国立能楽堂 企画公演 伯母ヶ酒 通盛

◎蝋燭の灯りによる
狂言 伯母ヶ酒(おばがさけ) 高澤祐介(和泉流
能  通盛(みちもり) 粟谷能夫(喜多流

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1778.html

蝋燭能とは何か、よく分かっていなかった。
昔は、夜であれば薪なり蝋燭の灯でお能を演じていたから、その昔を偲んでみましょう、という企画なのでしょう。
30本弱の蝋燭の灯と、光量をかなり絞ったライティングで、薄暗いなかにぼんやりと能舞台が見える感じ(私は眩しがりなのでこのくらいの方がむしろ良いくらいだが)。和ろうそくなのか、蝋燭の火がかなり踊っていたのに、舞台面はチカチカしていなかったので、ライティングは通常のライトでかなり補正されていたのだろう。

いつも、お能を見ると、昔の人々の心的世界をのぞきこむ気分になっていたが、実際のところ、現代の能楽堂での能楽鑑賞というのは、蝋燭の光ですら我慢できずライトを使ってしまうくらい、現代的な行為だったのだということに、かえって気が付かされたのだった。そもそも、私なぞ、いつも字幕をチェックしてしまうし!


伯母ヶ酒

酒屋を営む伯母(河路雅義師)のところに新酒を飲ませてもらおうとやってきた甥(高澤祐介師)だが、「売り初めをしていないから、まだ飲ませない」という伯母。甥は、様々な方便を言って何とか飲ませてもらおうとするが、叔母は伯母で、売り初めをしていないから、と譲らない。そこで、一計を案じた甥は、持ってきた面(武悪、、、実は計画的犯行だったな!)を付けて鬼に成り済まし、見事、新酒にありつくが。。。というお話。

甥っ子のお酒にありつこうとする涙ぐましい努力と、無事お酒にありついて、どんどん酔っ払っていく様子が見もの。


それにしても、先日観た樋の酒といい、中世の頃は、お酒がこんな風に貴重だったのだと認識を新たにした。そうすると、もっと昔にあった曲水の宴などは、すっごく贅沢な宴だったに違いない。流しそうめんを高尚にした余興、ぐらいに思っていたが。。。


通盛

阿波の鳴門で一夏(いちげ、夏の定住修行期間)を過ごす旅僧(宝生閑師他)が舞台に現れる。ある夜、その地で果てた平家一門のために読経をしていると、篝火を掲げた蜑(あま)の釣り舟がこちらに向かってくる。その舟には、前シテである三光尉の漁翁(粟谷能夫師)が後ろに、浅井という中年とされる女面をして茶系の渋い壺折りの装束をつけた女(内田成信師)が前に乗っている。

この舟の上の二人は、通盛と小宰相なのだが、前場では、二人が年寄りとして表現されていることが興味深かった。平家物語によれば、通盛が討ち死にしたのは、三十歳になったばかりと読み取れるので、白髪のおじーさんではないのだ。そして、地謡は、舟から見た風景を謡うのだが、実際に、シテの通盛も遥か脇正側の上空を眺めたりしていて、面白かった。

僧が、舟の上の二人に向かって、この浦で平家一門が多くなくなったと言うが、詳しく教えてほしい、と頼むと、二人は、小宰相の局が夫の通盛の後を追って入水したことを話し、消えていく。

パンフレットには、ツレの小宰相の局は通常は中入りしないが、主に観世流などでは、中入りして貴婦人らしい装束に改めるやり方も試演されているとあった。今回観たのは喜多流だけれども、小宰相は中入りして装束を改めていた。


中入りでは、アイの浦人(三宅右矩師)が出てきて、僧に問われて、通盛と小宰相の局の馴れ初め等を語る。小宰相が宮廷一の美人だったことや、通盛が何度も文をよこしたこと、ある時、小宰相の車に通盛の使いが文を投げいれ、その文を上西門院がみて二人を取りなしたこと、ついに子供ができて通盛が喜び、小宰相のことをとても気遣ったことなどが語られる(側近でもないのに、やたら詳しい。何者じゃ!)。そして、旅僧に二人の回向を勧める。


後場では、旅僧が読経していると、今度は通盛と小宰相が往年の若々しい姿で登場する。小宰相は小面に全身白の舞衣と大口袴、通盛は中将に烏帽子、黒垂、白鉢巻、紅入りの厚板、長絹?と半切という出で立ち。美男美女カップルで素敵。中将の面は、展示されていたりするのをまじまじと見ると、ムンク「叫び」みたいで怖いのだが、このようにシテが付けていると、比較的若い、悲劇の主人公に見える。不思議だ。

小宰相は、ワキ座のあたりに座る。通盛は、出陣の前夜、そっと小宰相の元に帰り二人で名残を惜しんだが、弟教経が通盛を探しに来て、弟であればこそ他人より恥ずかしいといって、戻って行ったことを述懐する。

そして、近江の住人、木村の源五重章(げんごしげあきら)が現れ、刀を抜いて討ち合いとなった様子を再現する。通盛は、左手に刀、右手に扇を持って応戦する。扇は、このような場合は、盾に見立てているらしい。立ち回りのあった後、刀を左脇に差し、刺し違えた形で、座り込む。歌舞伎だと、刺された後が長いので、はてさてお能はどうなのか、と興味津津で注視していたところ、そのまま死なずにワキ座あたりにおはします小宰相の方に行くと、二人で見つめ合った。そして、小宰相が立ちあがり二人でクルンと向き直ると、橋掛りを帰って行った。


修羅物は修羅物だけど、小宰相と通盛の夫婦の物語なのだ。始終二人の動作が合っていたり、見つめ合ったりして、本当に、相思相愛の夫婦だ。なお、このお能の本説の、平家物語の巻第九の「落足」、「小宰相身投」も読んでみたけど、なかなかロマンチックなお話で、このお能とはまた別の趣でした。五月の文楽の心中宵庚申、上田村の段で、おかる姉さんが平家物語祇王のところに栞をしている、というところがあったが、おかる姉さんは、多分、この落足、小宰相身投あたりにも栞を忍ばせていたに違いない。

ところで、平家は清盛の専制や「平家にあらずんば人にあらず」という言葉から、横暴な人たちの集まりな印象があるけど、実際には、重盛も知盛も、この通盛も、また継盛も、どちらかというと、思慮深かったり内省的だったりする。こういう人たちが支配層なら、むしろ世の中平和になりそうなものだが、そうならなかったのだから、人間の世界というのは複雑だ。