横浜能楽堂 企画公演「英雄伝説 義経」 八島 那須与市語

企画公演「英雄伝説 義経」 第3回「壮絶!屋島の合戦
平成21年11月23日(月?祝) 14:00開演 13:00開場
解説 三宅晶子
琵琶?語り 上原まり
能「八島 奈須与市語」(金春流
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/

八島のシテは義経。この日までには「義経記」を読み終えようと思い、頑張って読み終わった。がしかし、三宅先生は少女時代から義経ファンだったそうだが、私の場合、読み終えても義経のファンになるという心境にはほど遠かった。恐らく、naiveな貴公子の義経のファンになるには年齢制限があるのではないだろうか。そして私は義経ファンになるには、とうがたちすぎていたらしい。おばさんは悲しい。もっと若い時に読むべきだった。そのかわり、弁慶には結構肩入れしたくなった。歌舞伎や文楽の弁慶は超人的だったり子供っぽかったりで、一体本当はどんな人なのだか判然としないけど、「義経記」の弁慶は前半こそ荒くれ者だが、後半は義経や家臣達がつい悲観的な思考をしがちなところ、超前向き思考で失意の義経や皆をもり立てて大いにリーダーシップを発揮していく。

そういうわけでイマイチ義経に肩入れできなかった私ですが、「八島」の義経は「義経記」の義経ではなく、「平家物語」の義経。しかも一番かっこいいエッセンスを集めた義経だった。


解説 三宅晶子

お話で興味深かったのは、屋島の合戦は、平家物語お能の詞章では日付がずれているというお話。恐らく日没の時間を計算して、日付を後送りにすることで、まだ陽がある中ですべてのことが行われるという効果をうんでいるのではないか、というお話だった(気がする)。

それから、もうひとつ面白かったのが、詞章の最後のところの、

其船(そのふね)軍(いくさ)今ははや、閻浮に帰る生死の、海山一同に振動して、船よりは鬨の声 陸には波の楯 月に白むは 剣の光 潮に映るは 甲の星の影 水や空、空行(そらゆく)も又雲の波の、討ち合い刺し違ふる、船軍の駆け引き、浮沈むとせし程に、春の夜の波より明て、敵と見えしは群れゐる鴎、鬨の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞ成にける。

の解釈について。

ここは、春の夜が波から明けてくる中、本来は波だったり鴎だったりするものが、敵の楯に見え、敵と見え、月光は剣の光に見え、という状況を描いているのだそうだ。自分で詞章を読んでいた時は気がつかなかった。果たして、そう思ってお能を見ると本当にここは修羅能でありながら幻想的な雰囲気。まるで幻のような波や鴎や月光が見えるようで、本当に素敵だった。やっぱり詞章は深く読まないといけないなあ。


琵琶?語り 上原まり

平家物語の十一のダイジェスト。今回は間奏の部分が多くて面白かった。普段よく聞く三味線より琵琶の方が弦の本数が多い分、表現や奏法のバラエティの幅があり、音楽的にも幅が広いように思う。邦楽においてもっと重用されてもいいように思う。なぜ三味線の方がポピュラーになったのか、なかなか興味深い。


能「八島 奈須与市語」(金春流


ワキの僧(工藤和哉師)が讃岐の八島に付き宿を探していると、塩屋を見つける。僧が塩屋を借してくれとツレの海士(柴山暁師)に頼むと、ツレは塩屋の主であるシテ(櫻間金記師)に伝える。すると、シテは「御宿の事は安事にて候へども、余に見苦しく候程に、叶うまじき由候へ」という。むむ?これは「松風」と同じ展開。もしや手抜き?それとも、「松風」は観阿弥が作った曲だったようだから、その「松風」を本歌取りして「松風」を彷彿とさせることを意図しているのかしらん。シテは薄紫の水衣着流に棹を持った海士の姿でで三光尉の面。

とりあえず塩屋に泊めてもらえることになった僧が、世阿弥作らしく唐突に八島の合戦の話を聞かせてほしいと所望すると、それはもう詳しく、しころ引きの話やら、佐藤継信の最期の話などを語り始めるのだった。

その後、中入りとなり、間狂言の「那須与市語」となる。これは野村万作師で、とても素晴らしかった。もともと学生時代から教科書に載っていた古典の中でも数少ない好きなお話(学生時代は古典は嫌いだったので)で、ここを楽しみにしていた。長裃を着た万作師は目の覚めるような鮮やかな語り口と所作で演じていて、とても楽しかった。印象的だったのは、与一が射る扇を持つのが遊君となっていたことだ。平家物語では女官となっていてイメージ的に緋の袴の印象が強く、これはこれで空と海の青、木造の船のベージュ、緋色の袴、白い小袖と扇と視覚的にビビッドで私は好きだ。一方、遊君とすると、劇的で緊迫した雰囲気が伝わってくる気がする。また与一が弓を射て扇に当たり扇がひらひらと宙を舞うところは、私のイメージではスローモーションのような映像が頭の中で浮かんでいた(ここが一番好きな部分なのだ)。万作師はスピード感をもってさっと射て扇もすぐにひらひらと飛んだ。弓を射る音、湿った潮風、扇がひらひら舞うのを皆が口もきけず呆然と見守る情景がありありと目に浮かんできて、本当に与一と万作師の両方にお見事といいたいくらいだった。

後場では、義経が生前の姿で颯爽と現れ、弓流しのエピソードなどについて語る。義経は「平太」で、紺地に三重丸の袷法被、紺地に山道飛雲の半切。

詞章の最後の部分は三宅先生のお話通り、とても幻想的で、いかにも春にふさわしいお能なのでした(ま、今は秋だけど)。

今月は諸般の事情からお能はこの一曲のみとなってしまった。いつの間にやらお能にもはまってしまい、お能を観られない週は悲しい。来月はどうか予定している公演に無事観に行けますように。

番組
解説 三宅晶子
琵琶?語り 上原まり

能「八島 奈須与市語」(金春流

 シテ(漁翁、源の義経の霊)櫻間金記、
 ツレ(海士)柴山暁、ワキ(旅僧)工藤和哉
 ワキツレ(従僧)梅村昌功、野口能弘、アイ(浦人)野村万作
 笛:一噌幸弘、小鼓:曽和正博、大鼓:柿原光博
 後見:守屋泰利、山中一馬
 地謡:本田光洋、吉場廣明、山井綱雄、井上貴覚、本田芳樹、本田布由樹、
 地謡:政木哲司、大塚龍一郎