ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第二回公演


まだ能楽を観初めて日が浅いので、「観るもの、ことごとく初見」状態だが、今回は珍しくお能狂言も全て観たことのあるものばかり。基本的に出来るだけ多くの曲を観てみたいと思っているのだが、こうやって二度目に観てみると演出などもかなり違ったりして、他の再現芸術(クラッシック音楽とか歌舞伎、文楽等)同様、同じものを何度も観ることに一つの楽しさがあるようだ。お能は鑑賞することに慣れるまではやたらと敷居が高いけど、観続けると少しづつ様々な楽しみがあるのが分かってきて、なかなか飽きそうにない。そこが良いところかも。


半蔀 高橋 章(宝生流

源氏物語」夕顔の巻に取材したお話。
紫野雲林院の僧(福王茂十郎師)が立花供養を行っていると、里の女(高橋章師)が花を持って供養を頼みにきた。里の女は、小面のような面で紅入の唐織着流姿。唐織には、桧垣に菊の文様。僧が見慣れぬ花の名前を尋ねると里の女は「賤しき垣ほにかかりたれば、知ろしめさぬは理なり。これは夕顔の花にて候」と答える(おお、だからおシテの装束の文様は桧垣に菊を選ばれたのかしらん)。そして、この夕顔の花の名前の答え方は「源氏物語」で源氏が惟光に花の名前を問うたシチュエーションとそっくりそのまま。僧はもしやと思い、花の主である里の女に名を問うのだけれど、女は「名はありながら亡き跡に、なりし昔の物語」と答えると、ふと目を逸らした隙に消えていなくなってしまったのだった。

狂言は、茂山千之丞師のはずだったが、病気休演で茂山七五三師。前の週は国立能楽堂でお元気な様子を拝見したと思ったのに、お風邪でしょうか。お大事に。
立花供養をすると聞いて見物に来た北山の者(茂山七五三師)に、僧は夕顔のことを尋ねる。なぜ、北山の者が出てきて、僧が彼に夕顔のことを尋ねるのか、考えてみると不思議。僧の方がよく知ってそうだけど。
北山の者は、源氏がある家の垣根に夕顔を見つけ惟光にとってくるように言うと、童が白き扇の妻いとうこがしたるに一首書き散らしたものの上に夕顔の花を載せて惟光に渡した話、源氏が何某の院に夕顔を連れていったが物の怪が憑いて空しくなったというような「源氏物語」夕顔の巻のダイジェストの話をする。その後、僧が先の夕顔の一件を話すとアイが弔うことを勧めるのだが、その時、笛の伴奏が入るのが珍しかった。前に観たときどうだったか全然覚えていない…。

狂言が終わると、半蔀のついた小屋の作り物が橋掛リから舞台に入ったところの常座に置かれた。

後場では、僧が五条あたりに来てみると、それらしき夕顔の花が咲く家を見つける。そして夕顔が「さらばと思ひ夕顔の草の半蔀おし上げて立ち出づる御姿見るに涙のとどまらず」という謡と共に半蔀の蔀を開けて出てくる。半蔀を押し上げるのに、先が三つに割れた棒(多分、三又という道具)を使っていた。後シテは、浅葱の長絹に朱の紐、朱の大口袴という出立。

地謡で、源氏が惟光に夕顔の花を取ってくるように言い、惟光が「白き扇のつまいたう焦がしたる」に夕顔を載せて持ってくる様子を謡い、シテがその様子を舞うのだが、惟光が夕顔を半蔀から取って自分で扇に載せるかのような舞だったのが不思議だった。童女から扇ごと夕顔を貰わないと、その扇は誰のじゃ!ということになってしまう気がする(夕顔の扇じゃないと話が進展しない)。後から考えてみると、庵の内から扇を貰うという所作だったのかもしれないけど、差し出した扇の位置が私の席から観ると高すぎて、半蔀から直接夕顔を取っているように見えたのかも。
そして、夕顔は僧に回向を頼むと、明け方の東雲を見やって、「明けぬ先に」と半蔀の中に入って消えてしまうのでした。


宗論 山本東次郎大蔵流

好きな狂言で、今回も楽しかった!
ピッと短く笛が鳴ると、日蓮宗の僧(茂山七五三師)が出てきて、自分は京の五条の本国寺の僧で甲斐の身延山に詣でた帰りという。そして同道する人はいないかと言いながら歩いていく。すると、もう一人、浄土宗の僧(山本東次郎師)が現れ、自分は六条黒谷の僧で、信濃善光寺参りの帰りだという。二人はお互いを見つけ、意気投合し、道中を共にすることに合意するが…というお話。

お互いの正体が知れると、日蓮宗の僧は待ち合わせがあったのを思い出した等と言い、上手く別々になろうとするが、浄土宗の僧の方は、「道々なぶってやろう」と嫌がらせする気満々。

この二つの宗派は仲が悪いみたいで、お互いに日蓮宗のことを「情が強(こわ)い」、浄土宗のことを「愚鈍」と言ったり、数珠を笠に掛けられると汚らわしい等と言って払ったり。日蓮宗の僧が浄土宗の僧に「黒豆をチマチマ数えおってからに!」というようなことを言うのだが、これが何かはよく分からなかった。そういう修行があるのかな。(←後で狂言の本を確認したところ、浄土宗の数珠は黒玉でそれを繰る様子を揶揄した表現のよう。)

