国立文楽劇場 文楽11月公演

◆第1部

靱猿

恋娘昔八丈
 城木屋の段、 鈴ヶ森の段

吉田清之助改め五世豊松清十郎 襲名披露 口上

襲名披露狂言 本朝廿四孝
 十種香の段、奥庭狐火の段

◆第2部

双蝶々曲輪日記
 難波裏喧嘩の段、八幡里引窓の段

八陣守護城
 浪花入江の段、主計之介早討の段、 正清本城の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1917.html

14日から一部二部の入れ替えありで、二部からの観劇でした。

◆第2部

双蝶々曲輪日記

難波裏喧嘩の段

「難波裏」が畑で遠くには山が見えるという書割が興味深い。江戸時代は難波をちょっと行けば一面の畑だったのだ。詞章の最後にも「胸はどきつく法善寺、諸行無常の八つの鐘」というのが出てくるし、難波から離れた遠いところというよりは、法善寺の鐘が聞こえるくらいのところがそんな様子だったということだ。今の建て込んだ繁華街からは想像もできない。

濡髪長五郎の首が文七で放駒長吉が鬼若だったのが興味深かった。歌舞伎などだと分りにくいが、なるほど、そういう役どころなのだ。玉也さんと幸助さんの遣い方も、ちょうど首に似合っていて面白かった。


八幡里引窓の段

八幡の里とは、京都府八幡市の石清水八幡なのだとか。長五郎は難波裏喧嘩の段で科人となって母を一目見に会いに行くのだが、この母は長五郎とは離れて十次兵衛の父親と再婚している。浄瑠璃は結構複雑な親子関係の家族が多い。その方がストーリーを作り易いというのが第一だとは思うが、当時は今よりも、そのような縁組自体が多かったのかもしれない。

詞章で、女房おはやが長五郎に「お茶漬けでも」というと、母者人が「イヤ/\初めて来たもの。鱠でもしませう。あの体へは牛蒡の太煮、鮹の料理が好きであらう。」という箇所が興味深い。そんな食物繊維一杯で脂肪分も少ない脱メタボ食では相撲取りには物足りなそうだけど、それが当時の町人のスタミナ食だったのだろうか。そういえば忠臣蔵の七段目で、塩谷判官の逮夜という日に、由良之助が斧九太夫に勧められ、心ならず蛸を食する場面がある。最後に由良之助が怒って言う台詞に対して、私は「タコの足のスライス一切れぐらいなら、ぎりぎりセーフにしてもいいのでは。何故、そこまで因縁をつけるの?」なんて思っていた。が、こうなると、きっと江戸時代にはタコはスタミナ食という認識があったに違いない、という気がしてきた。

床は流石の住大夫で、義太夫も楽しく聞いた。


八陣守護城


前に、歌舞伎で「二条城の清正」を見たが、その続編的なところから始まるお話。ただし、あの二条城の清正では、最後、秀頼が御座船に乗っていたが、今回御座船に乗っているのは、正清(清正)の息子、主計之介の許嫁、雛絹。正清は、随分と豪快な人柄ということになっているらしい。毒を食らっても死なないどころか二度も大笑いするし、最後の絵面の見得では、中央のお城の天辺で見得をするし。それでも、雛絹の自害には涙しちゃったりして人情にも厚い人なのだ。実はヒロインの雛絹は、こういう豪快な人との対局にいて、遣うのが難しそうだけど、一面、得な役でもあるかも。

正清本城の段では、正清は百日鬘になるのだが、それがちょうどスキマスイッチのアフロの方の人みたいに見えて、ちょっと笑ってしまいました。いや、笑うところではないんですが。

なお、今回のパンフレットの表紙は、この正清の衣装。表紙裏にある説明文によれば、「紺地錦亀甲唐花平袖着付、羽織」とのこと。亀甲紋の中は、銀杏と松を文様化したものにも見えるが、唐花ということらしい。この前、横浜能楽堂で山口能装束研究所の山口憲さんのお話を聞いたが、その中で、「武士は能装束のような華美な衣装を、日常、羽織っていた」という話を聞いた。素襖や狩衣は自分より目上の人に会うときに着用して、普段は、派手な塗箔の装束を着ていたらしい。多分、こういった文楽や歌舞伎の衣装も、そういう視点でどのくらい忠実に武士の風俗を写しているのか見てみると面白いかも。


◆第1部

靱猿

狂言の「靱猿」の10倍ぐらい豪華版になっていてびっくりした。そもそも、義太夫の始まりが「八幡大名、剣は筥に納め、弓は袋に納まるという太平の御代に生まれあふてござれば」という仰々しい始まり方だ。

