五島美術館 延慶本『平家物語』の世界

講演会
延慶本平家物語の世界
講師 佐伯真一氏(青山学院大学教授)
日時 11月22日(日)午後2時より(開場?受付は午後1時)
場所 五島美術館別館講堂
http://www.gotoh-museum.or.jp/


先日、お能の「盛久」を観たときに「平家物語」に「長門本」という異本があることを知り、更に先日の横浜能楽堂の企画公演で、語り本系として「覚一本」(岩波古典体系(新、旧)等)について話を聞いた。それで、今回、読み本系とよばれる系のうちの一つ、「延慶本」の講演があるというので、軽い気分でお伺いしたが、目から鱗のお話ばかりで非常に面白かった。
特に建礼門院説話と大原御幸の六道之沙汰の謎のお話、小野小町和泉式部光明皇后の説話における中世の「極度の苦難を引き受けることにより成仏する女性」という一つのモデルがあったというお話は、お能を観ていてよく聞く話ではあるものの今までイマイチ消化不良だった。その点、今回のお話は理解を深めるのに大いに参考になった。


(1)『平家物語』諸本と延慶本

なんとなく琵琶法師の語る「語り本系」の方が先に出来、それを読み物化したのが「語り本系」という気がしていたが、今は、「語り本系」の「延慶本」がもっとも古態をとどめているという説が主流となっているようだ。この説では、多様な資料を編集したものが平家物語の原態と考えるのだそうだ(これには異論もあるようだ)。
延慶本の成立は、1223年(貞応二年)頃の建礼門院の没後(平家物語の最後には建礼門院が没したことが記されているため)から1240年(延応二年)(『兵範記』紙背文書に「治承物語六巻 号平家、此間書写候也」という文言があるため)とみなされているそうだ。
また、延慶祖本はその奥書から延慶二、三年に書写が行われ、その後、恐らく部分的に書き換え等が行われつつ、書写奥書によれば、1419〜20年(応永二十六年〜二十七年)に現存の延慶本の書写が行われ、現存諸本中最古になるそうである。


(2)小壺坂合戦をめぐって

この合戦は小競り合いのようなものだそうで、覚一系には載っていなかった気がする。ここの描写が、由比ヶ浜七里ヶ浜稲村ヶ崎の位置関係等々実際に体験しなければ分からないものだということをスライドを交えて説明して下さった。それで、たとえばここの部分などは実際の体験者等に取材して書かれた箇所だと考えられるのだそうだ。確かに平家物語お能の間狂言さながらに「どうしてそこまで知っておるのじゃ!」と言いたくなるくらい当事者しか分からないであろうことが述べてある。しかし一方で事実に即していない表記もあるそうで、たとえば倶利伽羅峠の箇所では東西で戦ったのに南北と誤って書いてあるとか。


(3)建礼門院説話をめぐって

一番面白かったのはこのお話。

「大原御幸」において、建礼門院は、後白河法皇に請われて六道之沙汰について語る。建礼門院安徳帝を産み、国母となって栄華を極めたが、高僧しか生きながら体験することは出来ないといわれるような六道之沙汰を経験し、安徳帝を亡くし、今は大原で自ら花を摘むような生活をしている。
六道之沙汰については特に畜生道について、延慶本では知盛等との浮き名が流れたということについて述べていて、源平盛衰記のようにもっと酷い表現になっているものもあれば、覚一本のように、あまりにも酷い話ではばかられると思われたのか、竜宮城の話に置き換えられているものもある。加えて、当時、後白河法皇高倉天皇が亡くなった際、建礼門院後宮い入れようという話があったという。
そもそも平家物語の大枠は、様々な源平の人々の話を語り最後に女院の成仏について語ることで亡魂を弔うという趣旨のはずという大前提がある。それなのに、どうして、いたずらに国母であった建礼門院を貶めるような記述となっているのか、不可解である。
その点についての佐伯先生の説は、中世に現れた「極度の苦難を引き受けることにより成仏する女性」という女性像を建礼門院に当てはめるために、このような形で女院のことが語られたのではないか、というものだそうだ。

このような女性像は、中世になって出来た、小野小町が零落したという話、和泉式部に関する中世のいくつかの説話、光明皇后湯屋施行説話にも当てはまるという。
この話を聞いて、お能の「通小町」や「誓願寺」で何となくすっきり納得しきれなかったことに関して、ヒントをいただいた気がした。特に「誓願寺」で和泉式部がいきなり一遍上人の前に現れて「先着六十万名様しか極楽往生出来ないってどーゆーことですの?」と詰問したのも道理だ。「帰依した性空上人からはそんな話聞いてませんから!私の今までの努力はどうなっちゃうわけ?」って話だ。
…という冗談はともかく、中世の人々の、「執心」に対する関心や女性の零落や汚れへの好奇心は、それが真面目に語られることも多いだけに、私にとっては、いったい彼らがそこから何を得ようとしていたのか、納得感をもって理解しにくい。今回の講演はそういった疑問に関して今後探求していくきっかけをもらった気がする。そういう訳で私にとって非常に意義深い講演でした。