さまざまなどたばた劇を繰り広げた挙げ句、最後は、各々の宗派の違いの前にお互い仏教徒であるという共通点を見出し、共々に神妙な様子で去って行ったのでした。


鵜飼 空之働 関根 祥六(観世流

超ゴーカ出演陣による「鵜飼」。祥六師が素晴らしくて、もう、すっかりファンになってしまいました。

阿波の清澄の僧(ワキ:宝生閑師、ワキツレ:殿田謙吉師)が未だ見たことのない甲斐の国の石和(いさわ)に来て、一夜の宿を探す。ワキの配役も豪華。宝生閑師がワキで、殿田謙吉師がワキツレ。しかもワキツレの台詞は確か、シテが出て来た時に、「二、三年前にこの近くで見ました」というもののみ!考えてみると以前見た観世清和師の鵜飼でもワキが森常好師でワキツレが舘田善博師という豪華配役だった。ひょっとすると、はっきりと示されてはいないけど、ワキが日蓮上人という高僧だという解釈から、ワキツレが豪華になっているのかも。
僧は所の者(善竹十郎師)に宿を貸してほしいと頼むが、往来の人に貸すことは禁制となっており貸せないという。ただし、川崎の御堂に泊まることはできるとアドバイスする。
僧がその御堂に泊まっていると、橋掛リにシテの鵜飼が現れる。面は尉系の面で、茶の水衣に、納戸色の厚板の着流し、腰簑姿。松明を高くかざしながら御堂でワキの僧を見つける。僧は老人に何者か尋ねると鵜飼だという。実は、二三年前にワキツレの僧が近くで鵜飼と出会ったのだが(なるほど、このワキツレは甲斐の国に来たことがあり、甲斐の国に初めて旅するワキの案内役なのだ)、その鵜飼は空しくなったので、跡を弔ってあげてほしいと言い、シテの鵜飼はその様子を語る。
さらに老人は実はその時の鵜飼なのだと告白し、罪障懺悔のために僧に鵜を使う様子を見せる。ここからが中入りまでは「鵜之段」というらしい。情景としては篝火に鵜舟、鵜、海人(漁師)と平安時代の和歌の幽玄な世界でありながら、そこで語り舞う様子は、執心につき動かされて殺生をするシテの有様。同じ道具立ての中に美を見る上代と生の苦しみを見る中世の世界観の違いを垣間見る感じ。
執心に囚われ鵜飼をする様子を僧に見せ終えたシテの老人は、扇と松明をバッタリと落とすと思わず号泣し、そのまま消え入ってしまう。

この後、早装束なので、間狂言はすっとばして、すぐに後場のワキの待謡になる。この待謡は「川瀬の石を拾い上げ 川瀬の石を拾い上げ 妙なる法のおん経を 一石に一字書きつけて波間に沈め弔はば などかは浮かまざるべき などかは浮かまざるべき」というもので、そういえば東博に一字一石経というパスタのニョッキぐらいの大きさの平べったい石に文字を書いたのがあったなあと思い出して、ちょっと感動。
また、事前に「鵜飼」の詞章の載った本を見ていたら、お能の「融」にかつて出ていた鬼を移したということが書いてあり、そういえば、清和師の時も面白い舞だったことを思いだしたので、楽しみにしていた。がしかし!べし見の面に唐冠、深緑に金の山道文様に飛雲の法被に半切の後シテは舞台中央に来て、どっかと安座すると笏を手にしたままずーっと動かなかったのでした…。それでも安座したままなのに迫力あって素晴らしく感動したので、ま、いっか。
ちなみに小書「空之働(むなのはたらき)」は、H.20.8の国立能楽堂パンフレットの金子直樹氏の解説によれば「前シテの謡の省略、<鵜ノ段>で橋掛リに行く、中入りの間狂言がなくなり早装束で後シテが出る、後場の途中で安座のまま進行する、など様々な演じ方」があるそう。前回見た清和師の「鵜飼」も「空之働」だったけど、要するに演じ方が違ったということなんだ、きっと。

最後は「付祝言」で、これを聞くのは初めて。ふーん、なるほど。「花花」の最後のページに書いてあるやつね…。

というわけで、初見のものは無いながら、発見の多い楽しい会でした。

<番組>
宝生流 半蔀 シテ 高橋章
ワキ 福王茂十郎
アイ 茂山千之丞
笛 杉市和
小鼓 亀井俊一
大鼓 柿原崇志
後見 宝生和英 他
地謡 三川泉 他

狂言 大蔵流 宗論 シテ 山本東次郎
アド 茂山七五三
アド 山本則俊
後見 平田悦生

観世流 鵜飼 空之働 シテ 関根祥六
ワキ 宝生閑
ワキツレ 殿田謙吉
アイ 善竹十郎
笛 一噌仙幸
小鼓 大倉源次郎
大鼓 亀井忠雄
太鼓 三島元太郎
後見 野村四郎 他
地謡 観世銕之丞 他