出光美術館 柿右衛門と鍋島 ― 肥前磁器の精華 ―

会期: 2008年4月5日(土)〜6月1日(日)
http://www.idemitsu.co.jp/

有田焼、伊万里が好きなので、楽しみにしていた。その中でも、鍋島は大好きだ。陶磁器の最高峰と言いたくなる。京焼に比べれば遊びの要素が少なくて、真面目一徹なのが、玉に瑕であり、長所でもある。そういう訳で、見に行ってきた。

有田焼等の備前磁器は、当初、豊臣秀吉朝鮮出兵などで連れ帰った朝鮮人の陶工が磁器づくりを指導し、その磁器の特徴も朝鮮磁器のものであった。この技術をベースとして、見習う先は中国と見定め、中国の他をまったく寄せ付けない技術を誇る景徳鎮をはじめとする官窯、民窯の磁器から技術を学びとろうとしていた。


会場は8つのセクションに分けて、大体、時系列に、その時々の発展の様子をまとめていた。
1. 「磁器の誕生」、2. 「赤絵の創生」、3. 「飛躍する肥前磁器」あたりは見慣れない図柄の方が多くて、興味深かった。例えば、1. 「磁器の誕生」、2. 「赤絵の創生」あたりでは、梅の木の絵が沢山描かれているのだが、それが、今の梅の文様とえらくちがい、真赤なのはいいとしても、八重などというものではなく、花の大きさも梅とは思われぬ大きさで、梅と言われなければ、赤い薔薇としか思われない様子だ。そして、その割には、妙に写実風なのだった。

3. の「飛躍する肥前磁器」のところにあった、「色絵掻落金彩色紙散菊草文皿」は、いったん濃色を塗った表面を掻き落として反転した模様を見せる形で、中国から学んだ技術という。しかし、この時代は、どうあがいても、まだ中国の方がずっと優れていた。一緒に展示されている、「藍釉五彩描金花鳥文瓢型瓶」(景徳鎮;清代)など、薄くて繊細で精巧で、うっとりしてしまうくらいだ。それでも、肥前の磁器職人は、様々な工夫をしていく。たとえば、イスラム磁器の写しのような水注(色絵牡丹文水注、江戸時代前期)を作ったり、ビスケット地と呼ばれる釉を塗らない生地にそのまま絵を乗せたもの(色絵桐鳳凰文脚付蓋物)があったり。そのようにしながら、段々、独自の洗練されたデザインを確立していく。

日本の技術はどんどん上がっていくが、それでも中国の壁は高い。5. 「中国官窯へのあこがれ」というセクションでは、五彩、豆彩の薄くて精巧な中国の磁器が展示されている。肥前の職人も、大きな工夫をする。それは、絵の輪郭を墨ではなく染付で描くということ。展示された色絵椿文輪花大皿、二枚は、ひとつが墨でひとつは染付で輪郭が描かれている。明らかに、染付の方がデザイン的にうるさくなく、図柄の統一感を醸し出すのに一役買っている。

そのようにして、清朝の没落と共に衰退していく景徳鎮に代わり、肥前の磁器は最盛期を誇り、ヨーロッパの王室で愛され、宮殿にポーセリン・キャビネット(壁一面を磁器で装飾する)という部屋を作ったりしている(あれは、日本人が見ると、すぐ地震の時のことを考えてしまう)。そして、色絵荒磯文鉢のような最高の磁器を産み出し、とうとう、日本の磁器を景徳鎮が真似、西洋の窯が真似るという日が来る。

展示は江戸時代で終わっているが、明治時代には、香蘭社の創生時代の人々がパリ万博で有田焼を紹介し、大好評を博す。そして、柿右衛門、今右衛門をはじめとする素晴らしい伝統の担い手は、昭和に入っても脈々と続く。一方で、工業化により有田焼そのものは少しずつ衰退していく。そんな中で、柴田明彦氏という東京の一コレクターが、有田焼を次々と集め、全貌を系統的に研究し、今まで知られていなかった有田焼の全体象を明らかにしていった。それは、癌と戦いながらのコレクションだった。そのコレクションは、今は、九州陶磁文化館にあるという。私はまだ柴田夫妻コレクションを見たことはないが、いつか必ずこの目で見てみたいと思う。
http://www.umakato.jp/shibatashi/index.html