国立文楽劇場 錦秋公演 芦屋道満大内鑑

国立文楽劇場開場25周年記念
錦秋文楽公演
◆第2部
芦屋道満大内鑑
 大内の段
 加茂館の段
 保名物狂の段
 葛の葉子別れの段
 蘭菊の乱れ
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2805.html

先手必勝。速攻で大阪まで観に行ってきました。

文雀師匠のお役は、今まで初めて文楽を観て衝撃を受けた合邦の玉手御前からはじまって中将姫、関寺小町、良弁杉の渚の方等々、短い期間に様々なものを拝見させていただいたけれども、今回の葛の葉も本当に素晴らしかった。
先日、お能の「定家」の関根祥六師を拝見したときも思ったが、その舞台や役が内包する世界の大きさや伝わってくるものは、技術のみならず、演者の人間性が大きく関わっている気がした。こんなことは言い古されていることではあるけれども、そのような舞台に接すると改めて実感させられる。
そして、文雀師匠の葛の葉や祥六師の式子内親王は、その役者側の人間性の高さのお陰で、私のような者にも私なりに感じるものがあったが、私が将来、幸運に恵まれてあのくらいの年になったとき、果たしてあれだけ大きな人間に一歩でも二歩でも近づくことができるのか、と劇場から帰る道すがら、色々考えてしまった。


話を舞台に戻すと、「芦屋道満大内鑑」の初段は「大内の段」。冒頭の詞章が「仮名手本忠臣蔵」の大序の詞章の文体と似ていて、なるほど、この時代の人形浄瑠璃の冒頭は、こういう風に始まったのかと思う。
人形の方は、いつもと違い最初は一切動かず、詞章の中に桜木親王の名前が出てきて初めて桜木親王が両袖を翻して動き始め、他の人形も同様に…という、まるで忠臣蔵の大序そのままの演出(ま、歌舞伎しか観たことないけど)。へーと思ったら、パンフレットの高木浩志氏の解説によれば、大序「大内」から序切「加茂館」までは、昭和五十九年、五代燕三の手付による復曲とか。ということは、ここの部分も伝わっていたものというよりは、その時に振り付けされたものなのだろう。歌舞伎では大序の演出は「仮名手本忠臣蔵」にしか残っていないということになっているので、「芦屋道満大内鑑」にも残っていたのかと思い、びっくりした。

「加茂館の段」と「保名物狂の段」の保名の衣装は、鴇色の着付に紫地に葛の葉の文様の長袴。袖には源氏香の文様がひとつ(安倍晴明の時代にはまだ源氏物語は無いという話はさて置き)。気になって何の香の文様か調べてみたところ、「行幸」のように思えた。
源氏物語の「行幸」には、源氏が、親代りになって養育してきた玉蔓のことを、彼女の生みの父である内大臣(うちのおとど;元の頭中将)に打ち明けるというエピソードがある。それから柏木は、内大臣から知らされるまで玉蔓を自分の兄弟と知らず恋をしていた。生みの親と育ての親というモチーフや正体を知らずに恋をするというのは、何となく葛の葉に繋がるイメージ。
また、末摘花の歌で「わが身こそうらみられけれ唐衣 君がたもとになれずと思へば」(私の身がうらめしい、あなたのもとに居て長く馴染めないと思うと)という歌があった。
少なくともこの歌は、私にとっては葛の葉に関する疑問を理解する手掛かりとなった。というのも、今までイマイチ、葛の葉が何を「恨み」と思っているのか、恥ずかしながらよく分からなかったのだ。葛の葉のような心根の優しい人が、保名や葛の葉姫、葛の葉姫の両親を恨むとは思えないし、何を恨みに思っているのだろう、と思っていた。結局、この歌にあるとおり、「わが身が恨めしい」ということだったのだ。そういえば、全然関係無いけど、幽霊の決まり文句「うらめしや〜」(話がそれまくりだけど「うらめしや」は抑揚が謡っぽいといつも思う)も、「思いを残して死ぬことになった、わが身がうらめしい」ということだろうか。この年まで全然気がつかなかった。生きてる人がうらめしいと言っているのかと思ってた。

一方、「葛の葉子別れの段」の女房葛の葉の衣装は歌舞伎と違って、柿色の地でアクセントに白の光琳菊の文様に緑の葉が添えられたもの。柿色は菊の色であり狐の色ということを暗示しているのでしょう。光琳文様の小袖は、ちょうどこの狂言が初演された時代に流行ったもの。そしてこの狂言では、蘭菊が葛の葉を象徴するひとつのモチーフ。

なに気にとってもお洒落な葛の葉&保名なのでした。こういう風に、衣装や小物を観てその意味するものにつらつら思いを巡らすのは本当に楽しい。


ところで、先の9月東京公演にて、呂勢大夫の紗綾形の文様の見台を見て感銘を受け(?)、見台ウォッチャーとして大夫さん達の見台を観察することを心に誓った私。ところが、すっかり油断して忘れており、今回も最後の段で呂勢大夫の紫の房付きの朱色の見台に驚かされ、やっと思い出す始末。今回の呂勢さんの見台は朱の漆に平蒔絵で丸文が描かれていた。丸文の中は金粉のグラデーションに漆絵(朱等)で草花が描かれていたようなのだけど、肝心のその絵がよく確認できず。微妙に遠かったのだが、かといってわざわざオペラグラスで見台をガン見できるほど遠いわけでもなく、結局、文様の細部の確認を断念。自分の小心さがくやしい!
とりあえず、観た感じでは丸文は露を表し、丸文の中の草花文様は露に映った草木を表しているのではないかしらんと思う。朱の漆で女らしい、かつ露の文様で大正ロマン風の、葛の葉にぴったりの見台なのでした。とゆーわけで、来月からはまじめに見台をウォッチするぞ!

おっと、それからすっかり書き忘れるところだったけど、「蘭菊の乱れ」はとっても良い曲だったのでした。何故、あまりかかんないんだろう。せっかくだからこの後の段の「二人奴」まで観たい気がしないでもなかったけど、「蘭菊の乱れ」は踊りも素敵だし、曲もいいし、気持ち良く劇場を後に出来、素晴らしかったです。