国立小劇場 12月文楽公演

源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)
   義賢館の段
   矢橋の段
   竹生島遊覧の段
   九郎助内の段

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2254.html

予想以上に面白かった。パフォーマンス自体も面白かったのだが、私にとっては、源平布引滝という演目自体の魅力を知った公演だった。


まず、第一に、この浄瑠璃自体、今まで思っていた以上に面白かった。

源平布引滝は、今まで歌舞伎の実盛物語(文楽の九郎助内の段)しか観たことがなく、1749年という浄瑠璃の黄金期に初演された浄瑠璃の割には三大浄瑠璃に比べ随分とあっさりしているなあと思っていた(菅原伝授手習鑑の初演が46年、義経千本桜は47年、仮名手本忠臣蔵は48年)。しかし、こうやって文楽で半通しの形で観てみると、なかなか見ごたえがあるのだ。歌舞伎の実盛物語では実盛を演じる役者の爽やかさを強調する演出になっているが、文楽ではこってりした内容なのだった。また、小まんが何故源氏の白旗にそこまでこだわっていたのか、九郎助の家に何故葵御前がいるのか、実盛物語だけでは良く分からなかったが、義賢館の段から通してみることで、良く分かり、面白かった。


また、史実や平家物語等との違いというのも興味深かった。特に実在の人物の解釈など、浄瑠璃作者の一工夫があってとても楽しい。

例えば、多田蔵人行綱。彼はこの物語の中では、首は検非違使でハンサム、かつ源氏への忠義の篤い人だ。ところが、少なくとも平家物語においては、多田行綱に関して最も印象的な場面というのは、平家と源氏を秤にかけ、結局平家側につくことが得策と判断して、平家に寝返った場面(巻第二、西光被斬)なのだ。平家に寝返るにあたり、行綱は後白河上皇が平家打倒を企てようとしていることを入道相国(清盛)に密告した。その結果、俊寛等は鬼界ヶ島に流されるわけだ。さらに彼は、情勢を見て更に源氏方に寝返る。そしてその源氏方の中でも、木曾義仲についたり、後白河院についたり、また一ノ谷の戦いでは義経についたりと蝙蝠のようにその時一番勢力のある人のところについている。傍目にはあまりに変わり身が早くて信用できない気がしてしまうが、この浄瑠璃では悪い人間として扱われていないところを見ると、例えば多田源氏お膝元の近江の人々には良い人だという印象があったのだろうか。

それから、実盛本人が実は源氏方に心を寄せているという解釈も面白い。

実際のところ実盛自身は平家方だったが、平家物語では一度、仲間の坂東武者達に源氏方に寝返ることを提案している。それは、戦の間、坂東武者が陣中で寄り集まり、酒を酌み交わしていた時だった。実盛は「つらつらこの世の有様を見るに、源氏の御方はつよく、平家の御方はまけ色に見えさせ給へり。いざおのおの、木曾殿へ参らう」と提案する。一度は皆、同意するが、翌日、再度、実盛が前夜の約束について確認すると、俣野五郎という武者が進み出で、「我等はさすが東国では、皆人に知られ名ある者でこそあれ」、状況を見て有利な方に付くのは見苦しい、他の人は知らないが、私は平家について討ち死にしよう、と言う。それを聞くと、実盛はからからと笑い、「まことに、おのおのの御心どもをかなびき奉らんとてこそ申しけれ(本当のことを言えば、各々方の心がなびくかどうか試してみようと思い申したのだ)。其上、実盛は今度のいくさに討死せうど思いきッて候ぞ。ふたたび、都は参るまじき由、人々にも申しおいたり。大臣殿(宗盛)へも此やうを申上て候ぞ」という。

私は今まで、ここのところは文字通りに受け取っていた。浄瑠璃で人を騙しておいて「心底見えたり!」とかいう場面がよくあるので、「昔の人は疑い深いなー」ぐらいにしか思っていなかったのだ。しかし、源平盛衰記によれば、義仲がまだ駒王丸と呼ばれていた二才の時、父の木曾義賢が討たれたが、その時、実盛が義仲を引き取るという話があったらしい。とすると、実盛は、ひょっとして半ば本気で木曾殿に寝返ることを考えていたのかもしれない、という気がしてきた。というのも、実盛は、平家物語の中で折々、坂東武者の荒武者ぶりを誇ったり、平家の武者達のひ弱さを嘆いているし、一度は引き取ろうとした義仲が立派な武将になったことを心から頼もしく思っていたであろうことが想像できるからだ。どちらにしても篠原の合戦を人生最期と思っていたことは間違いないだろうが、その死に方をどうするか、実盛は考えたのではないだろうか。そして、最期は坂東武者として自分の子になるはずであった義仲について思う存分戦って死ぬことを夢に見たとしてもおかしくない。そして仲間の坂東武者達もきっと実盛の気持ちが痛いほど良く分かっていたのだろう。だから、酒盛りの時の実盛の言葉に同意したのではないだろうか。しかし、結局は、寝返らなかった。「寝返らない」と申し出た武者の言葉にからからと笑った実盛は、心中、どう思ったのか。このエピソードが印象深い形で平家物語の中に残っているのは、きっと、実盛の心根に深く同情した人々が多かったということだろう。源平布引滝の作者達は、そういう実盛と義仲の浅からざる関係、実盛の本心、人々の実盛に対する同情をすくい取って、このような物語を作ったのだろう。


なんだか、物語そのものの話が長くなってしまったが、パフォーマンス自体も面白かった。

人形で何気に一番おいしかったのは玉也さん遣う九郎助。義賢館の段で、槍を振り回して戦う玉也さんは半ば本気?面白すぎる。しかし槍の攻撃を受ける方は大変そう!千穐楽まで技芸員の皆様のお怪我のないようお祈り申し上げます。また九郎助内の段では、無骨ながら娘への思いを爆発させる父親像を見せたと思いきや、幕切れは、糸に乗ってひょうきんな踊りで笑わせてくれます。ああ、面白かった。

太夫と三味線はどの段も素敵だったが、特に今回は呂勢大夫と千歳大夫に心引かれた。それから三味線の寛太郎くん。初めてちゃんと聞いたけど、寛治師匠ゆずりの音とリズム、メリハリもはっきりして先が楽しみ。


という訳で、大満足で劇場を後にしたのでした。