国立文楽劇場 文楽4月公演 第2部

関西元気文化圏共催事業 文楽4月公演
◆第2部
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)
 駒木山城中の段(こまきやまじょうちゅうのだん)
作: 近松柳、近松万寿、近松梅枝軒  初演:享和元年(1801年)10月4日 大阪北堀江市の側の芝居
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段(いしべやどやのだん)
 六角堂の段(ろっかくどうのだん)
 帯屋の段(おびやのだん)
 道行朧の桂川(みちゆきおぼろのかつらがわ)
作:管専助 初演:安永5年(1776年) 10月 大阪北堀江市の側の芝居、豊竹座此吉座

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1748.html

日吉丸稚桜 駒木山城中の段

小田春永の正室、萬代姫は、春永と実家の斉藤家が対立したために、駒木山城で木下藤吉の監視下にいる。そこに、斉藤方の鍛冶屋五郎助が助けに入り、それを捕まえた義理の息子の堀尾茂助と話すうち、五郎助が藤吉の立身出世前からの知り合いであることが発覚し、さらに茂助の恩人を切った相手が五郎助であることが発覚。五郎助は、妻のお政に離縁を迫る。お政は、絶望の末、覚悟を見せるために自害する。これを見た五郎助は動じず、婿の茂助に、斉藤方の城を攻めるポイントを教えて自害する。その上、娘を勘当し、茂助に再度、娘のお政を嫁としてくれ、という。藤吉は、五郎助の覚悟に感じ入り、五郎助の幼い怪力の息子を自分が預かり、加藤清正と名付けよう、ということとなり、めでたしめでたし。

へー、加藤清正って、それで秀吉の忠臣になったのかー、で、その後、去年の秀山祭の「二条城の清正」となるわけだ、と、そのまま納得。こうやって、私の乏しい日本史の知識は、伝統芸能や古典、日本美術によって、どんどん書き加えられて行くのだった。ソースがそれでいいのか?

和生さんの遣うお政という女性が、酔っている設定のせいか、大人の色香を漂わせていて素敵だった。文雀師匠の遣う女方の人形とは、また違った女性像だ。最近、急速に和生さんファンになっている私です。

玉也さんの五郎助は、最初、忍びの者をぐっと絞めるところが、恐ろしくておもしろかったです。2月公演の「ひばり山姫捨松」雪責の段の岩根御前の折檻を思い出しました。そういえば、去年9月の夏祭の義平次も玉也さんでした。えろかっこいいという言葉がありますが、玉也さんには、こわかっこいい、または、こわ面白いという呼び名を献上したいです。歌舞伎で言ったら段四郎丈や左団次丈あたりの持ち役と被る方なんでしょうか。

床の方は、中の咲甫大夫が、第一部の競伊勢物語の春日村の段の中に続いて、二度目の語り。咲甫大夫も、最近、ますます、気に入っている。今からこれだけ上手だと、住大夫ぐらいの年になったら一体どうなってしまうのだろう。

続いて奥は、津駒大夫と寛治師匠。津駒大夫は先日、NHKで放送された、昨年11月の吉田玉男追善公演の「曽根崎心中」(未見)の天神森の段のお初を聴いて、特にその時の切ない「はやう殺して、殺して、と覚悟の顔の美しさ」という詞章に衝撃を受け、とっても楽しみにしていた。今回も期待を裏切らない素晴らしさ。もちろん、寛治師匠もさすがだった。とにかく間合が寸分の狂いもない、的確な撥捌きなのだ。本来、聴かせどころはつい、たっぷり目に弾いてしまうのが人情というものだと思うのだが、寛治師匠の三味線はうたってはいても、間を不必要に伸ばさない。かといって、急きこんでいる訳でもない。そうやって的確な間合いでテンポよく進めていくことで、津駒大夫の義太夫もだれることなく、緊張感のある演奏になっているのだった。最後の方は、特に寛治師匠は切っ先鋭い撥捌きの連続で、糸が切れてしまったのか、さりげなく糸を直していた。寛治師匠の三味線は、私の短い観劇歴の中では割に哀愁を帯びた枯れた音というイメージがあったので、激しい演奏にびっくり。住大夫師匠&錦糸さんが、競伊勢物語の春日村の段の切を、ほぼ同時期に制作された作品で、かつ、同じ芝居小屋で初演された曲にもかかわらず、ゆったりと一杯に、かつ格調高くうたっていたのが好対照で、興味深かった。世界や内容によって、これだけ演奏が変わるのだ。また、演者によっても違う部分もあるのだろうし。まだまだ分らないことばかりだ。


桂川連理柵

主人公で、分別盛りの四十代の長右衛門は、子供のころから知る十六才のお半とひょんなことがきっかけで深い仲となり、最後は、二人心中してしまう、という話。

考えてみるに、長右衛門は、出来た養父を持つ養子であり、加えて、ひどく物分かりの良い妻も持ち、なさぬ仲で隙さえあらば自分を蹴落とそうとしている姑と弟を持ち、家長として、弱い自分をさらけ出せず、必死で大人のふりをしていた人なのだろう。長右衛門は、帯屋の段の最後に、十五年前も岸野という芸子と心中しようとしたが失敗した、という話を独白する。そんな過去に自分で傷つき、表向きの大人の自分と駄目な自分の間で、折り合いをつけることができず、漂っていた人なのではないか。父の繁斎と妻のお絹はそれに気付いていて、それぞれ長右衛門をかばっていたのだろう。それが更に長右衛門を追い込む形となってしまったに違いない。そのあたりが「柵(しがらみ)」なのだろうか。とにかく、長右衛門は、そういう不安定な性根から、本来なら、大人としてお半ちゃんを上手くいなさなければならない立場なのに、思わず同じ目線になってしまったのかもしれない。お半ちゃんは、そんな長右衛門の優柔不断さを大人の優しさと受け取り、憧れてしまった。ちょっと可哀そう。そして、この手の心中物は、部分部分は理解できるのだが、全体としてはどうも苦手だ。

蓑助師匠が遣うお半が、生きているようで、目を見張ってしまった。特に、最初の、手持ち無沙汰にモジモジしているところなどの、さりげない仕草、本当に、生きていないと言われる方が信じられないくらいだ。言霊という言葉があるけど、名人が遣う人形には魂が宿っているに違いない。同じことは紋豊さんのお絹にも言え、頭巾をかぶった六角堂の段の様子など、何とも素敵だった。いつか合邦の玉手御前を観てみたいけど、その前にもう一度、文雀師匠の玉手御前が観たい。。。身勝手な悩みは尽きもせず。

今回の公演で唯一のチャリ場と言ってもいいほどのものは、帯屋の段の義兵衛の笑い。最後は、お絹が張った伏線を知っているのに、聴いているこちらまで笑いが止まらなくなってしまった。

道行朧の桂川では、「白玉か、何ぞと人の咎めなば、露と答えて消えなまし」という伊勢物語の芥川から採ったと思われる詞章ではじまり、浅葱幕が切り落とされると、芥川よろしく長右衛門がお半を背負っている。そのあと、踊りになるが、この道行では、心中のシーンが無く、人形が見得をし、段切りとなる。とりあえず、曽根崎心中みたいに、心中を目の当たりにせずに済ませることができ、よかった、よかった。

そんなこんなで四月の文楽鑑賞はお終い。五月が待ちきれない!