国立劇場小劇場 第三九回文楽鑑賞教室(Bプロ)

一、寿柱立万歳(ことぶきはしらだてまんざい)
一、解説 文楽のたのしみ
  義太夫節について
  人形の遣い方
一、伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)
  沼津の段
  作:近松半二、近松加作、初演:天明3年(1783年) 大阪 竹本座

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1267.html

寿柱立万歳

三河万歳の大夫と才三が賑やかな節に合わせて歌い踊るという景事。床が始大夫が大夫役、とつばさ大夫が才三役だった。二人がテンポ良く楽しそうに語っていて、聴いている私も楽しい気分になれて満足。また、お二人の声が張りがあって若いというのが、新鮮だった。これから更に経験を積まれて、声色を鍛えていかれるのだろうなあ。楽器とは違う、声を使う職業ならではのことだ。今のお二人の声をよくよく覚えておこうと思った。将来、お婆さんになった時、始大夫とつばさ大夫はねー、昔はこうだったのよ、と若者に威張るのじゃ!


解説 文楽のたのしみ
  義太夫節について

義太夫節について、相子大夫と三味線の清丈さん。相子大夫の朗々とした解説に、三味線の清丈さんがぼそぼそと被るように合いの手を入れるのが面白かった。恐らく、大夫の語りと三味線の音の掛け合いの様子を、話し方でまねているのだろう。

その様子を聴いていたら、義太夫節についてちょっと得心するところがあった。西洋音楽では、全体がまず最初にあって、各楽器の旋律は全体の音楽を構成する部分と捉える。だから、楽器毎の旋律のことをパート(部分)とも言う。一方、義太夫節は、確かに最終的には一体のものを目指しているのだろうが、太夫と三味線は個々の掛け合いによって、ひとつの音の世界を作るのであって、どちらも自分が部分だとは考えていないだろう。…ということを解説を聞きながら、思った。当たり前のことだけど、自分として、腑に落ちた気がした。


  人形の遣い方

一輔さんによる人形の遣い方。丁寧な解説でためになった。特に、左遣いの人にサインを送る方法というのが面白かった。

数輔さんによれば、足遣いの人は主遣いに体の一部が触れているので動きを察知し易いが、左遣いの人は全く主遣いに触れていないため、どう動くか、タイミングを計るのが難しいという。例えば、両手を合わせるにもタイミングが合わないと両手が合わない、というのは、観てるだけでは分からなかった。それで、主遣いの人は、左遣いの人に人形の首の方向や肩の傾け方で、左手をどう動かしたいかサインを送るという。いつも、特に女方の人形は動きが踊りのようで美しいと感じていたが、そういったサインの仕組み自体が、人形の動きの美しさをも醸し出す遣り方になっていることが分かった。これを考え出した人は、えらい。

また、一輔さんが色々な動きを娘(だったかな?)の首の人形を使って示してくれるのだが、そのとき、口頭で「あら、私としたことが。はずかしいわ!」とか、動きが示す感情を言葉に表して分かり易く遣ってくれた。それが、ほのぼのとした様子で、なんとも可笑しかった。



伊賀越道中双六
  沼津の段

玉也さんの遣う平作に感動した。また、最後に登場する幸助さんの遣う孫八が鬼気迫る迫力で圧倒させられた。ニュースを読むとお父様の玉幸さんが亡くなられたとのことだった。幸助さんにとっては、さぞや大変な公演であったのだろう。また、床を見れば、平作切腹の時、千歳大夫は語りながらボロボロと涙をこぼされていた。


これが、今年の文楽の見納めだった。今年は私個人は、二月の文楽公演で文雀師匠&住大夫師匠等の摂州合邦辻に衝撃を受け、文楽の面白さを知ったが、一方で、いくつかの不幸なニュースにも接することになった。文楽協会のホームページのトップページには、「魂を受け継ぐ者達の道は、どこまでも続いていく」というキャッチ・コピーがあるが、本当に、立ち止まらず、私達観客を引き連れて、どこまでも続けていって欲しい。