうも、この前の乾山展にあった「十二ヶ月歌意図屏風」等を見ても、正月と言えば梅というイメージがあったようだ。

いつ見ても、なんで久松(分司さん)が二人の女性から好かれるのか分からないが、久作さん(玉也さん)は、文楽の老人らしく、自分の病気の妻、子供達を思いやる、人間味のあるいい親父。歌舞伎、文楽、能を比べて一番老人が活き活きしているのは、文楽だ。何故だろう。特に歌舞伎は文楽を基にしているのだから同じ解釈でもおかしくないはずなのに、歌舞伎で演じられる老人達は大体、文楽より五割り増しに好好爺、あるいは優しい老母になってしまう。

おみつ(清之助さん)の大根切りのシーンは、興味津々。人形でどうやって切るの?と思ったら、ダンと一発、大根に包丁をいれたら、その後は、俎板の上でタンタンタンと音も軽やかに包丁を空振りさせていた。そりゃそうだ。人形遣って本当に切ってたら危ないことこの上ない。

それから、久作にお灸をする場面も面白かった。おみつは久松とお染(蓑二郎さん)に気をとられて久作の頭にお灸をすえてしまったり、おみつと久松は久松を挟んで正座して、お互い、畳をポンと手の先で叩きながら言い争い、最後には、久作を間に挟んで押しくらまんじゅうをしてしまう始末。

今回は母親(玉英さん)が出てきたので、その分、この話の悲惨さがいや増した。母親が隣の障子家体から出てくると、ババ抜きバージョンでは、障子家体に母親がいる心でとりあえず、久作もおみつも取り繕ったりするのだが、今回のバージョンでは母親が娘の花嫁姿を見たさに母屋に出てくるので、おみつが髪を切り、五条袈裟をかけていることはすぐにばれてしまう。なんということでしょう。百日と限りある大病というのに、その死の間際に、祝言を楽しみにしていた娘が尼になったことを知るとは。こんな残酷な話だったんだ、本当は。

最後の場面は、久松が駕籠に、お染と母親が舟と、分かれて帰るが、これは、歌舞伎と違い両花道を使ったりしないので、すぐに舞台から消えてしまう。それと同時に上から何やら平たいものが降りてくるので、もう幕?あの有名な「おおさらば」「さらば」はどうなっちゃうのよ?と思ったら、上から降りてきていたものは背景の書割で、舟が川を行く場面となる。歌舞伎では駕籠かきが「熱いねー」てなことを言いながら花道で身体を拭いたりするけど、今回の文楽は舟の船頭さんのチャリ場。舟の後尾で竿さそうとするが、勢い余って川に竿ごと落ちてしまう。さあ大変とクロールで(!)舟に戻るも、竿は流されっぱなし。舟に近いのでまずは手で竿をつかもうとするも、届かず、今度は足首で掬って取るという芸の細かさ。身体を手ぬぐいで拭くと(またまたご丁寧に両脇まで拭くのです。これはチャリ場における一種のお作法ですね)、また舟を漕いで今度こそ幕となるのでした。


それにしても、油屋の将来はこの二人にまかせて大丈夫なのか、と思ったら、パンフレットにその後のお話が載っている。結局二人はその後も色々あって最後は心中してしまうらしい。うーん、誰か幸せになる人はいるんかいな。そういう結末なら、野崎村で終わって満足です。