歌舞伎座 さよなら公演芸術祭十月大歌舞伎 夜の部

歌舞伎座さよなら公演芸術祭十月大歌舞伎
平成21年10月1日(木)〜25日(日)
通し狂言
  義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  渡海屋
  大物浦
  吉野山
  川連法眼館
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/10/post_48.html

渡海屋、大物の浦

かつて仁左衛門丈のDVDに感動して何度も観てしまったため、私にとっては仁左衛門丈の二段目が義経千本桜の二段目の基準作(っていう言い方は歌舞伎ではしないと思うけど)になってしまっている部分がある。

そのような事情で、どうしても仁左衛門丈の二段目と比べて観てしまうのだが、大きく違って感じたのは、前半のテンポと吉右衛門丈の台詞の言い回し(住師匠風に言うと「音」)だった。

テンポは吉右衛門丈の方がゆったりとしたものだった。おそらく、二段目の格調を出すため、渡海屋銀平は回船問屋ではあるけれども実ハ平知盛であることからのものなのだと思う。またはひとつには、仁左衛門丈の場合は、大物の浦に重きを置いていて、渡海屋はテンポよくさくさく演じるためもあるだろう。両者の考え方の違いが分かって面白い。

それから、言い回しは、吉右衛門丈があまり義太夫的な言い回しをしていないのが印象的だった。住師匠は、「初代吉右衛門は訛ってなかった(=大阪のイントネーションだった)」と言っていたが、当代吉右衛門は、違和感があるわけではないけれども、大阪弁でないのは確かだ。

最後はもちろん、滂沱の涙で泣ける知盛でした。その後の弁慶の法螺貝は歌舞伎ならではの秀逸な演出と改めて思う。お能のような橋掛リがない代わりに、幕を引いた後の花道の演技で、お能の橋掛リを去るシテを観るのと同じ感慨を得ることができる。

そのほか、お柳実ハ典侍局の玉三郎丈は、本行のように美しくて素敵。歌六丈の相模五郎は素敵だったけど、できれば歌昇丈の入江丹蔵と逆の配役で観たかった気も。

ほかに、メモっておきたいことども。
銀平の煙草入れにさりげない碇の文様。お柳の着物の脇からちらと見える赤。弁慶が知盛に数珠を掛けるとき、首に掛ける場合と肩にかける場合があるが何か意味があるのだろうか。知盛出陣前の「田村」(これは仁左衛門丈の「渡海屋」ではすっとばしすぎて謡いかどうかすら分からない)。それから、お能狂言の影響−これだけ能楽を取り入れている演目も珍しいのではないだろうか。「船弁慶」をはじめとして、「碇知盛」、「大原御幸」、オリジナルではないけれども九代目の「田村」の工夫、相模五郎と入江丹蔵の魚尽くしは、狂言の「魚説経」から来ているのだろうか。


吉野山

苦手な清元だけど、どうにか聞いてられた。
松緑丈の逸見籐太がとても良かった。菊之助丈も素敵。私は花道から忠信が笠を投げるのを籐太が上手く取れたのを観たためしがないのだけれども、あの成功率ってどのくらいなのだろう。ちなみに文楽の扇投げは、私が観るときは大体成功している。投げるものの大きさも距離もぜんぜん違うが、あの運動神経はすごい。
最後、一瞬、籐太が幕引をしないの?と思ったが、あれは忠臣蔵の判内でした。どうも私の頭の中で千本の道行と忠臣蔵の道行がごっちゃになっている…。


川連法眼館

都合により拝見できず。残念無念。