文楽劇場 夏休み文楽特別公演 第2部

第2部 【名作劇場】 午後2時開演
生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)
 宇治川蛍狩の段/真葛が原茶店の段/岡崎隠れ家の段/
 明石浦船別れの段/薬売りの段/浜松小屋の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2015/4319.html

本公演が始まる直前、嶋師匠が人間国宝に指定されたというニュースが流れました。とても嬉しいかぎりです。今公演には出演されていませんが、また近いうちに、いつもの元気なお声をお聴きしたいです。


生写朝顔

とても好きなお話です。平安時代の上臈の女性達が熱狂した作り物語や中世の御伽草子の世界を江戸時代の武士の世界に写したようで、美しい歌詞(うたことば)や昔の物語を思い出させる詞があふれるとても愛らしい物語です。けれども、それだけではなくて、最も観る者の心を揺さぶるのは、深雪ちゃんという一人の娘が人に恋することで大人の女性に変貌していく姿を描いた側面ではないでしょうか。その娘から女性への変貌の過程で、味わわなければならない絶望感や孤独が象徴的に描かれており、それが人の共感を呼ぶのだろうと思います。そして、一人の娘が女性になって生き延びていくためには、周りの大人達も同じように大きな痛みを感じ選択を迫られるのです。彼女が無事大人になって生き延びるためなら、自分を犠牲になることを厭わない大人達の姿も心に残りました。

しかしそれにしても、今回上演された範囲だけで判断すれば、必死に阿曾次郎さまを追いかける深雪ちゃんに比べ、全般的に阿曾次郎くんの粗忽が目立ちましたね。深雪ちゃんは、今度、阿曾次郎くんを捕まえたら、「いい気になって、いつまでも私が追いかけてくると思ってるんじゃあないわよ!」と、はっきり言ってやったらいいと思います。私が浅香だったら、深雪ちゃんの名代となって、ばしっと言ってやるんだけど。


宇治川蛍狩の段

後々すれ違いのドラマの主人公となる深雪ちゃんと阿曾次郎くんは、宇治川で出会うのです。

宇治と言えば色々思い出すことはあるけれども、宇治川と逢瀬といえば、『源氏物語』の宇治十帖の「浮舟」にある、匂宮が浮舟を自分の隠れ家に匿うために連れ出し宇治川を二人で渡った場面が印象的だ。阿曾次郎くんのモデルは儒学者の熊沢蕃山という人で、『源氏外伝』という源氏の注釈書も書いているらしいので、そんな「浮舟」の一場面を効かせたシーンなのかもしれない。

そして、この物語の中で重要な役割を担う金地に朝顔の花の描かれた扇も出てくる。深雪ちゃんはこの扇に一筆書いてほしいと阿曾次郎くんに頼む。扇は和歌の世界では「あふぎ(逢うとき)」を象徴する小物だし、また前漢の成帝の寵愛を受けた班女が「怨歌行」で詠ったように秋風と共に人に忘れられた女性の悲哀の象徴でもあるけれども、中国の班女の物語を典拠として作られたお能の「班女」では、花子が吉田少将から贈られた夕顔の扇を唯一の手がかりとして吉田少将を訪ね歩き、最後は吉田少将と再会する。そんな様々な古の物語を思い起こさせる朝顔の絵の扇は、この物語の重要なモチーフになる。

深雪ちゃんと阿曾次郎くんが舟で語らっている最中に、奴鹿内が阿曾次郎くんを探してやってくる。国元より火急の知らせが届き、その書状を持ってきたという。中身は何かというと、叔父了庵より「家督を受継ぎ、鎌倉へ下り、殿へ御諌言いたしくれよ」というもの。書状で家督を継げなんて、確かに大変な話だけど、深雪ちゃんをうっちゃってまで行く必要あるかって点に少し疑問が残る。阿曾次郎さまは家が近いので後で訪ねましょうと言うと、その場は二人は別れるのだった。そして、これがこの後のすれ違いの始まりとなるのです。


