国立能楽堂 定例公演  御茶の水 歌占

狂言 御茶の水(おちゃのみず) 山本則直(大蔵流
能  歌占(うたうら) 清水寛二(観世流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1773.html

この日は、春の嵐に雨のおまけつき。その日の朝、道に出てみたら、桜の枝先に少し残っていた花も、きれいさっぱり風に散らされてしまった。


御茶の水

子供っぽいシテが出てきて思わず笑ってしまう狂言ではなく、お能のような構成を持つ狂言

住持(山本東次郎師)は、明日、お茶会があるので、新発意(しんぽち;山本則直師)に清水に行って水を汲んできてほしいという。しかし、新発意は、清水にお茶の水を汲みに行ったことがないから、いやだ、という。

仕方なく、住持は、いつも水汲みを頼んでいる、いちゃ(山本則俊師)という女に水汲みを頼む。いちゃは、もうすぐ夜になるので、困惑するが、行かぬ訳にもいかずと、了解して、清水まで水を汲みに行く。昔の人は大変だなーと思ったが、私もお茶やお料理用にペットボトルのミネラル・ウォーターを買っているから、室町時代と変わらない苦労をしているということだ。。

いちゃは、清水で一人で水を汲みながら歌を謡っていると、新発意が現れる。新発意は実は、いちゃと二人きりになるために、いちゃに水汲みに行かせたのだった。新発意が、いちゃに一緒に歌を謡おうといい、二人で歌を謡う。最初は、水汲みの歌だったのに、途中から、汐汲みの歌になり、世界がわっと広がって、二人の歌の世界に入って行く。

ところが、住持が、いちゃの帰りが遅いのを心配して清水までやってきた。住持は、新発意が自分の指示を断ったのに、ここにいて歌を謡っているのを見て、噂が立って檀那衆の耳に入ったら事だ、と激怒し、新発意と住持は、とっくみあいの喧嘩となる。最後は、いちゃが新発意に味方し、住持の足をもって倒し、二人は逃げて行く。住持は怒ってその後を追いかけていく。

途中に謡があるし、それぞれの言葉も堅めで、何となく狂言のイメージとは少し違う。お茶会のお話が出てくることを考えると、室町時代以降に、武士の人たちを主なターゲット・オーディエンス(?)として、あまり砕けてはいけないシチュエーション用に制作された狂言なのかしらん、などと勝手に推測したりした。一方、この前、お能の百万を見たが、あちらは、お能にもかかわらず、コントのような始まり方だった。冒頭からアイが出てきて、それが狂言方らしい無茶苦茶なお経を唱え、シテはそのお経の唱え方がなってない!と突っ込みを入れに現れるのだ。笑っちゃいけないのかもしれないが、深刻または雅びな話が多いイメージのお能においては、ちょっと変わっている。
狂言お能ともに、曲が沢山あるだけに、硬軟取り混ぜて色々なのであった。

パフォーマンスの方は、演者の方は皆、朗々とした謡、台詞で、さすが、このような演目は、発声が勝負なのだろう。


歌占

歌占とは、矢の弦のところに、和歌を書いた短冊(舞台上では白紙)を付けて、そのうちの一番最初に触れたものをとって、それを占師が占うというもの。Webで検索したら、本物の歌占の和歌の短冊を書写したものの画像があった。
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/223/index.html
なるほど、確かにおみくじを引くと和歌が大きく書かれている場合があって、何故和歌なのか、分かるような分らないような気持ちでいつも忘れ去っていが、昔の人には、歌占のように偶然手にした和歌から何かお告げなりヒントなりを読み解こうという発想があったのだ。さもありなん、後から読めば詞書やら注釈やらがないと意味の通じない和歌も多いし。
占いというのは、普通は、くじを引く人が思ったようなくじを引けないともう一回引きたくなるが、この歌占に関しては、占師の方が、解釈に困って、もう一回引いてみて、と言いたくなったりして。

