歌舞伎座 十二月大歌舞伎 夜の部

一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
  寺子屋
作:竹田出雲、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲
  初演: 延享3年(1746年)8月 大阪 竹本座 (歌舞伎)同年10月 京都
二、粟餅(あわもち)
  作詞:三世桜田治助、作曲:五世岸澤式佐 初演:弘化2年(1845年) 江戸 中村座
三、ふるあめりかに袖はぬらさじ
  作:有吉佐和子 演出:戌井一郎 初演:昭和47年(1972年) 名古屋 中日劇場

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2007/12/post_20.html

菅原伝授手習鑑
寺子屋

最近、文楽付いているので、自分の中で義太夫=関西弁というイメージが出来上がってしまっている。それで数週間ぶりに歌舞伎を観たら、義太夫狂言なのに、役者さん達が関西弁でないのが、妙に新鮮に聞こえた。これが、つまり江戸歌舞伎のスタイルということか。

戸浪の勘太郎丈が上手いのと、千代の福助丈が、終盤、ずっと泣き崩れそうになるのを必死に堪えていたのが印象的だった。特に、福助丈に関しては、ちょっと宿題をもらった気分だった。福助丈の泣き崩れそうになるくらい演技に集中するのは素晴らしいし、感覚的に共感できる。が、時代物として演じる場合、例えば、この前の文楽の盛綱陣屋の小四郎の切腹でもそこまで篝火は泣いていなかった。どこまでがセーフでどこまでがNGなのか、今の私には分からない。もっとお芝居を観て、わかるようになりたい。


粟餅

三津五郎丈と橋之助丈の楽しい踊り。杵でついているのは格好だけかと思いきや、本当に黄色いお餅が出てきた。短い踊りはすぐに終わって残念!


ふるあめりかに袖はぬらさじ

岩亀楼の米国人客、イルウス役の弥十郎丈の英語が上手いのにびっくりした。もともと英語が流暢でおらるか、念入りなネイティブスピーカーのチェックを受けられたかだろう。少なくとも歌舞伎座に来て観劇しているような外国人には問題なく通じるだろう。が、英語というもうひとつの言語に依拠した文化を意識しながらこのお芝居を観てみると、どうも複雑な思いが湧き上ってきてしまい、幕が下りた後も、さっぱり気分を変えて帰ることができなかった。

ひとつには、遊女というのを"prostitute"と言っていたのが、いまさらながら、ショックだった。実際、英語版のイヤホンガイドなどでは、遊女については何と説明しているのだろうか。他の人はどうなのか良く分からないが、私自身は、歌舞伎を観ている時に、遊女が出てきても、そういう側面について深く意識したことはあまりなかった。が、あっさり"prostitute"と言われてしまうと、途端に、1万5千円とか、1万7千円とか払って、沢山の着飾った女性が楽しそうに"prostitute"に関する演劇を観ている、という図が、何か、奇妙なことのように思えてしまった。

また、玉三郎丈の演じる芸者お園が、自殺した亀遊(七之助丈)という遊女のことを語るとき、周囲の雰囲気に流され、どんどん、尾ひれを付けて事実を捻じ曲げていくのが、悲しかったし、複雑な心境になった。お園にしてみれば、それは、弱さというよりは、むしろ、たくましく生きていく方法だったのだろう、ということは良く分かる。が、一方で、外国人がこのお園を見てどう思うか、とても気になる。仕事上、海外との取引があるが、同僚の日本人が理由も明らかにせずに言を左右しようとするのに困惑の思いを持つことがある。普段の日本人同士のコミュニケーションであれば自明なこととして説明不要でも、海外の、全く日本の常識の外にいる人には、不可解な行動に見えてしまうことは、良くある。海外からの観客が、このお園の行動を観て、日本人は自分の主張を貫かず周囲に流され易い、という文化的な差異から生まれるそのような印象を強化しないかどうか、心配になってしまった。

このような複雑な思いが沸き起こってきたのも、有吉佐和子の人間を描き出す力の凄さによるものなんだろう。