国立文楽劇場 6月文楽鑑賞教室

第32回 文楽鑑賞教室
 牛若丸/弁慶 五条橋 (うしわかまる/べんけい ごじょうばし)
 解説 文楽へようこそ
 曽根崎心中 (そねざきしんじゅう)
 生玉社前の段、天満屋の段、天神森の段

都合によりC班、D班を拝見しました。

五条橋

清五郎さんの牛若丸が、貴公子であるだけでなく御曹司独特の強気な感じで、かっこよかったのでした。牛若丸は優美に遣われることも多いけど、千人斬をしたり、鞍馬山で天狗に剣術を教わったりした猛者なので、強い牛若丸に私も一票!

解説

龍爾さんの三味線一発芸を聞かないと鑑賞教室という感じがしない。清丈さんの「メール恋物語」(勝手に外題を命名)と共に伝統芸能として、キムタクがイケメンの代名詞で在り続ける限り、末永く語り継いでいただきたいものです(?)

そして待ってましたの人形体験。観客からの立候補者三名が人形を動かしてみるのですが、大阪の鑑賞教室と夏の第一部で、私が一番楽しみなのがこれです。一度、なかなか上手いのを観たことがあるけど、それ以外は毎回、個性豊かなゾンビが完成して、笑わずにはいられません。今回は、特にD班が、ゾンビ具合が突出していたのに加えて簑紫郎さんによる突っ込みがツボに入ってサイコーでした。東京でやってもこんな感じにはならないのではないかな。大阪でやるから面白いのかも。

曽根崎心中

『曾根崎』は配役がかなり固定されているので、違う配役で観るというだけでも、結構新鮮でした。もちろん、慣れた演者の方で観る方が完成度は高くて面白いに決まってるけど、違う配役で観れば、演者の方それぞれの『曾根崎』があり、違う配役で観ること故の発見もあり、興味深かったです。

今回は、特に天満屋九平次の役割というものについて、考えさせられました。

お初と徳兵衛の心中の引き金となったのは、九平次が徳兵衛をだまくらかして徳兵衛からお金を奪い、さらには偽手形に盗んだ印判を使ってかたりをした罪を着せられたことだ。心中の原因となる出来事はすでに「生玉社前の段」で出てきているのに、近松は、この発端部分に加えて、追い打ちをかけるように、九平次天満屋に登場させている。

何故、近松九平次天満屋でさらに一騒動起こさせる必要があったのだろうか。

この場面では、九平次は生玉社前で徳兵衛をさんざんな目に遭わせた後、わざわざお初ちゃんのいる天満屋に現れる。何をするのかと思えば、まずはあてつけのように、お初ちゃんの傍輩に徳兵衛の悪口をさんざんに言い散らす。さらに徳様の死ぬる覚悟を聞いたお初ちゃんに対して、徳兵衛は死ぬはずないし、もし徳兵衛が死ぬようなことがあったら、自分がお初ちゃんを可愛がる、と言う。

一見、九平次は、単なる悪人のように思えるけれども、それだけではないと思う。九平次は、(たぶん花街で)雛男と呼ばれ人気がある上に、お初のような美しい遊女と恋仲にある徳兵衛への押さえられない劣等感や友情の裏返しの憎しみを持っており、その暗く醜い感情が、九平次を知らず知らず、エスカレートさせているように思う。

九平次はお初ちゃんの傍輩に対して徳兵衛の悪口をいうが、それがえげつないものになっているのはそのせいだと思う。本当は遊女とお客の会話の中で他人の悪口が会話に上ったら、適当に気の利いたことを言って、当たり障りのないようにするのが遊女という職業の本分なのだろうが、九平次のあまりなものの言いように傍輩達はそれすらできない。この世界の経験が長いであろう天満屋の主人も、せいぜい「話にまぎれうっかりしてゐた。それ、なんぞお吸い物でもあげましゃ」と口走ってその場を逃げ去るほどだ。

結果的に九平次は、自身でコントロールできない度を過ぎた暗く醜い感情をお初ちゃんと徳兵衛ぶつけることになる。そして恋もやはり自分でコントロールするのは不可能な感情だ。理性で考えれば九平次の毒にまともに反応するのは賢い対応ではないが、たぶん、九平次の嫉妬や憎しみに対して、同じくコントロール不能な恋に陥っている二人は、鋭く抗わざるを得なかったのだ。そうやって、心中をぼんやりと予感させていたお初ちゃんと徳兵衛に、はっきりと心中しかないと決心させ、後戻りできないところまで追いつめたのだと思う。

お初ちゃんは、徳兵衛が死んだら自分が可愛がる、「そなたもおれに惚れてぢゃげな」という九平次に対して、「わたしを可愛がらしゃんすと、お前も殺すが合点か」とすごむ。この時のお初ちゃんは遊女なんかじゃない。遊女は本来お客に対してこんなことを言ったらNGだろう。

今まで、九平次という人の人間性とお初・徳兵衛との関わりがどうしても捉えにくい気がしていたけれども、近松天満屋の段で、嫉妬や憎しみ、恋愛といったコントロール不能な人間の感情のぶつかり合いとそれが悲劇的結末に向かってしまう悲しさを描きたかったのではという気がした。