東京文化会館 乞巧奠(きっこてん) 〜七夕の宴〜京都冷泉家の雅

冷泉家 王朝の歌守展開催記念
七夕の宴「乞巧奠」〜京都・冷泉家の雅〜
日時 11月14日(土) 15:00開演(14:15開場)
演目 蹴鞠:蹴鞠保存会
雅楽:絲竹会
和歌披講:冷泉家門人
流れの座:冷泉家門人
解説:冷泉貴実子
http://www.t-bunka.jp/calendar/calview.html?ym=200911&d=16&m=big

東京都美術館で12/20まで開催中の「冷泉家 王朝の和歌守」の関連イベント。冷泉家の七夕の行事「乞巧奠(きっこてん)」を東京で初めて紹介した。

とても楽しみにしていた公演。特に、和歌をどうやって朗詠するのか、非常に興味があった。
というのも、美術館でみる書跡のうち、和歌集には赤いゴマ点のようなものが付いているものがあったりして、どう朗詠したのか、とても気になっていたから。
それに朗詠の仕方というのも色々な種類がありそうだ。例えば、天皇家のお正月の歌会始の儀をTVのニュースなどをみると、大抵、五七五七七の各句の最後の音をながーくのばして最後は跳ね上げるように朗詠する様子が流れる。以前、TVで見た奈良在住の古代料理研究家か何かの方は関西アクセントの独特の抑揚の付いた詠み方をしていた。普通に現代詩を朗読するように朗読する人もいる。私の実家では百人一首は詩吟風に詠むことになっている。ほかの家はどうなのだろう?冷泉家はどうなのだろう。「和歌守」というくらいだから、期待も大きいのだった。


飾り付け

まず、乞巧奠の行事では、節句同様、飾り付けが結構大事なようだ。星の座と呼ばれる祭壇に、琴、琵琶と、供物が置かれていた。供物は、瓜、茄子、桃、梨、空の杯、ささげという豆、フライビーンズ、蒸鮑、鯛(うりなすび ももなし からのさかづきに ささげ らんかづ むしあはび たひ)が置かれる。他に五色の糸、布、秋の七草等。おお、五色というのは、道教から来ているのだろう。
また、梶の葉を一枚水に浮かべた角盥を置く。昔の人は、直接星を見ずに角盥の水に映った星を見たとか。何故、そのような面倒なことをするのか、そもそも見えるのか、不思議である。それとも廊下ぎりぎりまで出ると人には見られるは虫に刺されるはで不便なので、室内でも星が見られるようにそのような方法が考案されたのだったりして…?

それから、今は七夕といえば「笹の葉さーらさら」だが、冷泉家の人達にとっては梶の葉なのだそうである。たしかに新古今和歌集の俊成の歌に「たなばたのと渡る船の梶の葉にいく秋かきつ露んおたまづさ」というのがある。全然、気が付かなかった。


蹴鞠

明るいうちに手向けの蹴鞠をやるのだとか。
介錯役の人が星の座の側に備えられていた鹿の皮で出来た蹴鞠の鞠をとると、プレイヤーに渡す。するとプレイヤーは松、桜、柳、楓の木に囲まれたコートに膝を付いて一礼して、以下、8名のプレイヤーが順々にコートを囲んだ。何でも儀式に出来る日本人に感動。ルールはよく分からないけど、どうも円陣を組んでバレーボールのパスの練習をする時のように、落としたら駄目というルールのようだ。
しょっぱなから客席に飛んでいってしまう場外ランニングホームラン(?)で、大いに沸いた。
源氏物語」の「若菜上」に、柏木達が蹴鞠をやっていて、それを源氏が退屈しのぎに観るという箇所がある。源氏は「みだりがはしきことの、さすがにめさめてかどかどしきぞかし(蹴鞠は騒々しいものだけれども、極めて面白い遊びだ)」というのだけど、そんなの面白いのかしらん、と思っていた。確かに単純なのに思わず見入ってしまった。


雅楽

「壱越調音取(いちこつちょうねとり)」という曲が最初に演奏された。「壱越調」はD音。音取というのは、チューニングが高度に様式化した短い曲とか。お能のお調べみたいなもの?そういえば、お能の「清経」の小書「恋之音取」っていうのがあった。


披講

お待ちかねの和歌の朗詠。ここから天皇陛下皇后陛下が御鑑賞。

読師(どくじ)という人が歌の書かれた紙を渡し、講師(こうじ)と呼ばれる人が歌を読む。これは天皇家の歌始の儀の例の句の最後を引っ張るような調子で読み上げる。あのニュースの画像はこれなんですな。これに続いて発声という人が初句を読み上げると購頌(こうしょう)と呼ばれる人達がそれに唱和する。
どうも、発声という役割の人がどの旋律にするか決めて初句を歌うと、購頌の人達は「ああAメロだな」等と了解して二句以降を唱和するようだ。途中から旋律が複数あることに気づいて注意して聞いたところ、気づいた後の三曲は全部旋律が違った。パンフレットによれば、大きく甲と乙の二種類あり、乙はさらに三種類に分かれるらしい。
曲調は、声明と似ていたのが非常に印象的だった。多分、仏教の影響なんだろう。仏教の伝来する前はどんな風に和歌を朗詠していたのか、そんなことは誰も知らないけど、またまた更に気になるのだった。


流れの座

男女五組が出てきて、舞台の上手に男性、下手に女性がそれぞれのペアで向かい合って座った。その男女のペアの間に天の川に見立てた綾織の白布を敷いて、ペア同士で、歌を交換しあう。別に歌を朗詠したりはしないそう。しかしその場では、交わした歌をいくつか披露してくれた。ちゃんと古歌を踏まえていて皆さん上手い。
本来は翌朝明け方まで行うとか。そこまでやるとなると、楽しい宴なのか、それとも辛い苦行なのか、ちと微妙…。とりあえず、平安時代の貴族に生まれなくてよかった、と胸をなで下ろした土曜の午後でした。