国立劇場 12月公演

近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)
   坂本城外の段
   和田兵衛上使の段
   盛綱陣屋の段   

   
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
   八百屋内の段
   火の見櫓の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3014.html

12月公演といえば師匠方の出ない公演。気軽に見に行ったが、とっても充実していて楽しい公演だった。

近江源氏先陣館
 坂本城外の段
 和田兵衛上使の段
 盛綱陣屋の段

今までは佐々木盛綱というと、特に歌舞伎では座頭級の役者さんが演じたりするので、無条件に良い人という気がしていたが、去年、お能の「藤戸」を見て以来、知将だけどちょっと狡いというか他人の痛みが分かろうとしない人というイメージが付いてしまった。というのも「藤戸」には、盛綱のそんな一面が描かれているから。盛綱は先陣を切るために、日頃は海だが夜になると浅瀬になって渡ることができる場所を地元の青年から聞きだす。そのお陰で先陣を切ることができたのだが、その時、その秘密が漏れないよう、盛綱は青年を殺してしまうのだ。その後、その青年の母親が盛綱に訴え出て、さらには殺された青年の霊がその時の苦しみを語り、その後、回向によって成仏するというお話なのだ。

そういう穿った目で見てみると、疑問点が出てくる。たとえば、盛綱(勘十郎さん)は何故、母の微妙(和生さん)に小四郎(紋臣さん)に自刃するよう説得を頼むのだろうか。盛綱の言い分によれば、小四郎が盛綱のところで囚われの身になっていれば、高綱にとっては「いかなる大丈夫も我が子の愛には迷ふ慣(なら)ひ、万が一この謀(はかりごと)に陥つて、降参などの心付かば子故に不忠の名を流さん事残念至極」というのだ。けれども、考えてみれば、兄弟が敵味方と引き別れているのは兄弟の問題。微妙にとっては二人とも愛しい息子達であり、小三郎、小四郎は共に「子よりも可愛い孫」なのだ。もし盛綱がそう思うのであれば、本来は、武士であり伯父である盛綱が小四郎に言って諭すべきではないだろうか。もし、微妙が「信州川中島合戦」に出てくる山本勧介の母、越路みたいにちゃぶ台ひっくり返しちゃうような婆だったら、きっと盛綱を叱り飛ばしてるところだね、と思う。

それでも、結局、幼い小四郎の方が武士としては、盛綱より一段上の覚悟の持ち主だった。微妙との自刃するしないのやり取りでは後に分かる彼の本当の役割をひた隠しにして微妙に許しを請い、いざその時の高綱の偽首の首実験の場面では真っ先に進み出て時政の前で自害したのだ。この場面で、ある意味、盛綱は小四郎の気迫に追いつめられて、「矢キズに面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候」と証言する。

このように甥を死なせてしまい、自分もお主を裏切る形となった盛綱は自害しようとするが、和田兵衛(玉女さん)に「今又御辺自害せば、鎌倉への義は立つべきが、佐々木が首は偽物なりと、忽ち露顕しこれまで砕きし心は水の泡。時を待て佐々木高綱、誠はここにと切つて出づるその時に、潔く切腹すれば忠も立ち義も全(まった)し、腹の切り様早い早い」と説得される。和田兵衛、見かけによらず良い人…。

見方を変えると、盛綱陣屋の段は、今まで知将故に人の心までには思いが至らない部分があった盛綱が、甥の小四郎の自害という悲劇に教えられお話という解釈も可能なように思う。…というのが、「藤戸」の後に見た「盛綱陣屋」の感想でした。色々な方向から見ることが出来るのが、名作の名作たる所以かも。


伊達娘恋緋鹿子
 八百屋内の段
 火の見櫓の段

火の見櫓の段の前の段が残っているとは知らなかった。この前、歌舞伎で見た「松竹梅湯島掛額」の「吉祥院お土砂」「櫓のお七」とはちょっと内容や設定が違っていた。いろんなバージョンがあるのかも。呂勢さんの語りが聴いている方まで気分が良くなるような語りっぷり。

火の見櫓の段

黒い背景に黒い櫓、紅と浅葱の振り袖を着て髪を振り乱すお七という取り合わせは、本当に美しい。あらためてほれぼれしてしまいました。