国立能楽堂 7月普及公演

<月間特集・江戸時代と能>
解説・能楽あんない  動いている江戸期の能楽 松岡 心平(東京大学教授)
狂言 簸屑(ひくず)  三宅 右近(和泉流
能  大瓶猩々(たいへいしょうじょう)  井上 裕久(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2015/7150.html

久々にお能を観て、心が満たされました。


解説・能楽あんない  動いている江戸期の能楽 松岡 心平(東京大学教授

ひっさびさに松岡先生のお話を聞きました。最近忙しくて観世流能楽講座に行けず、欲求不満だったのですが、ちょっと解消。

前半は能楽の歴史を立て板に水の勢いですらすらと話されていて、なるほど、さすがに大学で教えてらっしゃると、こういう話はすらすらと流れるように出てくるんだなあと感心。

面白かったのは綱吉、観世元章のお話あたりから。綱吉が能を好み歴代の将軍と異なり将軍になってもお能を舞ったこと、沢山復曲したこと、また、元章が詞章を次々と改め(明和改正謡本)、銕之丞家を分家したこと、新たな小書を数多く作ったこと、それまで五日間だった勧進能を十五日間も行ったこと、その詞章の改変は元章が亡くなる頃には元に戻されてしまったことなどは有名だ。そして、松岡先生のお説では、綱吉や元章のやったことは悪い面ばかりクローズアップされるが、大原御幸、弱法師、蝉丸など、この時期に復曲された名曲・人気曲は多いし、元章の小書も、多く残っていて、大きく貢献している面もあるとのこと。確かに!

…と、ここまで書いて、ふと、「大原御幸」って本阿弥光悦(1558-1637)が作った光悦謡本にもあることを思い出した。「大原御幸」は元々は謡だけだったものを綱吉(1646-1709)がお能にしたというような話だったような。ということは、光悦謡本は、演能とかとは直接関連せず、本当に謡のための本ということなんでしょうね。おもしろい。一方、今、サントリー美術館で乾山展をやってるけど、乾山(1663-1742)は角皿に能楽十番を絵付けした作品を作っていて、その中に「大原御幸」がある(ほかには「道成寺」とか人気曲もあるけど、「通小町」とか「難波」、「女郎花」、「杜若」、「翁」、「定家」と、さすが光琳というお能狂いの兄と共にお能を習っていた弟だけあって、通好みなセレクション)。この乾山のお皿は「色絵能絵皿」といって「能絵」であり「謡絵」ではないので、ここでの「大原御幸」は謡っていうよりは、お能として認識されているんでしょうね。綱吉の前後では能楽界に大きな変動があった例証のひとつみたいな感じで興味深いです。

で、元章のお話に時間を割きすぎたのか、江戸時代の庶民へのお能の普及を話す前に時間が来てしまったようだけど、松岡先生は少し延長してそこまで無理矢理お話してくださりました。

江戸時代の後期、謡本は大ベストセラーではあったけれども庶民にはどうやって普及していたかというと、寺子屋で「読み書きそろばん」以外に、いわばリベラル・アーツとして小謡本を習ったのだとか。だから江戸時代後期は庶民の間でも謡は知られていて、俳諧井原西鶴浮世草子のように謡の知識なしには成立しない文化が発達したのだという。納得。浄瑠璃だって、『義経千本桜』をはじめとして能楽のストーリーそのものを翻案したものが結構あるし、能楽の詞章から本歌取りした表現はそれこそ数限りなしなので、お能を知らないと面白味も半分だ。そういう意味では、こういった作品が存在するためには庶民に謡が広く浸透していることが前提となっていたことは間違いないだろう。

先生は現代でもリベラル・アートとして能楽を学ぶようになれば良いと思っているとおっしゃっていたが、私もそれは大賛成。内田樹先生の言葉を借りれば「お能は古典のマニ車」。お能を知っていれば古典をダイジェストで学んだと同じことになる。お能や古典を学ぶ良いところは、日本人や日本の文化を理解するにあたりこの上ない、大きな資産となるところだ。今、経済や経営のグローバル化と言っていながら、何故、そういった日本の文化を学ぶことがないがしろにされるのか、不思議。自国の文化を理解せずに他者理解は成り立たない気がするのだけど…。などと、色々、あらためて考えさせられました。


狂言 簸屑(ひくず)  三宅 右近(和泉流

狂言の中に「七つの子」っていう、七歳の子供が本当に可愛いくてしかたないという小謡が出てくるのですが、これがなんだか気になる。他の狂言の中では、だいたい「定家葛のように私の心は七つの子可愛さに搦めとられる」…という辺りまでしか謡わないのだけど、今回はもっと先まで謡ってた。その内容は、「あまりに可愛いので、川舟に乗せて神崎まで連れて行こうか」と続く。あれ、神崎って「江口」の場所ですよね。自分の子供の話だと思ってたのに、おだやかじゃないな、遊女として売り飛ばそうとする人買いの話なのかしらん、と思ってしまった。この謡はさらに、北嵯峨の踊りを見たいか、泊瀬に行きたいかと続くのだけど、残念ながらここで途切れた。一体、この「七つの子」って何のお話なんでしょうか。気になる!


能  大瓶猩々(たいへいしょうじょう)  井上 裕久(観世流

「猩々」は観たことあったのですが、この曲は初めて拝見しました。しかも「おおびん」だと思ってたけど、「たいへい」だったのか。太平に通ずってことかな。

綱吉が作ったお能だそうです。確かに猩々が5人(匹?)も出てきて、エラく豪勢です。将軍のお遊びという感じがして、将軍になった気分で大いに楽しみました。


おまけ

ちなみに、今月の国立能楽堂は「観世大夫元章の革新と明和謡本」という特集で、パンフレットは、いつもの能装束の文様シリーズとは打って変わって「町人御能拝見之図」っていうやつだった。これがおもしろい。下記のリンク先は都立図書館蔵のやつだけど、多分、今回の国立能楽堂パンフレットの錦絵とおんなじです。
旧幕府御大禮之節町人御能拝見之圖(東京都立図書館所蔵)
http://www.library.metro.tokyo.jp/digital_library/collection/the19/tabid/1877/Default.aspx

これだけでも、おもしろいんだけど、「室町御所御能興行之図」っていう武士が演能を観ているやつと併せて見ると、とっても笑えます。
室町御所御能興行之図(国立能楽堂所蔵)
http://prmagazine.bunka.go.jp/rensai/youkoso/youkoso_012.html

何か金曜夜の渋谷センター街のやんきーの皆様vs,月曜朝8時半の東京駅丸ノ内口改札出たとこの横断歩道を歩くサラリーマンって感じ。庶民はいつの時代も同じです。ってゆーか、この庶民の方、端っこの人ぐらいしかお能、観てないですよね。