国立劇場小劇場 6月文楽若手会 東京公演

文楽既成者研修発表会 第3回 文楽若手会
五條橋 (ごじょうばし)
一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)
  熊谷桜の段、熊谷陣屋の段
  新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)
  野崎村の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2015/6142.html?lan=j

5月本公演で演じられたものと同じ演目を若手の技芸員が演じた若手会。本公演とはまた違った熱気のある公演でした。観ているこちらの方も力が入りました。特に最近仕事で若い人達と接することが多いので、ついそういう人達のことと重ねて見てしまいました。もし今一緒に仕事してくれている若い人達がもっともっとパワーアップしてくれたら、私の仕事もずっと楽になるので、私のなけなしの知識や技術は全部お教えして、彼等が何とか早く育って欲しいといつも願っています。多分、文楽の彼等の先輩達もそう思っていることでしょう。若手と呼ばれる方々には文楽のますますの繁栄のために、是非がんばっていただきたいです。

今回印象的だったのは、人形では簑紫郎さんのお染ちゃん。以前簑助師匠のお染ちゃんを観たことがあるけど、そのお染ちゃんを彷彿とさせるお染ちゃんでした。お染ちゃんはおっとりとした大店の娘で恋に一途。久松(玉勢さん)が心奪われるのも道理なのでした。簑一郎さん演じるおみっちゃんも可愛かったけれども、深窓で何不自由なく大事に育てられた大店の町娘お染との対比がはっきりしていたので、おみっちゃんの、貧しく大病を患う母の看病もしなければならない、ちょっとはすっぱな田舎娘といった性根が、より明確に感じられました。何よりも、簑紫郎さんの人形を遣うのが本当に好きそうな感じが、観ている方にも伝わってくるし、楽しく感じるのです。

三味線では寛太郎さんの三味線が、相変わらず良かったのでした。間といい、音といい、スケールの大きさが桁違いで、良いのです。でも何でも弾きこなしてしまって、聴いててつまらないと言えばつまらないのですよね。年相応の役割のものをやるよりは、「やっぱ、こういうのはまだ寛太郎さんには厳しいか…」と思うくらいの難題に立ち向かって弾くところを聴いてみたいです。

太夫では、一番印象的だったのは、靖さんの熊谷陣屋の後でしょうか。靖さんの特徴といえば、時に山っ気を感じるくらい大胆に、物語を語っていくところにあると思います。そういった語り口が、荒唐無稽にすら感じられる、実ハ、実ハのどんでん返しの続く時代物の三段目にマッチしているのでした。特に、弥陀六のタテコトバのあたりは、そこまでたっぷりためて語るとタテコトバという定義から外れちゃうのでは?と思うくらい、たっぷりと語っておられました。多分、弥陀六もあそこまでたっぷり語ってもらえれば本望なのではないでしょうか。私の中には、なぜか弥陀六共感ニューロン(?)とも呼ぶべき弥陀六のタテコトバの部分に共感する部分があって、それは畳み掛ける胸のすくような語り口よりも、あの知らず知らずに源氏に与して平家の没落の種を蒔いてしまった平宗清の煮え湯を飲まされるような悔恨の念の述懐そのものに共感するのです。なので、むしろあの部分はまくしたてられるよりもずっとぐっとくるのでした。

しかし、こういう今の靖さんの立ち位置は、かつては相子さんが担うものと思っていたのに。なかなか一観客が先を見通すというのは難しいですね。逆に言えば、たとえば5年後の若手会は、きっと今は全く予測できないような人が輝いているのかも。