国立劇場小劇場 社会人のための文楽鑑賞教室 Bプロ

解説 文楽の魅力
仮名手本忠臣蔵
 下馬先進物の段
 殿中刃傷の段
 塩谷判官切腹の段
 城明渡しの段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3015.html

解説 文楽の魅力

三味線解説は龍爾さんのはずが、休演なされたようで、清丈さん。私にとっては久々の「清丈メール恋物語」(勝手に外題を命名)。もう既に五段物ぐらいに発展しているかと思いきや、研ぎ澄まされて(?)短くなってました。

人形は、簑紫郎さんが最初に立役の型をやってくださったのがありがたかったです。というのも、私は文楽を観初めて最初の半年ぐらいは、一番の盛り上がりのところで何故立役が一人で手足をバタバタさせているのか全然分からず、「一体この人は何をしているのだろう?」と不思議だったから。今から思えば、「この場で見得以外の一体何をするというのだ!」と自分に突っ込みを入れたくなりますが、その当時、既に歌舞伎を観ていたくせして、全く思いつきませんでした。多分、一公演一人ぐらいは私と同程度に察しの悪い人(または見得そのものを知らない人)もいると思います。いや、いると思いたい。。


仮名手本忠臣蔵

文楽忠臣蔵は初めて観たが、大変面白かった。歌舞伎は歌舞伎で様々な工夫がなされているが、文楽文楽らしい面白さだった。

特に判官切腹の部分は、歌舞伎では全く無音の状態で判官の切腹を見守ることになるのだが、文楽ではどうなるのかとても興味があった。実際に観てみると、この部分は歌舞伎同様、人形だけの芝居なので、感心してしまった。浄瑠璃は語ってなんぼの世界なので、このように無音で人形に芝居させるというのは、初演当時としては非常に勇気のいることだったのではないだろうか。また、人形だけで場がもったということは、その時の人形遣いも素晴らしい芝居をしていたということなのだろう。

また、浄瑠璃本文も聴いていて、いくつか発見があった。たとえば、判官切腹の場面は顔世御前は歌舞伎でも文楽でも切腹の場にいないけど、詞章には、「(判官は)刀逆手に取り直し、弓手(ゆんで)に突き立て引き回す 御台ふためと見もやらず、口に俗名、目に涙…」とある。
また、判官が最期に由良之助に「由良之助。この九寸五分は汝への形見。我が鬱憤を晴らさせよ」と言って息絶えた後、お城明け渡しに際して歌舞伎では一悶着あるので、判官の「我が鬱憤を晴らさせよ」という言葉が記憶の彼方に行ってしまったりするのであるが、文楽の方は、その一悶着のエピソードは無かったため(ひょっとすると原作にはあるが編集でカットされているのかもしれないけど)、「城明渡しの段」の由良之助が何を思案しているのかが分かり易かった。

当たり前だけど、判官の「我が鬱憤を晴らさせよ」という言葉は重いと感じさせられた。この一言から十一段目までの様々な悲劇が生まれるのだ。もし、代わりにもっと家臣の行く末を思いやる言葉を由良之助に残していたら、展開は全く違ったものになっていただろう。この夏、畠山記念館に行ったついでに泉岳寺にも行ってみた。浅野家の墓所の隣にある義士達のお墓を見たが、彼らのそれぞれのエピソードを知っているだけに思い入れもあり、やはり、浅野内匠頭は統領としてはよろしくなかったなあと思わざるを得なかった。


史実と浄瑠璃をごちゃまぜにして書いておりますが、ごちゃまぜついでに、浄瑠璃をよくよく聴くと鎌倉の地名等が出てきてなかなか興味深かった。仮名手本忠臣蔵巡りで鎌倉に行っても面白いかも。


また、武家の雰囲気を出すためだと思うがお能についても詞章でさりげなく出てきて、これもなかなか興味深かった。たとえば、「下馬先進物の段」の冒頭、「お能役者は裏窓口(うらもんぐち) 表御門はお客人御饗応(おんもてなし)の役人衆」とか、「殿中刃傷の段」の「脇能過ぎて御楽屋に鼓の調べ太鼓の音」等々。


パフォーマンスは、私は津国大夫が良かった。今まで、「これぞ津国大夫の本領」という段を語っているのを拝聴する機会があまり無かったが、「殿中刃傷の段」は、吉良が顔世御前が送った古歌の意味を了解した辺りから塩谷判官を追いつめていく緊迫感があり、わくわくする面白さだった。ちょっと伊達大夫を思い出した。


ところで、観賞教室のパンフレットを眺めていたところ「人形浄瑠璃文楽のために書かれた作品(脚本、上演台本)は、刊行されたものだけでも約七百種が残っています。現行のレパートリーは百六十ほどですが(以下略)」という記載があった。そんなに作品数があるんだ…。そういうことなら新作よりはむしろ復曲でしょう。今は現存作品の約23%しかレパートリーに入っていない訳で、仮にレパートリーに入っていない曲の大半が箸にも棒にも引っ掛からない出来でも、5%分だけでも拾いあげて復曲出来れば30曲以上レパートリーが増えるわけだ。それにゼロから作るより復曲の方が効率良さそうでもある。お能徳川綱吉の時代に沢山復曲して、やってみたら面白かったものが沢山あったそうだから、是非、文楽も是非やってほしいなあと思ってしまった。。