源大夫師匠

源大夫師匠がお亡くなりになったそうで、ショックです。

私は初めて観た文楽は2007年2月東京公演第二部の合邦で、その「合邦庵室の段」は当時の綱師匠と清二郎さん、住師匠と錦糸さんのリレーでした。さらに人形は玉手御前が文雀師匠で合邦が文吾さんという超々豪華メンバーで、ただ単に「文楽とやらを一回観ておこう」と演目についても出演者についても何の前知識の無いままに行った私は、大きな衝撃を受け、今までその衝撃を引きずっています。まるで文楽にはまるために観に行ったようなものでした。

そしてその後、特に綱大夫時代は、理知的で端正なだけでなく、情にもあふれる浄瑠璃を、いつも楽しみにしていました。

私は不勉強で芸談の本はほとんど読んでいないのですが、読んだことのある数少ない芸談の本の中に、源大夫師匠のものがあります。その中で源大夫師匠の師匠である八代綱大夫に心酔されていることが随所に述べられていて、八代綱大夫のことを知らない私は、あの理知的な語りをする源大夫師匠と自分の師匠に心酔する師匠の姿がどうも自分の中でしっくりせず、不思議に思っていました。

しかし、最近の咲師匠の語りを聴いていると、源大夫師匠の語りと重なる部分が確かにあるのです。源大夫師匠と咲師匠の重なるその先に八代綱大夫という人の語りを垣間見る思いがし、源大夫師匠にとっての八代綱大夫の大きさが、朧気にですが、分かったような気がしています。

そしてそこまで一人の人に心酔できる度量というのは、なかなか余人には持ち得ないとも感じました。だから源大夫師匠の浄瑠璃は大きいのでしょう。

理詰めと情という源大夫師匠の特徴が生きる近松物や端正な声を生かした夏祭の団七などが好きでした。源大夫を襲名されてからは、休演をされることが多くなりましたが、それでも心に残っているものもあります。竹本義太夫三百年忌の時の勧進公演で聴いた「関寺小町」は心に染みました。最初、お声が出ずに最後まで細いお声だったのでご本人は納得されていなかったかもしれませんが、義太夫という形を越えて、訴えかけるものがありました。老いるということについて、衰えるだけではないということを、語りを通して教えて下さいました。

ご冥福をお祈り致します。