この曲は、元をたどれば、ある浄瑠璃の最後の段の劇中劇が独立したものだそうだ。その元となった劇とは、近松門左衛門作の「松風村雨束帯鑑」という作品で、在原行平や松風、村雨の姉妹が出てくる、行平の宝剣探索の話らしい(面白そう!)。確かに、詞章の後半には、「苫を敷寝に舵を枕に/\汲んだる清水に影見れば見れば我が身ながらもしほらしや/\松の葉越しに月見れば/\暫し曇りて又冴ゆる/\」と、靱猿とは直接関係の無い、謡曲「松風」を連想させるような詞章が出てくる。めでたい劇中劇の景事が演じられながら、「松風村雨束帯鑑」という浄瑠璃自体も大団円を迎えるというようなオペラ的な終わり方をするのだろうか。また、詞章の最後に謡われる、「俵を重ねて面々に」というのは、狂言の附祝言でよく謡われるフレーズなのだとか。清十郎さんの襲名を祝すということで置かれた景事なのだろう。

文楽狂言のそれぞれの「靱猿」、比べると、狂言の方が分があるかな。何せ、狂言の方は本物の小方が猿を演じるのだから。たとえ人形遣いの名人があきれるほど上手く遣ったとしても、子方が純真に演じる猿のかわいらしさ、懸命に演じているところが猿の役どころと重なるところは敵いようがない。文楽は、ここはもう割り切って、堀川猿廻しの段のモンキーズみたいにハチャメチャに遣ってしまった方が楽しいのかも。

つばさ大夫の太郎冠者が狂言風の物言いで、こういうのは、さりげなくうれしい。また、太郎冠者を遣った幸助さんは、いつもはキリっとした表情で遣っているのに、(意図しているわけではないだろうが)この時はご自身まで太郎冠者と同じように眉をハの字にして遣ってらっしゃって、まるで、太郎冠者が太郎冠者を遣っているみたいで楽しかった。


恋娘昔八丈

ご存じ、お江戸の話で、初演も江戸外記座とのこと。

冒頭、番頭の丈八の台詞で「浅草の地蔵様へ七日が間コレマはだし参りを致しましてござりまするでござりまする」というのがあるのだが、浅草は観音様でっせ!ここって笑いどころ?だとしたら、単に丈八の間が抜けているということなのか、はたまた、人形浄瑠璃の本場、大坂の狂言作者だったらこんな間違いするだろうというオタク的パロディなのか・・・?もし後者なら、当時の江戸の見物の通人ぶりは、恐るべし。この丈八は、パンフレットの高木浩志さんによれば、最初の方のチャリ場で入れ事があることが多いらしいのだが、今回はなかった気がする。残念。丈八は紋寿さんだったのだが、紋寿さんが遣うと、丈八のような役でも、どこか同情できるところがあって、その喜劇的人生が少し可哀相になる。

そうそう、この段では、お駒の父の月代を、お駒の恋人、才三郎が剃る場面がある。実は、引窓にも長五郎の母が長五郎の月代を剃る場面があって、長五郎母の文雀師匠と才三郎を遣う和生さんの月代を剃る場面が続いて面白い。だからなんだって言われても困るけど。

鈴が森の段は、そこまで感動的という話ではないのだが、呂勢大夫と清治師匠が素晴らしかった。清治師匠の三味線は最初の一音ですぐ分かる。他の人とは別物としかいいようがない。


本朝廿四孝

東京よりさらにパワーアップしていて楽しかった。特に、奥庭狐火の段は、振り付けもよりダイナミックに変わっていたような気がする。また、津駒大夫も八重垣姫が乗り移ったかのようだった。

濡衣に関してのメモ。彼女は喪服のせいか大人びた様子なので、てっきり首も老女方かと思った。しかし舞台で見ると顔がなんとなく違う気がしたので、パンフレットを改めて見てみたところ、娘となっている。そうか、勝頼と瓜二つの勝頼の身代わりと恋仲になったり、八重垣姫と勝頼のらぶらぶにちょっと焼けるという仕草をしたりするのだから、やっぱり娘の首こそ役の性根に合っているのだ。また、濡衣が「形見こそ今は仇なれこれなくば、忘るることもありなん」という古今集の題知らず、詠み人知らずの歌を引くところがあるが、これはこの前見たお能の柏崎に引かれていたし、他にもそのようなモチーフの謡曲は多いので、有名な歌ということなのだろう。

展示室には、先代豊松清十郎の遺品やビデオがあり、私がビデオの前を通りがかった時は正に狐火の段だった。先代の清十郎が、八重垣姫を勘十郎さんの源九郎狐のように、ダイナミックに大きく遣っていて、かつ可愛らしさを失わないのが印象的だった。新清十郎さんが、豊松清十郎というお名前を大事に思っている所以が少しだけ分かる気がした。なかなか過去の名人の映像を見るチャンスがないが、機会があれば、もっと観てみたい。