国立劇場小劇場 文楽素浄瑠璃の会

平成21年度(第64回)文化庁芸術祭協賛
文楽浄瑠璃の会

平家女護島(へいけにょごのしま)
朱雀御所の段(しゅしゃかごしょのだん)
    豊竹 咲大夫、鶴澤 燕三

恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)
沓掛村の段(くつかけむらのだん)
    竹本 住大夫、野澤 錦糸

義太夫を「語る」ということ
    竹本 住大夫、加藤 武
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2909.html

大変楽しみにしていた公演でいそいそと出かけました。


平家女護島 朱雀御所の段

近松作、「平家女護島」の三段目。咲太夫のお父様、先代綱太夫の復曲。
07年10月に、歌舞伎の高麗屋さんの国立劇場公演で、通常演じられる「鬼界ヶ島の場」の前の、「六波羅清盛館の場」の公演があった。今回の三段目を繋ぐと、全体がどんな雰囲気の話だったのか、おぼろげながら半分ぐらいは分かったことになり、興味深い。端的に言うと、この半分に関する限り、俊寛だけがかなり前後のお話の雰囲気と異なっている。

今回語られた三段目、「朱雀御所の段」の内容は、豊臣秀忠の娘で秀頼に嫁いだ千姫が出家後、道行く男性の品定めをして次々と屋敷に引き入れたという巷説(吉田御殿伝説)を、常盤御前に置き換えた趣向。「平家女護島」という外題はここから来ている由。全体を聴いてみて、何故このような趣向のものと俊寛をくっつけたのか、知りたくなった。

俊寛」のお話自体は元々平曲や謡曲幸若舞にあった。しかし、謡曲俊寛は謡専門だったそうだし、幸若舞というのも語り中心だそうで、近松人形浄瑠璃にするまでビジュアル的に表現したものは無かったようだ。近松が「俊寛」を人形浄瑠璃でやろうと思ったのは、彼なりに成功するというもくろみがあってのことだろう。優れた先行作の力を借りながらも、千鳥を登場させることで俊寛自身の意志で鬼界島に残ることを決意させ、ほかの俊寛を扱った芸能とは違った深みのある曲を作った。
それに比べてこの朱雀御所の段は、趣向自体は風変わりなものの、浄瑠璃としてはステレオタイプの展開(「実ハ」のどんでん返しの連続、忠義云々)。しかし、「平家女護島」の外題はここから来たという段らしく、この浄瑠璃の眼目のひとつと言っても良さそうだ。これは一体どういうことなのだろうか。

私としては、近松は、俊寛の「鬼界ヶ島の段」を舞台にかけるために、この何とも下世話な段と抱き合わせにして、観客動員数ありきの興行主のご機嫌をとったのじゃないかな、と想像してしまう。もっとも、これは何か論拠があるわけではなく、単なる深読みです。近松に真意を聞きに行きたい気分。

他に興味深かったのは、お能等の芸能に関する部分。
最初の方に、雛鳥という腰元がお能の「海士」の玉之段もどきの謡というか語りをするのだが、それに気付いた弥平兵衛宗清という武士が「ムさては舞々(まいまい)か蜘舞(くもまい)か」と言う。舞々というのは幸若舞を歌う人のことらしい。幸若舞というと舞と付くし、別名曲舞というほどだからdanceだろうと思ってしまうが、江戸時代には語り中心だったようだ。蜘舞というのは、綱の上を歩いたりする軽業のことらしい。
また、常盤御前の敵方、弥平兵衛宗清の懐からいきなり「巻絹」が出てきて、それで常盤御前を打ったりする個所がある。この巻絹は実は源氏の白旗なのだけど、いちいち「巻絹」と断るところが、謡曲へのこじつけかな、等と思った。

こうやって鬼界ヶ島の段の前後を見ると、どうも「『平家女護島』は俊寛以外は意外に傑作というわけでもなさそう?」疑惑が私の頭の中に浮上してくる。いや、というより、この作品も当時はそれなりに秀作だったが、その後に続く竹田出雲をはじめとする素晴らしい戯作者達のおかげで相対的に価値が下がってしまったのかも。

しかし、これも実際に聴いてみなければ出てこない感想。近松という人の戯作について、少しでも理解するヒントをもらった気がして大変勉強になりました。せっかくのプラチナチケットを手に入れておきながら、良い観客じゃなくて申し訳ない。


恋女房染分手綱 沓掛村の段

「伊賀越道中双六」の「沼津」の段に似たテイストのお話。結構面白い話なのに、なかなか掛からないというのは不思議。単独で出しにくいからかな。
登場人物には、重の井の不義の相手の与作の家来で且つこの段の主役の八蔵や、その母、重の井の子である与之助、旅の座頭で実ハ与八郎、敵の八平次等々、様々な人が出て来る。それを鮮やかに、首が想像できるくらいに語り分ける住師匠に感服。聴いていても、全く混乱しなかった。
三味線は、砥石で刀を研ぐ音が印象的。背筋がぞっとして私の爪まで痛くなる、ホラーな音。
山口能装束研究所所長の山口憲氏は「装束を選ぶ様子をみると、その人の実力が分かってしまう」と言っていたけれども、素寿瑠璃の会の選曲にもあてはまりそう。「沓掛村」という選曲は、住大夫の浄瑠璃の実力を示す格好の素材の宝庫で、かつ、感動もでき、と、まさにさすがの一言でした。


休憩を挟んでの、加藤武さんと住師匠のお話は、先代綱大夫から、山城少掾や越路大夫のお話や、加藤武さんの歌舞伎役者の声色など。とっても楽しい会でした。次回開催も切に請う!