最初にツレの男(西村高夫師)と幸菊丸という子方(伊藤嘉寿くん)が、よく当たるという歌占の占師に占ってもらおうと来る。すると、シテである占師の渡会某(清水寛二師)が幕から出てくる。おお、邯鄲のシテの面にそっくりと思ったら、それそのもの、邯鄲男の面だった。しかし、白髪なのだ。なぜかというと、その占師は元は、二見の浦の神職だったが、諸国を一見しようと国々を巡っているうちに一度死にかけて三日後に生き返ったら白髪になっていたからだという。男は早速、まずは自分の病身の父を占ってもらうと、「北は黄に、南は青く東白、西紅のそめいろの山」という歌で、この歌は、須弥山のことをうたっており、父の病気は快癒するという。次に父が行方不明である幸菊丸が占ってもらうことにすると、「鶯の卵(かいこ)の中の郭公(ほととぎす)、己(しゃ)が父に似て己の父に似ず」という和歌だった。そして、占師は、もう父に会っていると占いに出ているというが、幸菊丸は、そんなことは無いという。そこで占師が不思議に思い、幸菊丸に詳しく聞くと、なんと、占師が幸菊丸の父だったのだ。

めでたく、父子の対面となったが、それから、男は占師に、地獄の様子を曲舞にしたものを謡ったのが素晴らしいと聞いたので、謡って聞かせてほしいと頼む。占師は、この曲を舞うと正気を失ってしまうのだが、帰国するので、なごりの一国として正気を失った様子をお見せしましょう、といい、中入りはなく、そのまま、舞を舞う。ここからは、動きがダイナミックで初心者には非常におもしろかった。やっぱり、動きの少ない曲はちょっと難しい。

しばらく舞った後、橋掛りに行くと、今度は、先日の鵜飼と同じように橋掛りで思い詰めた表情をしたかというと、正気を失った占師は、神がかりとなって舞台に戻ってくる。ここの謡は、かなり恐ろしい地獄の光景を描いているのだけれども、舞の面白さの方が勝ってて、あまり「求塚」の時のようにおどろおどろしい感じは印象はなかった。あて振りのところが多く、たとえば、「しばらく目を塞いで 往時を思へば」という詞章のところで、シテが面を傾けると本当に目をふさいでいるように見えて、その後、「指を折って、故人を数ふれば、親疎多く隠れぬ」というところでは、日本舞踊のように(というか、お能が先か)、右手の指を折って数える。また、「ある時は、焦熱第焦熱の、炎にむせびある時は、紅蓮(ぐれん)大紅蓮の、氷に閉じられ」というところで、膝をついて閉じ込められたようになり、「鉄丈頭を砕き、火燥足裏を焼く」のところでは、すぐ立って足の裏が、痛そうな感じがした。

そして、しばらく舞っていたが、ある時ふっと、正気に戻ったかと思うと、再度、幸菊丸と再会を喜び、伊勢に戻って行った。

詞章の最後は、「思ふ伊勢路の古里に、またも帰りなば二見の浦、またも帰らば二見の、浦千鳥友呼びて、伊勢の国へぞ帰りける、伊勢の国へぞ帰りける。」というもので、二見という言葉に掛けてあるのだった。今まで二見浦の名前は夫婦岩に関係あるのかと思っていたが、倭姫命(やまとひめのみこと)がこの地を訪れた時あまりの美しさに二度も振り返ったとろから来る「二見」浦らしい。

また地獄の曲舞のところは、パンフレットによれば、もともと当時流行していた舞であったものが、百万の曲舞となり、さらに世阿弥が自作の曲舞と差し替えたため、世阿弥の子、十郎元雅が歌占に入れたのだという。よくよく考えたら、神道神職なのに地獄の曲舞とは、面白い。地獄は仏教のものだけど、百万からとったこの曲舞を歌占に入れた世阿弥の子供の時代ぐらいには、神職がそんな舞を舞っても違和感無いくらい、日本人の死生観に定着していたというようなところだろうか。そもそも、神社は神様を祭っている場合もあるけど先祖のように人間を祭っている場合もあり、それはそれ、これはこれ、ということなのだろうか。