采女と雨と窓を打つ声

雨の降る夜に、和漢朗詠集をつらつらと眺めていたら、巻上 秋の秋夜、233に、こんな句があった。

秋の夜長し 夜長くして眠ることなければ天も明けず
耿々(かうかう)たる残んの燈(ともしび)の壁に背けたる影 瀟々(せうせう)たる暗き雨の窓を打つ声

上陽人 白

これは、長恨歌玄宗皇帝と楊貴妃の陰に隠れた悲劇の女性のことを白居易がうたった詩で、元は、「白氏文集」にあるらしい。この女性は、以前は玄宗皇帝の後宮として寵愛を受けていたのだけれども、楊貴妃があらわれて、たちまち彼女は、過去の人となってしまう。そして、上陽宮に一生、幽閉されてしまったのだ。この詩では、眠ることもできない長い秋の夜、燈が壁に映し出す彼女の寂しげな影、暗い夜に窓を打つ雨の音、と、その上陽人の癒されない孤独をうたっている。かげろふ日記、源氏物語の幻巻、和泉式部日記、栄花物語など、多くの作品に引かれたそうである(以上、講談社学術文庫和漢朗詠集」の受け売り)。

そこで、ふと思い出したのが、先日観たお能の「采女」の最後の詞章だ。

猿沢の池の面に、水滔々(とうとう)として波また、悠々たりとかや、石根に雲起つて、天は窓牖(そうよう)を打つなり、遊楽の夜すがらこれ、采女の、戯れと思すなよ、讃仏乗の、因縁なるものを、よく弔はせ給へやとて、また波に入りにけり、また波の底に入りにけり。

この前の部分には、采女の一番幸福だった曲水の宴の遊楽の夜の美しい描写と、沙羯羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘が八歳で男に変じ、成仏したという南方無垢世界の渾然一体となった描写があるのだが、その後にこの詞章が続く。そして、この詞章の「天は窓牖(そうよう)を打つなり」というところが、重要な意味を持っていそうなのに、どういう意味なのか分らず、非常に残念に思っていた。けれど、和漢朗詠集のあの詩を見たら、大きなヒントをもらった様な気がして、調子に乗って色々考えてみた。

もし、あの上陽人の詩を連想して書かれた詞章なのであれば、ここは、こんな意味になるのだろうか。すなわち、天にも昇るような華々しい往時のことを思い出し、まさに変成男子となり成仏する心地となった采女。しかし、突然、村雲が起こり、雨が降ると、「瀟々(せうせう)たる暗き雨の窓を打つ声」と詠われた上陽人の悲劇と二重写しの自分(采女)に気がつき、我に帰る。そして、再度、旅僧に回向を頼み、波の底に沈んでいく。

まあ、私の妄想だけど、こんな妄想ができるのも、奥深い古典の世界の面白さだ。
ねえ、学生時代の古典の先生達。どうして、あの頃、古典ってこんなに面白いって教えてくれなかったのでしょう?