国立劇場 12月歌舞伎公演「堀部彌兵衛」「清水一角」「松浦の太鼓」

一、堀部彌兵衛(ほりべやへい) 四幕
  第一幕 高田馬場
  第二幕 芝愛宕下青松寺の客間
  第三幕 同(十日経過)
  第四幕 米沢町弥兵衛宅(十五年経過)
作:宇野信夫 監修:松 貫四  初演: 昭和14年(1939年)11月 東京劇場

一、清水一角(しみずいっかく)一幕二場
  吉良家牧山丈左衛門宅の場
  同   清水一角宅の場
作:河竹黙阿弥 初演: 明治6年1873年) 11月 東京村田座

一、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ) 二幕三場
  序 幕 両国橋の場
  二幕目 松浦邸の場
    同  玄関先の場
作:三世 瀬川如皐、三世 桜田治助 初演:安政3年(1856年)
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1507.html

面白かった。思いがけないことに随所に笑いがあり、今年の観劇の締めとして、楽しく劇場を後にすることが出来た。


堀部弥兵衛


堀部安兵衛の養父、弥兵衛が主人公。弥兵衛(吉右衛門丈)が高田馬場で安兵衛(歌昇丈)をみそめ、養子となし、吉良邸に討ち入る前までの話。緊迫するドラマというよりは、しみじみとしたお話。吉之丞丈が演じる奥方の、確信犯的にとぼけた感じが、文楽に出てくる老婆みたいで、なんともいえず、気に入った。松江丈とそのご子息、玉太郎クンが出ていた。玉太郎クンは結構頻繁に歌舞伎に出演されますね。見るたび毎に役者らしくなっているのがすごい。将来が楽しみだ。討ち入り出立前、堀部安兵衛と弥兵衛の娘さち(隼人丈)がに祝言をあげるとき、高砂か何か分からないが、吉衛門丈が謡曲の一節をうたっていた。その場面を見ていたら、俊寛の千鳥と少将成経が三々九度をする時、俊寛が舞を舞う場面を思い出した。それで一瞬、「おー、俊寛を見る限り、平安の時代の頃から既に祝言では舞を舞っていたのだ!」とひらめいたが、考えてみれば、あのエピソード自体、完璧に近松門左衛門の創作だったことを思い出した。。。


清水一角


赤穂浪士討ち入りの際の吉良側の勇士のひとりとされている清水一角の話。清水一角は、仮名手本忠臣蔵の十一段目、吉良邸討ち入りの段で師直屋敷討ち入りの場 で、女性の小袖を頭に被り逃げようとした師直側の武士が見つかり、立ち回りとなる、あの武士だということだ。

一角(染五郎丈)はその登場シーンのほとんどで酔っ払っており、魚屋宗五郎―忠臣蔵版、という感じ。そういえば、魚屋宗五郎も黙阿弥だ。ところが討ち入りを知らせる陣太鼓の音を聞き、俄然正気に戻る。その時、敵対する牧山丈左衛門(歌六丈)との立ち回りがあるが、さすが染五郎丈、身のこなしも鮮やか。

また、一角には姉(芝雀丈)が一人いる。この姉は、赤穂浪士討ち入りでいざ吉良邸へ、となったとき、その姉が機転を利かせて、自分の小袖を被って人の目を欺くようにと言う。一角は大きく頷くと、その小袖を持って吉良邸に赴く。歌舞伎で時々ある、「あれって実はそういうことだったのね」的創作エピソードで、幕となる。



松浦の太鼓

吉右衛門丈が楽しそうに演じていたのが印象的。吉右衛門丈のセリフは聞いていて本当に気持ちがよく、これぞ歌舞伎の醍醐味のひとつと思う。また、吉右衛門丈の松浦候は、お殿様姿が良く似合っているだけでなく、品の良さ、鷹揚さを持ちつつも若干の軽薄さ、周囲から大切にされているが故の短気という長所短所がリアリティをもって演じられていて、気のいい、魅力的な松浦候だった。和楽の仁左衛門丈の連載で、「実盛物語」は暗い話だから華やかに演じなければいけないというような主旨のことを書かれていたけれども、ここでは、吉右衛門丈の明るさが、舞台を華やかにしていた。

