国立文楽劇場  初春文楽公演 第一部

七福神宝の入舩
祇園祭礼信仰記
 金閣寺の段
 爪先鼠の段
傾城恋飛脚
 新口村の段

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1265.html

引き続き、中日より昼夜演目入れ替えのため、夜は第一部を観る。


七福神宝の入舩

お正月らしい、にぎやかで楽しい演目。

まず、国性爺の平戸浜伝いより唐土船の段も床は総勢十人の掛け合いだったが、こちらは、もっと多くて太夫七人、三味線六人の総勢十三人。人形も七福神が三人遣いで合計二十一人。舞台の上が一杯、一杯。

清治さんの三味線を聞いていて、ほれぼれしてしまった。当たり前か、この演目唯一の人間国宝で、後は若手の方々なのだから。12月の国立劇場小劇場の信州川中島合戦、輝虎配膳の段の掛け合いでの燕三さんでも思ったが、これだけ人数がいる掛け合いだと、立三味線(って文楽では言うのかな?)がコンサート?マスターのような役割を果たさないといけないようだ。その他、琴の龍爾さん、胡弓の寛太郎さん、三味線で琵琶の音を出す清馗さん&龍爾さんをはじめとする、色々な技を見ることができて楽しかった。


人形の方も目が離せない。出番の神様はもちろんのこと、出番でない神様達も、隣の神様をつついたり、話し合ったり。さらには、大黒様の袋や恵比寿様の鯛まで演技するのだから、つい楽しくてアチコチ見てしまい見る方も大忙しだ。もう、なんで、大黒さんの袋が大黒さんの腹鼓(なぜか効果音は三味線)に合わせて、右に左に動くだけでおかしいのか、福禄寿の頭に獅子の頭が乗ってるだけで受けちゃうのか、恵比寿さんが鯛を釣っただけで大喜びしてしまうのか、自分でも分からないが、楽しいから仕方ないのだ。


そういえば、布袋様がビールジョッキでビールを飲んだのは、つい笑ってしまったが、何のネタだったんでしょう。しがない会社員である私は、つい、ここはホレ、せっかくそないしはるんやったら、サントリーはんとタイアップして、恵比寿様をガツンと一発やったる、というストーリーはどうでっしゃろなあ、文楽劇場限定ビール作って販売しよったら休憩時間、ぎょうさん売れまっせ(以上、でまかせ大阪弁)、などとモミ手してプレゼン資料のひとつも持ち込みたくなるが、ユネスコ世界遺産が、そんなことしちゃ、駄目か。


祇園祭礼信仰記


此下藤吉と松永大膳の碁立ての場面。なぜか勘十郎さんと玉輝さんの実力勝負に見えて、どっちの碁の打ち方が上手いかとか、どっちの裾裁きが鮮やかかとか、一々どきどきしながら観てしまった。


雪姫は雪舟の孫娘という設定。父は雪村といったり(実在だが雪舟の血縁ではない)、旦那さんが狩野直信(永徳の父の名は直信)だったり、お手本が無いと龍は描けないといったり(狩野派は粉本を元に絵を描いた)、雪舟唐土より倶梨伽羅丸を持ち帰ったとか(雪舟は中国へ行った後画家として大成したが刀を持ち帰ったかは?)、虚実入り混じった形になっている。

歌舞伎では、雪姫は縛られると演技が大変、ということがよく語られるが、パンフレットの和生さんのインタビューによれば、文楽でも大変だそうだ。確かに、和生さんは縛られた後は左手だけで人形を支えていて大変そうだった。途中でお役御免になった左遣いの人は、必ず自分の手が帯の下に来るようにしたり、さりげなく人形の衣装を調えたりと、気遣い抜群だった。どなただったのでしょう。雪姫が爪先で鼠を書いた後、伝家の宝刀、倶梨伽羅丸を持って夫のもとに急ぐ時、ちょっと立ち止まって、倶梨伽羅丸の刃を鞘から少し出して鏡代わりにして髪を整える。歌舞伎では、型で手順としてやってるように見えるものもあったが、和生さんのそれは、可愛かった。もし私だったら、走ったら結局、髪が乱れて二度手間だから整えないであろう。こういうところで、可愛気の有無がはっきり分かれてしまうのだ。どうせ忘れるけど、心得ておこう。


金閣寺の家体のセリは、歌舞伎は二段なのに、文楽は三段だった。最初は義経千本桜の四の切のように、舞台上部に桜があるが、金閣寺の三階がセリ下がると、桜を三階から見下ろす形になるのは、ちょっと素敵。また、慶寿院が助け出されて一階に行くときの処理が歌舞伎と文楽では違う。歌舞伎では普通に一度奥に行って、階段か何かから降りてきた風に再登場する。文楽では、金閣寺の脇に生えている竹に慶寿院をつかまらせて、竹のバネを活かして地上に下ろしてしまう。メトロノームか!

最後の場面、歌舞伎では、進退窮まった大膳が舞台中央に出てきた緋色の三段に乗って、両脇に真柴久吉と加藤正清を配して絵面の見得になり、一体、誰が優勢なのか分からなくなる。一方、文楽では、上手障子家体が鉄格子になって、その中に大膳が隠れているという形になっていた。


傾城恋飛脚 新口村の段


蓑助さんの梅川、色気ありすぎます。また、大活躍の勘十郎さんの孫右衛門が、泣かせてくれた。


お正月にNHKで住大夫師匠の新口村の素浄瑠璃をやっていたので、録画してちょっとだけ予習してきた。それで、驚いたのは、予想はしていたけど、住大夫の語りの音とか間合いとかが、計ったように、録画の素浄瑠璃とほとんど寸分と違わぬことだ。もちろん、違う部分もある。でも、それは、例えば、蓑助さんの見せ場のために、ほんの少しだけたっぷり語ったり、人形の方で立ち位置が移動したり仕事があったりして、その待ちでほんのコンマ何秒か、出だしが後になるとか、そんなことだ。私が聞き取れる範囲では。

となると、もし本当に義太夫を理解?堪能しようと思ったら、色々やることがあるのだ。例えば、もっとちゃんと床本を読んだり、事前に録音?録画を確認したり、芸談等を読んだり。本当は義太夫習ったりしたら、もっと何かが分かるのだろう。観客道も、なかなか険しそうだ。でも、その道中は、ビギナーコースに関しては楽しく魅力的で、ここしばらくは飽きることは無さそうだ。