国立能楽堂 定期公演 二人袴 盛久

狂言  二人袴(ふたりばかま) 三宅右矩(和泉流
能 盛久(もりひさ) 梅若万三郎観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2487.html

ここのところ、お能を観ると、柿原崇志師、柿原弘和師親子のいずれかが大鼓、というパターンがずっと続いている気がする。乾いた音が心地よい崇志師も、ダイナミックな音がどーんと来る弘和師もどっちも好きなので、どっちでも満足なのです。


二人袴 三宅右矩


婿(三宅右矩師)は初めて舅(河路雅義師)の家に行くことになったが(婿入りという風習らしい)、親離れしていない婿は親(三宅右近師)に舅の家の入り口で待っていてくれるよう、懇願する。親は渋々承諾するが、その様子を見た舅の家の太郎冠者(三宅近成師)が主人である舅に報告してしまう。舅は当然のことながら、親も招き入れようとするが、何せ親は袴を着けていない。最初は呼ばれた方が袴を着けて親子別々にあらわれるが、舅に二人同席するよう強く所望されて困った親は一計を案じ…というお話。


袴を二人で使う上手い方法を思いついたところは、いかにもって感じで面白いけど、歌舞伎などではよくお囃子の方々が同じような袴風の前垂れを付けているので、見慣れているのがちょっと難点。この狂言ができたのと、お囃子の人が前垂れを付けるようになったのと、どっちが先なのだろうか。多分、狂言の方が先だろう。というのも、江戸時代初期の絵では少なくともお囃子の人達もちゃんとした裃を着けているから。ということは、あのお囃子の前垂れを考案した人は、この狂言からヒントを得たのかも?


狂言の途中、謡が三種類ほどあった。一つは、魚を釣ってどーのこーのという話。もう一つは、梅の枝がなんだかんだ、という謡。もう一つは、長くて忘れました。魚を釣ってどーのこーのの方は冗談ぽくて、どうも能などのシリアスな芸能から採った曲とは思われない。狂言が生まれた頃は、そういう色々なジャンルの謡があったのだろうか。


頼りない息子、息子が気がかりでつい手伝ってしまう親、二人に気を遣う舅と、今の時代にもどこかに居そうな組み合わせ。そのようなリアルなお芝居に、コントのような動きがアクセントになって、メリハリのある楽しいお話だった。


盛久


盛久といえば、先日、東博で見た「清水寺縁起」。あまりに達筆すぎて、詞書はよく読めなかったが、かろうじて、盛久という名前は読めた。というわけで、「盛久」がどんなお話なのか、楽しみにしていた。


話としては、典型的な仏教説話だ。平家の家人の盛久が源氏側に捕らえられる。頼朝の命により鎌倉に移送され、打ち首となりかけるのだが、以前より信仰している清水寺の観音の御利益により、斬首しようとする武士の刀が折れて、無事助かるという内容だ。


まず、前場では、玉林(ぎょくりん)作詞、南阿彌作曲の「東国下(とうごくくだり)」という曲舞を踏まえたという長い道行があって、京の四条河原から鎌倉までが詠み込まれている。途中、たとえば富士山が出てくると、富士山を見るがごとく見所から向かって左の方向を向いたりするのだが、箱根山という時は右を向いたりしていた(かつては東海道は箱根峠以外に北の足柄峠を通っていたとか)。盛久達が東海道を旅しているのなら、見る方向が実際の方向と合っていて興味深かった。以前観た「田村」では、名所教えで清水寺から見える名所を見るとき、実際の方向を見て、すごいなと思ったが、ここでもまた、ちゃんとさり気なく正しい方向を向いていたのだった。


その後、盛久は翌日の夕方に打ち首になることになる。その夜、盛久は霊夢を見て、その夢のお告げ通り、打ち首の際に刀が段々に折れて首を打てなくなり、赦免となったのだった。


盛久は、霊夢について頼朝に語るよう、言われるのだが、実は、頼朝も同じ夢を見たのだった。盛久は、得意の舞を舞うよう言われ、頼朝の前で披露する。


後場では、いつも私としては苦手な居グセのところが、今回の公演ではすごく感動的だったのが、新鮮だった。


居グセは、シテが本舞台の真ん中に座り込んだまま、何分も固まったまま動かず、地謡やお囃子方だけで進行するというものだ。舞台面での動きがないので、私のような初心者にとっては退屈で、気力を振り絞って睡魔に耐えて観続けるのが、とても辛いのである(座ってじっとしているおシテの方の方がもっと辛いでしょうが!)。


今回の「盛久」では、居グセの部分は、頼朝から請われて、打ち首となる前夜に盛久が見た霊夢について語る部分だった。その霊夢とは、

六窓いまだ明けざるに。
耿然たる一天虚明なる内に思はずも。
八旬にたけ給ひぬと見えさせ給ふ老僧の。
香染の袈裟を懸け水晶の珠数を爪ぐり。
鳩の杖にすがりつゝ。

というような状況で盛久の目の前に、老僧が現れるというものなのだけど、その様子がとてもドラマティックなのだ。本舞台に居る盛久の目の前に、水晶の数珠を持って杖にすがった袈裟懸けの老僧が本当に現れたような錯覚さえ覚えた。


そして、老僧は、自分は「清水あたりより汝が為に来りたり」といい、盛久が、多年にわたり清水の観音を信仰してきたのだから、心安く思うべし、と告げると、盛久の夢は覚めた。盛久は、かたじけなく尊いことと思い、深く歓喜した。


ここまでシテの動きは全く無いのに、とても心動かされたのだった。どうしてシテが全く動かないのに感動的なのか、不思議だ。シテの万三郎師がそれまでに示してきた盛久の深い諦観が伝わったから、余計この場面が活きたのかなあという気もするが、良くわからない。


このお能は、実は、サブ・テーマがあって、ワキの土屋殿と盛久の友情物語という側面もある。土屋殿は、いつも盛久の理解者であり、代弁者であり、話を聞く人だった。土屋殿も、状況が変われば、盛久の姿は明日は我が身であり、他人事とは思えなかったのかもしれないし、盛久の人柄に感じ入ったのかもしれない。土屋殿がいるからこそ、観客は盛久の人柄を良く知り、共感できるのだった。


というわけで、思いの外、感動的なお話だったので、満足して能楽堂を後にしたのでした。