更に、歌六丈が其角をやって大活躍しているのも、楽しかった。こういった役は、人によっては、通り一遍の仲裁役ということで終わってしまう場合もあるが、歌六丈の場合は、酸いも甘いも噛分けた賢老人(というところまでは枯れていかないけど)、という感じが出ていて、さすがと思った。其角がそれらしく見えれば、松浦候がいったんは機嫌を損ねても、其角のとりなしには機嫌を直し、上手く乗ってくるのも、自然に見える。

もうひとついうと、歌六丈は、受けの芝居が念が入っているのも好きだ。大きなリアクションをするわけではないのだが、他の役の会話や行動を受けて、自身の役の性根に応じて、小さくうなずいたり、ちょっと睨んでみたり、目を見開いて驚いたり、と眺めていて飽きない。あまり大きくリアクションをしてはお舞台全体の芯がぼやけてしまうのだろうけれども、こういう細部のリアリティはとっても楽しい。という訳で、他の役者さんの時になると、嬉々として歌六丈の芝居を確認してしまい、結局、歌六丈が舞台にいる間は、歌六丈をチェックしてしまう私です。チェックしてしまうといえば、腰元のお縫(芝雀丈)が、次の台詞までの待ちの間がかなりあったせいか、お茶のお手前をかなり作法に忠実にやっていたので、思わずこちらも見入ってしまった。場面としては他の役者さんたちの応酬の間、舞台の奥の角の方でやっているので決して目立つ所作ではないのだけど、茶器が出れば、それをどう扱うのか見てしまうのが人情。いやはや、堀部弥兵衛の謡といい、忠の字の書道といい、芝雀丈のお茶といい、歌舞伎座夜の部の彌十郎丈の大量の英語の台詞といい、歌舞伎役者は何でもそれらしくこなせなくてはいけないから、大変だ。

松浦候の山鹿流の陣太鼓の講釈も面白かった。三丁陸六ツ、一鼓六足、天地人の乱拍子とか。なるほど、そういえば、十一段目でも、そういうリズムで陣太鼓を打ってるなあ。


日本人は忠臣蔵が大好き、というが、一般的に、皆、どこに面白さを感じているのだろう?私はというと、実のところ、歌舞伎で「仮名手本忠臣蔵」を観るまで、全然「忠臣蔵」に興味がなかった。むしろ、殿様が短慮な行動をとったことが一因して受けた屈辱を晴らすために臣下が47人も死ぬなんて考えられないし、長いこと恨みを溜め込んで最後に人殺しをする、じめっとした話だと思い、積極的に避けていた。が、歌舞伎で「仮名手本忠臣蔵」を観て、別の見方をすると、面白く観れることが分かった。つまり、彼等のとった行動そのものに自分が共感できるか、ということよりは、主が屈辱を受ければ臣下が仇討ちするのが義、というのが常識の世の中で、それぞれの人がそれぞれの立場でどのような人生の選択をするのか、という話なのだ、と思えばよいのだ。そうすれば、それぞれの選択をしたその人の人生観・価値観を軸に興味深く見れる、ということに気がついた。それに気がついたのは、あの仮名手本忠臣蔵の素晴らしい義太夫のお陰だ。大序の、「嘉肴ありといへども食せざればその味を知らずとは。国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るゝに、たとへば星の昼見えず夜は乱れて現はるゝ、ためしをこゝに仮名書の」(鶴澤八介メモリアル「文楽」ホームページ床本集より)云々などという語り出だしを聴いてしまえば、否応無しに、その物語世界に惹きこまれずにはいられない。