真葛が原茶店の段
初めて観る段。萩の祐仙(勘十郎さん)って笑い薬の段で阿曾次郎くんに痺れ薬を盛ろうとしてるトコからして、悪知恵の働くやつかと思いきや、深雪ちゃんLOVEだけど、阿曾次郎くんに勝るとも劣らない何かと間の悪いやつでした。むしろワルは桂庵(簑二郎さん)。この人が深雪ちゃんの両親に祐仙を引き合わせるだの、惚れ薬があるだの、悪巧みをしては祐仙からお金を巻き上げているのです。

この段のニセモノの惚れ薬をはじめ、注進への気付け薬とか、笑い薬とか、生き血を混合してどんな眼病もたちまち平癒させる薬とか、この狂言には様々な薬が出てくる。無理に分類すれば、目薬を除いて全て精神系のお薬というのも興味深い。当時の人々の関心の在処なのか、それとも、情を描くことに苦心している浄瑠璃作者ならではのラインナップなのか。

人形に勘十郎さん、簑二郎さん、文章さん、床に松香さんとくれば面白くないはずのない段。清友さん、今、特に決まった太夫の方と組んでらっしゃらないけど、松香さんと組んでほしいな。そして松香さんにはもっと色々、語っていただきたいです。


岡崎隠れ家の段

忠臣蔵の山科閑居のパロディになっているとか。奥は不必要に重厚な始まり方で笑ってしまう。こんな段は、九段目もチャリもいける千歳さんと富助さんで聴きたい。

そして最も傑作なのが、勘十郎さんの祐仙。大好きな深雪ちゃんの両親にご対面というだけあって、もう舞い上がってしまい、様々に怪しい行動を見せてくれる。

妙に共感したのは深雪ちゃんの母の操。「小腹が立って、なぶってやろう」と、そ知らぬ顔で祐仙がしっぽを出すような問いを発するのです。これ、私も仕事でえらそーにしている人に小腹が立つと、白々しく質問したり、驚いたふりしたりして相手をなぶって、内心、ザマーミロ!と思ったりすることがある。昔はこんなことしなかった真面目人間だったのに。こういう人をなぶる場面の多い、狂言文楽から受けた悪影響です、絶対。


石浦別れの段

石浦の別れといえば、『源氏物語』の「明石」の巻での源氏と明石上との別れの場面。ここでも『源氏物語』が効いています。

偶然、海上で出会った深雪ちゃんと阿曾次郎くん。深雪ちゃんは阿曾次郎くんの船の飛び乗って連れていってと懇願し、阿曾次郎も同意するが、御座船に乗る両親に一筆断りを入れるために深雪ちゃんが御座船に戻ると天候が荒れはじめ、御座船はみるみる阿曾次郎くんの船から遠ざかってしまう。このとき、深雪ちゃんが阿曾次郎くんに朝顔の扇を投げるのですが、阿曾次郎くんがナイスキャッチ!パチパチものでした。


浜松小屋の段

多分初めて観ましたが、今回、最も心揺さぶられた段でした。

この段では深雪ちゃんは泣きはらして盲目となり、非人となって蒲鉾小屋に住んでいる。

阿曾次郎くんを追いかけて家出なんかせずに家で待ってたらこんなことにならなかったのに…というのは簡単だけど、深雪ちゃんにとっては、そんな理性的な判断が出来ないほどの恋なのだ。

現実的に考えたらあり得ないシチュエーションでも象徴的に考えれば、恋することで、盲目になり、どん底の気分を味わい、自分が自分で無くなってしまったようで、親しい人とも今までのようには接することが出来ない…そういったことは、誰でも感じることだろう。だから深雪ちゃんの嘆きは、誰もがどこかで共感する部分のある心の叫びなのだ。

そういう悲痛な心の叫びを簑助師匠の深雪ちゃんは、体現しているのだった。そう、簑助師匠は深雪ちゃんを見せているというよりは深雪ちゃんの心を見せてくれたのだった。そして珍しく時に音を外し、テンポを乱してまでも情を語ろうとする呂勢さんと、その語りをリードする清治師匠。文雀師匠の人形を彷彿とさせるような母性にあふれた和生さんの浅香。できることなら千穐楽まで毎日観続けたい、浜松小屋でした。